松坂由里香は、パーフェクトな女。

美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。

「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。

けれど、彼女が出会う”未来の夫候補”たちは、揃いも揃って何やらちょっとクセが強いようで…?

松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。

▶前回:お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…




Vol.2 情報通な男


「そろそろお昼ですけど、由里香さんどうします?久しぶりにコモドとか行きません?」

11時半を回る頃。隣のデスクの秘書・星野が、大きく伸びをしながら言った。

『バル コモド』はこの恵比寿のオフィスからも近く、由里香が大好きなイタリアンだ。

けれど、今日はその誘いに乗るわけにはいかなかった。

「ごめん星野くん。私、今夜イタリアンでデートの予定なんだ。

今まで2回、ごはんに連れて行ってもらってる人なんだけど、今夜は私が一番好きな店を紹介することになってるの」

けれどそう言う由里香の顔は、楽しいデートを控えているようにはとても見えない。案の定、星野からのつっこみが入る。

「あぁ、また新しい人と婚活中なんでしたっけ。一番好きなイタリアンに行くのに、なんでそんなにテンション低いんですか?」

由里香は待ってましたと言わんばかりに、勢いよく星野の方へ顔を向ける。

そして、ずっとモヤモヤしていた先週の食事デートについて話し始めるのだった。

「いや、実はね。ちょっと気になるところがあってさ…」




先週の日曜日。由里香がデートで訪れていたのは、神楽坂のある鮨店だった。

「由里香ちゃん、けっこうイケる口だよね。僕もお酒好きだから嬉しいなぁ。

知ってる?いま飲んでるこの而今(じこん)って、三重県にある木屋正酒造がさ…」

日本酒を飲みながら上機嫌で酒蔵について語っているのは、アプリで出会った40歳の開業医、ワタルだ。

グルメが趣味というだけあって様々なお店を知っており、初デートで訪れたクラフトビアバーに続き、今回の鮨店もかなりハイクオリティーなのだった。

― 結婚相手とは、食の趣味が合うことも大切よね。私も美味しいお店は大好きだし、ワタルさん、悪くないかも…。

ニコニコと相槌を打ちながらそう思う由里香だったが、その一方で、なぜだか引っかかるような違和感を取り除くことができずにいる。

その理由は、先ほどから目の前で繰り返されているこの光景だ。

付け台に握りが置かれるたびに、ワタルが大将に問いかける。

「これ、どこ産?」




「大間のマグロ?この季節の津軽海峡って、水温的にも一番いい時季だよね?」

やたらとネタの産地を気にするだけでなく、話の内容も終始この調子だ。

「ここの大将はさ、西麻布にあるあのミシュラン店の出身で、8年修行してたんだよ。だからこの店も、白身の時はムラサキの代わりに柑橘と未精製の塩っていうスタイルで…」

「小さめのシャリでちゃんと人肌の温かさがあるのが、出身店と同じこだわりなんだよね。この温度が、口に入れた時に赤酢の風味を…」

「この店の名前はさ、暖簾分けの時に西麻布の大将が一字プレゼントしてくれたもので…」

由里香は「へえ、そうなんですね〜」と答えながらも、ほとんど聞き流して而今の旨味を堪能する。

ワタルのウンチクをすべて聞いていたら、極上のお酒の味も、お鮨の味も、見失ってしまいそうな気がするのだった。






「気に入らないなら、そんな人やめたらいいじゃないですか」

つまらなそうにスマホをいじりながら白けた眼差しを向けてくる星野に、由里香は慌てて反論をした。

「いや、ちょっと鼻につくんだけどさ。でも基本は優しくて知的で、すごく素敵な人なんだよ。美味しいもの好きなのはいいことだし、グルメの知識があるのもかっこいいし。

それに、お鮨とイタリアンが好物なのは私と一緒なの。食の好みが一致してるって、結婚生活には欠かせないことじゃない?」

そう言いつつも、今夜のイタリアンに行くことを提案した時、ワタルの第一声が「その店、星いくつ?」だったことに、由里香は釈然としない思いを抱くのだった。

「テキトーに、100個とか言っとけばよくないですか?喜ぶでしょ」

「はぁ…星野くんてほんとバカ。星100個、なんて言われて喜ぶグルメがどこにいるのよ。ワタルさんがそんな人なわけないでしょ」

星野をあしらいながらも由里香は、心の中で自身に言い聞かせるように言葉を繰り返す。

