女性につきまとうなどのいわゆる“ストーカー行為”を規制する「ストーカー規制法」が施行されたのが2000年の11月。それでも、男の一方的な思い込みによって、狙いをつけた女性に迷惑をかけ続けるストーカー行為は、ことさらには減っていないように見える。むしろ、そこに付随する犯罪は増えているのではないかと思うのは、筆者の思い過ごしだろうか。

 8月28日に起こった山口県周南市、徳山工業高等専門学校の5年生、中谷歩(あゆみ)さん(20)の殺人事件。一方、筋は多少違うかもしれないが、同30日には鳥取市内の山林で近くに住む黒井恵子さん(21)の遺体が発見され、参考人として事情を聴かれていた人材派遣会社員の男(30)が逮捕された。男は2カ月ほど前に知人の紹介で黒井さんに初めて会い、食事などの後殺害に及んだらしい。極めて不可解だ。

 徳山高専の事件に関しては、同級生の少年(19)に逮捕状が出されているものの、事件の背景はまだ分からないのでここでは憶測は控えておく。

 ただ、非常に気になるのはこうした事件にかかわる男たちが例外なく「おとなしくてまじめな子。とてもいい子ですよ」などと表現されていることである。北海道稚内市で起こった高校生の息子、その友人による母親殺しも「まじめでいい子。とてもこんなことをする子には見えない」といったコメントしか聞かれなかった。今後もこうしたケースは増えてくると思われるが、一体、親子、男女の間に何が起きているのだろう。

 ここでも軽々な物言いはできないのだが、ストーカー的な行為や、男の一方的な好意が女性に受け入れられないことで起きる事件などの場合には、相手方の女性が「活発で積極的。ハキハキしていて明るい子ですよ」などと表現されることが、比較的多いような気がする。この辺にヒントがありそうだ。

 つまり、思い詰めた男による、何らかのキッカケによる居直りか逆上の事件――という構図だ。ここで図式化できるのは、若い男たちに挫折(ざせつ)の経験がないことや、世の中には自分の思い通りにならない人間関係があることを自覚的に体験していないこと。親の教育もほとんど感じられないことだ。

 思えば男も弱くなった。私がまだ新聞記者になりたてのころは、男女間の感情のもつれで刺し殺されるのはむしろ男。ほぼ、嫉妬(しっと)に狂った女性の行為だった。それが、どこがどうなってしまったのか、最近は自分を抑えきれないのは例外なく男――という構図は、情けない情景だとつくづく思う。

 反面で浮かび上がるのは、強くなった女性の姿と活発な発言かもしれない(言いたいことを言われていますなぁ)。しかし、ここで私たちが特に気をつけたいのは、心ない“言葉”は深く他人を傷つける事実である。

 相対的に活発になった女性たちの姿は、弱くなった男たちに対する軽侮(ぶ)の発言と重なって見えてくる。しかし、男たちはこうした言葉に即座に反応するだろう。

 男は形式とプライドの中に生きる動物。一方、女性の生き様はまさに実質そのものである。この差を意識して、そこに“思いやり”という名の潤滑油を差し込まない限りは、気弱で自分を表現できないまじめな少年たちは、ますます“性の砂漠”を放浪し続けるに違いない。【了】