Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

ガンバ大阪 パトリック インタビュー 前編

後編「日本サッカーを理解し頑張ってきた10年」>>

Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回はガンバ大阪のストライカー、パトリックをインタビュー。熱心に日本語を勉強していることで知られているが、その理由や勉強の様子を聞いた。

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今年来日10シーズン目

 Jリーグに数多く在籍するブラジル人選手のなかで、もっとも日本に馴染もうとしている選手と言えば、現在ガンバ大阪でプレーするパトリックではないだろうか。


日本語を熱心に学ぶガンバ大阪・パトリックが、その理由を語ってくれた

 2013年に母国のアトレチコ・ゴイアニエンセから川崎フロンターレに入団したアタッカーは以降、ヴァンフォーレ甲府、G大阪、サンフレッチェ広島、再びG大阪で活躍。今年、来日から節目の10シーズン目を迎えている。

 Jリーグで通算9年以上過ごしている外国籍選手はほかにもいるが、すべてJ1でプレーしてきた現役のストライカーはパトリックだけだ。その間、2014年にはシーズン途中に加入したガンバの国内3冠に貢献し、リーグのベストイレブンとリーグ杯の最優秀選手に輝いた。

 また広島に在籍した2018年には、全公式戦で24得点を記録している。本稿執筆時点のJ1通算出場試合数はブラジル人として歴代8位の258、J1通算得点数は同7位の84。いずれも現役の選手としては最多だ。

 そんな経歴もさることながら、パトリックほど熱心に日本語を学んでいるブラジル人選手は、おそらくほかにいないだろう。4年ほど前から日本語の勉強を始め、自身のSNSでファンに添削を依頼したりもしている。

 偶然にもちょうど今、リスボンでポルトガル語を学んでいる筆者とオンラインでインタビューをすることになったわけだが、どちらもまだ流暢に相手の母国語を話せるわけではないので、クラブの通訳の方を介して会話した──それでも時折り、パトリックは日本語を織り交ぜながら。

「今こうして日本で10年目のシーズンを送ることができているのは、日本や日本の人々がサポートしてくれているからこそだと思います。本当に感謝しています」とパトリックは語る。

「日本の人々にそんな気持ちを伝えて、恩返しをするには、日本語を覚えることが大切だと思いました」

「レストランで注文できるとすごく嬉しい」

 筆者にとってポルトガル語が難しいように、パトリックにとっても日本語は簡単ではない。それでもモチベーションが落ちることはないようだ。

「とくに難しいのは、が、を、の、て、に、は(などの助詞)や、接続詞。つけかたを間違えたり、つけ忘れたりすることはしょっちゅうありますが、周りのみんなはそれでも理解しようとしてくれます。

 やっぱり自分の口で、チームメイトやサポーターをはじめ、日本の人々と直接コミュニケーションを取りたいんです。あと現役を引退したあとも、日本で仕事をしたいと考えているので、今後にも役立つと思っています。

 勉強法としては、動画の授業をひと通り買って、時間のある時にそれを見て学ぶのがひとつ。もちろんノートもつけていて、今では4冊くらいが日本語で埋まっています。あと最近、日本語の先生とのプライベートレッスンを始めることができて、すごく助かっています。その先生はポルトガル語を少し話しますが、基本的には日本語だけでコミュケーションをするようにしています」

 最近では、少しずつ上達してきたことを感じる時もあるという。語学を習得している際の特別な喜びは、同じように学んだことがある者にはよくわかるものだ。

「ひらがなとカタカナはすべて読み書きができるようになり、たとえばレストランでメニューを読めて注文できた時は、すごく嬉しいですね。もちろん、日本人の誰かと直接自分でコミュニケーションができた時や、新しい言葉を覚えた時も。

 さっきも、ちょうどロッカールームで仲間とサッカーの映像を観ている時にみんなが『おかしい、おかしい』と言っていて、その意味がわからなかったので、まず携帯にメモしてあとで調べました。『今のプレーはおかしい』というのが、どんな意味なのか、今ではわかっています。

 練習や試合でも日本語を使うようにしていて、たとえば早くパスをもらいたい時に『早い、早い』と言ってしまっていたら、そういう場合は『早く、早く』と言うんだよと、チームメイトが訂正してくれたりします。とくにタカシ(宇佐美貴史)、ヒガシ(東口順昭)、シュウ(倉田秋)とは、日本語で話すことが多いです」

「息子は、自分のことも日本人だと思ってるよ」

 そしてもうひとり、パトリックに日本語を教えてくれるよき先生がいる──11歳の息子、フェリペくんだ。

「(彼は)ブラジルで生まれたけど、1歳で日本に来たので、幼稚園から小学校までずっと日本よ」と、ここでパトリックは日本語で説明し始めた。

「日本語も普通にずっと喋ってるね。友だちも日本人だし、自分のことも日本人だと思ってるよ。いずれ、日本のパスポートを取りたいみたいだね。そしてガンバのスクールでサッカーを頑張ってるから、プロや日本代表になれればいいね」

 パトリックがSNSに投稿している動画でも確認できるように、フェリペ君は将来が楽しみな少年だ。その年齢にして身長は160cm近くあり(足のサイズは27cmだというから、もっと大きくなるはずだ)、ガンバのアカデミーで9番をつけている。

「彼は今年、すべての試合を含めると、100ゴールくらい取っていると思います。ピッチでは自分と同じような動きをするので、観ていて面白いです。たとえばコーナーキックの時、ただ立っているわけではなく、少し下がってから走り込んで頭でボールを叩き込んだり。そういうのを観ると、嬉しいですね。

 でもあまり褒めすぎないようにしています。天狗になってしまってはいけないので。『今日の試合どうだった?』と訊かれたら、『よかったけど、もっとゴールできたんじゃないかな。こういうところを伸ばせば、もっとよくなるよ』と言うようにしています。

 それにガンバの監督とコーチがいるので、練習や試合で自分は一切口出ししません。家ではアドバイスをしたり、一緒に考えたりしますけどね」
(後編「日本サッカーを理解し頑張ってきた10年」へつづく>>)

パトリック
Anderson Patric Aguiar Oliveira/1987年10月26日生まれ。ブラジル・アマパー州マカパ出身。ガンバ大阪のFW。2007年にパイサンドゥでプロデビューし、複数のクラブでプレー。2013年にアトレチコ・ゴイアニエンセから川崎フロンターレに移籍し初来日すると、その後ヴァンフォーレ甲府でもプレー。ブラジルに一時帰国後、2014年の途中にG大阪へ入ると、このシーズンのチーム3冠に貢献した。2017年途中にサンフレッチェ広島へ移籍し、2018年は得点ランキング2位の活躍。2019年途中にG大阪へ復帰し、今年は来日10年目を迎えた。