「グレートジャーニーでした」

 ロジャー・フェデラーが、約24年間におよぶプロテニスプレーヤーの現役生活を終えた。41歳の決断だった。


2018年ATPファイナルズで対戦した時のフェデラーと錦織

「いつだって誰もが永遠にプレーしたい。僕は、テニスコート上にいることが大好き。選手たちとプレーすることも大好き。世界を転戦することも大好き。勝つことも、負けて学ぶことも、自分にとって苦痛だと感じたことは本当になかった。あらゆる面で自分のキャリアを愛していました。

 ある時期がきたら誰もが決断しなければいけないこともわかっていました。誰もがゲームから去らなければならないことも」

 2021年ウインブルドン準々決勝で敗れて以来、フェデラーはまったくプレーできておらず、彼のATPランキングはすでに消滅していた。

 現役最後の舞台が、ATPツアー公式戦ではなく、フェデラーのエージェンシーであるTeam8が中心になって作られたレーバーカップであることを意外だと感じた人も多いかもしれない。

 だが今回、会場となったイギリス・ロンドンにあるO2アリーナは、2009年から2020年まで男子ツアー最終戦・ATPファイナルズの会場として使用され、フェデラーにとっては思い出の多い場所であった。

 さらに、レーバーカップ独自のフォーマットであるチーム戦ならではの恩恵もあって、フェデラーが属するチーム・ヨーロッパには、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチ、アンディ・マリーと、いわゆるテニスの"ビッグ4"が集結した。

 そして、最後のプレーは、公式戦ではまずあり得ないナダルとのドリームダブルス。これ以上整った舞台は考えられない環境で、フェデラーは最後の挨拶を行なった。

「悲しくはありません。最高の気分です。試合中にケガをしそうで心配だったけど、最後までできてとてもうれしい。アメイジングジャーニーでした」

 妻のミルカさんや両親、フェデラーのコーチを務めたステファン・エドバーグさんに感謝を述べる際には大粒の涙を流したが、コートを一周してファンに別れを告げ、ジョコビッチをはじめとした選手たちにコート上で担ぎ上げられた時には笑顔も見せた。

最強なのに謙虚な姿

 永遠に勝ち続けることなどありえないのに、それも可能ではないかと思わせるほど圧倒的な強さを披露したのが、フェデラーだった。男子プロテニス界で、史上最強のオールラウンドプレーヤーと称され、テニス史に数々の金字塔を打ち立てた。グランドスラム20勝、ツアー優勝103回、マスターズ1000大会優勝28回、ツアー最終戦出場17回(大会史上最多)、ツアー最終戦優勝6回(大会史上最多)、世界ナンバーワン在位310週、世界ナンバーワン連続在位237週、年間ナンバーワン5回。

 2005年には、年間通算成績81勝4敗となり、ジョン・マッケンローが1984年に樹立したツアー年間最高勝率9割6部5厘(82勝3敗)まであと1つに迫った。さらに2006年には、年間通算成績は92勝5敗で、これはフェデラーがシーズンに挙げた最多マッチ勝利数となった。そして、2009年には、4大メジャーを全制覇するキャリアグランドスラムを達成した。

"フェデラー時代"を築き、多くの記録を残したが攻撃的なテニスとは対照的に、いったんプレーから離れれば、彼はいつも謙虚であった。たとえば、2011年男子ツアー最終戦で優勝し、新記録となる6回目の優勝を成し遂げ、5回優勝のイワン・レンドルとピート・サンプラスを抜いた時、本人はあくまでも控えめだった。

「かなりうれしいし、本当に誇りに思う。でも、自分がサンプラスやレンドルより優れているとは思わない。比較してもらうのはうれしいけど」

 また、フェデラーほど世界中で愛された選手はいないのではないだろうか。どの国、どの大会、どの会場でもファンから愛情のこもった拍手や声援を一身に受けた。

 人気が高かった理由のひとつに、フェデラーのテニススタイルが挙げられる。彼は美しいテニスを体現できる数少ない選手のひとりだ。流れるような華麗なテニスに魅了されたファンは実に多い。特に、現代テニスでは少数派になった片手バックハンドストロークのスイングは秀逸で、フォームはまるでバレリーナのようなしなやかな端麗さがあり、同時に非凡な才能の輝きも感じられた。

 2013年に成績が振るわなかったフェデラーを再浮上させたのが、2014〜2015年にフェデラーのツアーコーチを務めたステファン・エドバーグさんだった。エドバーグさんは、フェデラーの子供時代のアイドルだ。