― そう、ワタルさんがそんな人じゃないかどうかは…今夜、はっきりすることよ。

そして、足元にひっそりと隠した2本のワインボトルを、企みを秘めた目つきでチラリと確認するのだった。


その夜。

「悪くないね、この店。星とか取ってないって聞いて不安だったけど、なかなか美味しいよ。ワインもいいの揃えてるし」

由里香が行きつけにしている代官山の小さなカウンターイタリアンを、ワタルはえらく気に入った様子で、白ワインを軽快に飲み進めている。

「そうなんです。裏メニューとかも作ってくれたり、ワガママ聞いてくれる気取らないイイお店なんですよ」

そこまで言って、由里香はかたわらに置いていた袋から2本のワインボトルを取り出す。

「というわけで、赤は私のお気に入りを持ちこみさせてもらっちゃいました!ワタルさん、どっち飲みたいですか?」

一つは、7万円ほどのオーパス・ワン。

もう一つは、近所のワインショップで買った2,000円のチリワインだ。軽い飲み口のピノ・ノワール。安いながらも侮れない味わいで、由里香が好きでときどき購入するものだった。

ワタルは味わいの話などまったく聞こうともせず、まっしぐらにオーパス・ワンを手にとる。

「おっ、いいねぇ。そんなのこっち一択でしょ!そのワイン、どこ産?僕、チリワインとかの安物はちょっと受け付けないんだよね」

小馬鹿にしたようにそう言って、ワタルは安価なワインには目もくれず、オーパス・ワンを前に目を輝かせるのだった。




「はぁ〜、やっぱりオーパス・ワンはいつ飲んでも美味しいわ。カベルネ・ソーヴィニョンの重厚なタンニン。カリフォルニアらしいアロマ。いかにもフルボディって感じだよねぇ」

オーパス・ワンのエチケットを見ながら、ワタルはうっとりとグラスを傾ける。

その姿を前にして、由里香は笑いを噛み殺すのに必死だった。

実は、それぞれ別の種類のワインを注いでもらったグラスは、ワタルがお手洗いに立った隙にこっそり、由里香の手によってすり替えてある。

つまり先ほどからワタルがウンチクと共に「美味しい、美味しい」と言って飲んでいるのは、ワタルがバカにして手に取ろうともしなかった、名もなきチリワインなのだ。

「オーナーはどこ出身なの?」

「自分ですか。自分は長野県です」

「いやいや、そうじゃなくてさ。どこの店で修行してたのってこと」

チリワインを片手に上機嫌でオーナーと会話するワタルは、じっと自分を見つめる由里香の視線に気がついたのだろう。

にわかに熱っぽい目つきになったかと思うと、そっと体を寄せて耳元で囁く。

「由里香ちゃん、よくそんな安物のワイン飲めるね。

僕の部屋、ワインセラーがあるんだ。マッセート、シャトーラフィット、ロマネコンティ。このあと、僕の部屋に来て本当に美味しいワインを飲まない…?」

けれど由里香は、ワタルが近づいてきたのと同じだけ体を遠ざけると、張り付いたような笑顔を浮かべて言い放つ。

「ワタルさんって、好物はお鮨とイタリアンって言ってたけど…。本当の好物は“情報”なんですね」

キョトンとするワタルに別れを告げると、半分残っていたオーパス・ワンのボトルを手に取って、ひとり店を後にするのだった。



「あーあ、興醒め〜。いいワインが勿体無いわ。ひとり寂しく飲みながら仕事でもしますか…っと」

すっかり落胆した由里香が向かったのは、夜21時を過ぎたオフィスだ。

デスクで鼻歌を歌いながら、マグカップに無造作に注いだオーパス・ワンを飲んでいると、背後からボソッと声をかけられる。

「飲酒しながら残業ですか。いいご身分ですね」

「うわっ、星野くん!いつからいたの?」

「ずっと居ましたけど。で、俺の分もあります?」

そう言う星野の手には、マグカップが握られているのだった。




「これめっちゃ美味しいですね」

マグカップに注がれたオーパス・ワンを、星野は淡々と、ゆっくり大切そうに飲みはじめる。

「銘柄とか聞かないの?」

「いや、聞いてもたぶん知らないし。俺、美味しいってことしかわからないんで」

「ふーん、謙虚じゃん」

「美味しいんで、星100個ですよ。てか由里香さん、そのマグ、俺がむかし昇進祝いにあげたやつじゃないですか?」

知的なウンチクとは程遠い、気の抜けるような星野との雑談に、由里香はますますガックリと肩を落とす。

「はあ…。星野くんなんかじゃなくて、早く話の通じる夫と飲みたいわ…」

そう言いながらも、深夜のオフィスで星野と気楽に飲むオーパス・ワンは、不思議と先ほどよりも味わいが増したようにも思えるのだった。

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