 もともとフェデラーは、サーブ&ボレーを多用する選手だったが、ナダルやジョコビッチの強力なリターンやパッシングショットに対してネットプレーは分が悪くなることが多くなり、ベースラインでの打ち合いを重視するようになっていった。だが、エドバーグコーチは、再びフェデラーにネットプレーをなるべく多く使うようにアドバイスして、攻撃的なプレーを最大限に引き出し、成績も再び上向いた。

 ちなみに、フェデラーのラストマッチで、試合前のコイントスを務めたのがエドバーグさんで、実に粋な計らいだった。

 フェデラーのテニスキャリアにおいて、大きなケガはないというのが彼の特徴のひとつでもあったが、2016年2月、34歳の時に初めて左ひざの手術を行なった。幸いにして戦列復帰は早かったが、当時次のようなコメントを残している。

「手術をしなければならないと聞いた時は、とても悲しかった。医者を信じるしかなかった。麻酔から覚めて、自分のひざを見た時、自分の足ではないように感じた」

 その後は、2020年2月に右ひざの手術、6月に再手術。2021年8月には右ひざの3度目の手術行なった。当時40歳のフェデラーは、「僕の一番の動機は、日常生活に必要なコンディションを取り戻すことだった」と語り、自分の引退が近づいていることを悟ったかのようだった。

錦織圭にとって尊敬すべき存在

 2017年の全豪オープンで、当時35歳ながら復活優勝できたことを、フェデラーは思い出深い出来事のひとつとして挙げている。

 決勝の相手は、長年の好敵手であるナダルだった。彼もまた、2016年に左手首のじん帯を痛めるケガをしたが、フェデラー同様に難局を乗り越え、決勝の舞台に辿り着いたのだった。決勝は、3時間38分におよぶ5セットの名勝負となったが、フェデラーが5年ぶりとなるグランドスラムタイトルを獲得した。

「ふたりともに勝者にふさわしい試合だったけど、テニスには引き分けがないんだよね。それは時には残酷なことだ」

 決勝後にこう振り返ったが、4回戦では錦織圭(当時5位)とグランドスラムでの初対決が実現していた。

 4回戦は、3時間24分におよぶ5セットの激戦となったが、フェデラー(当時17位)は、錦織を破った瞬間にまるで優勝したかのようにコーチたちに向かって目を見開きながら雄叫びを上げ、飛び上がって喜んだ。結果的に、錦織からのこの勝利は、"ミラクル・フェデラー"復活優勝へのトリガーになった。一方、敗戦直後に錦織は次のようなコメントを残している。

「フェデラーも、ふと35(歳)かと思った。自分が35になった時、あれだけの体とモチベーションで戦えるのかなと、ちょっと想像したりはしました。すごいな、とシンプルに思った」

 錦織は、ジュニア時代から現在も、フェデラーをずっと尊敬し続けている。はたから見ていると、ちょっと尊敬しすぎなんじゃないかと思うほどだが、それだけ錦織にとって別格なのだ。

 フェデラーと最後の対戦となった2019年ウインブルドン準々決勝では、試合後に、「ここでやれてよかったですね。負けはしましたけど、強いフェデラーとやれたというのはすごくいい経験になったと思います」と錦織は振り返り、言葉の端端からは、いつまでも強くあってほしいという、変わることのない尊敬の念がにじみ出ていた。

「これで終わりではなく、人生は続いていく」と語るフェデラーは、今後のプランがまだ決まっていないとしながらも、おそらく何らかの形でテニスに携わっていくのではないだろうか。世界のテニス界に影響力の大きいフェデラーなだけに、そう望んでいる人々は多いはずだ。

 2009年、27歳の時のウインブルドン優勝で、ピート・サンプラスの記録を抜き、15個目のグランドスラムタイトルを獲得して、男子テニスの新記録(当時)を樹立したが、それ以降のことは、自分にとってボーナスのようなものだったと吐露する。

「15個目からさらに5回グランドスラムで優勝できてうれしいです。僕にとっては信じられないことだった。自分が長く活躍できたことをとても誇りに思います」

 あらためて稀代なるフェデラーのプレーを約24年間も目撃できたこと、そして同じ時代を生きて感動を共有できたことが、本当に幸運だったと感じる。

「すべての記録がなくても、ハッピーなんじゃないかな。僕はそう言いたい」

 引退会見で最後に残した言葉が、また謙虚なフェデラーらしく、心地よい余韻が残った。

 さらば、愛しきロジャー・フェデラー。

 今、テニス史のなかでひとつの時代が終焉を迎えたが、フェデラーのレガシーは永遠に語り継がれていくだろう。