高校生の投資教育はなぜ始まったのか。ナイキの厚底シューズから見えるもの
奥野一成のマネー&スポーツ講座(1)〜高校球児にも投資教育!
市立集英高校の職員室。野球部顧問の奥野一成先生の机は奥まったところにある。入学式の翌日の昼休み、野球部の女子マネージャーで3年の佐々木由紀が、新入生・鈴木一郎を連れてやってきた。野球部に情熱をかたむける由紀は部員からの信頼も厚く、部員集めでも中心になっている。
由紀「先生、今年の野球部入部希望者、第1号の鈴木君です」
鈴木「よろしくお願いします!」
まだ少年の面影を残す鈴木がペコリと頭を下げた。歴史ある集英高校野球部だが、近年は進学校化したこともあり成績は低迷。部員集めにも苦労しており、最初から野球部に入ると決めている鈴木のような生徒は珍しいのだ。
由紀「鈴木君はうちの野球部で野球をやりたくて集英に入ってきたんですって」
鈴木「中学ではピッチャーで4番でした。集英で甲子園を目指したいです」
奥野「そうか、それは楽しみだね。僕は顧問だけど、野球の専門家ではないんだ。一緒にいろいろ勉強していこう」
奥野先生は38歳。中学、高校で野球をしていたこともあり、2年前に野球部の顧問を引き受けた。負担が多い運動部の部活動の顧問は忌避されがちだが、授業だけでは築けない生徒たちとの関係。コミュニケーションに面白味を感じていた。
由紀「先生は授業では家庭科を教えているのよ」
鈴木「家庭科? 僕は料理とかは裁縫は不器用だから苦手で......」
由紀「なら何が得意なの?」
鈴木「体育とか......」
ちなみに文部科学省によると、高校の家庭科は「実験・実習等の体験学習を重視し,衣食住の生活文化に関心をもたせ,生涯を通して健康や環境に配慮した生活を主体的に営むことができる科目」とされている。
奥野「家庭科といっても、いまは調理や裁縫ばかりではないんだけどね。今年からは投資の教育も始まるんだ」
鈴木「トーシ? 何それ?」
奥野「簡単にいえば、お金にまつわる知識ということかな」
鈴木「お金は好きです。興味あります。でも先生、なぜ高校でそんなこと教えるようになったんですか?」
「家庭科の授業っていうと、昔は調理実習とお裁縫というイメージだったのだけど、今はそれらに加えて、育児や介護、民法、ライフプランまで含まれていて、さながら生きていくための知恵を学ぶカリキュラムになっているよね。そのひとつとして、今年の4月から家庭科のカリキュラムに加わったのが金融教育なんだ。
ただ、投資教育、金融教育といっても、株式投資で大儲けするための方法を教えてくれるわけじゃないよ。そもそも『お金』って何なのか、上手にお金と付き合っていくにはどうすればいいのか、などを理解するためのカリキュラムと思ってくれればいい。
じゃあ、お金って何だろう。日本人のなかには、『お金=汚いもの』、『お金持ち=悪いことをやっている人』という先入観を持った人たちが、結構いる。お金に対して、かなりネガティブ思考なんだ。テレビドラマなどで『お金持ち=権力者=悪者』みたいに描かれるケースが多いからかなー。いつの間にか、そんなイメージが刷り込まれてしまっている。
でも、よーく考えてみて。お金が本当に悪いものだったら、僕たちは毎日、その悪いものを使って生活していることになる。そんなバカな話はないよね。お金そのものにはいいも悪いもないんだよ。結局、お金を持つ人次第のところがあって、ポジティブに捉えている人が持てばいいものになるし、ネガティブに捉えている人が持てば悪いものになってしまうんだ。
そして、僕たちは、世の中を少しだけでもいいものにしたいと願いながら日々、暮らしている。だとしたら、お金のことも、もっとポジティブに捉えるべきじゃないだろうか。
ということで、僕は『お金ってなんだろう』と聞かれたら、こう答えるようにしている。『お金はありがとうの印です』とね」
鈴木「ありがとうの印......ますますありがたい!」
由紀「お金って、たくさんあればあるほど、いろんなモノが買えるのはわかるけど......。どういうことですか?」
「お金って、『工場で汗水たらして働いた対価として給料をもらい、それを使って生活する』というくらいの概念でしか捉えていない人が大勢いるんだけど、そうじゃない。工場で働いているのは、そこで何か商品を組み立てているからでしょ。なぜ商品を組み立てているのかというと、一方にそれを買いたい人がいるからさ。
その商品を手にした人たちは、きっと『ああ、これを手に入れられてよかった』と満足するだろうし、実際に使ってみて、その便利さに感動するかも知れない。そしてきっと『ありがとう』っていう感謝の気持ちを、その商品を作った人たちに対して抱くはずなんだ。だから、その商品を買うために払ったお金は『ありがとう』の印ってことになる。
そうやって、大勢の人たちが喜んでくれる商品やサービスを提供できた会社には、どんどんありがとうの印が溜まっていく。これが『売上』であり『利益』になる。
たくさん利益を上げていると、『きっとあの会社は良からぬことをやっているに違いない』などと言う人もいるんだけど、それは大きな勘違い。利益をたくさん上げているということは、それだけお客様や社会の課題をたくさん解決して、感謝されているからにほかならない。しかも、その利益が毎年どんどん増えている会社は、持続的に社会の課題・問題を解決していることになる。実は利益って、とっても偉大なものなんだ。
スポーツ用品メーカーのナイキが出している、『ヴェイパーフライ』というランニングシューズ、あるでしょ。お値段3万円。高いよねー。普通のスニーカーだったら、そんな値段にはなりません。
おそらく10年くらい前のランニングシューズといえば、軽くて、靴底が薄いものが一般的だったけど、『ヴェイパーフライ』は昔のランニングシューズだったら考えられないくらい厚底です。まさに常識を覆したと言っても過言ではないでしょう。
余談だけど、『ヴェイパーフライ』の分厚い靴底には、カーボンプレートが入っていて、これがランナーを前へ前へと進める推進力の増強と、疲労の軽減を両立させるんだ。ランナーからすれば、自分の記録はどんどん更新できるし、疲労も軽減されるということで、待ちに待ったランニングシューズだったというわけ。
ナイキは『ヴェイパーフライ』を通じて、まさにランナーの課題を解決したんだね。だから『ヴェイパーフライ』は1足3万円という強気の価格設定だったにもかかわらず、世界中で人気商品となり、ナイキの売上に貢献したんだよ」
鈴木「先生、ますますお金が好きになりました」
由紀「でも実際にお金を稼ぐのって、大変なことなんじゃないかしら」
「鈴木君は『お金が好き』って言ったけど、そのお金は自分ひとりで部屋にこもっていて、自然のうちにどこからか入ってくるようなものでは、決してない。世の中、つまり社会の人々と接点を持つことによって、初めて得られるものなんだよ。
よく『俺は自分の実力で稼いでいる』なんて、得意満面に言う人がいるんだけど、これは勘違い。もちろん、ある程度のスキルや実力は必要だけれども、それが何らかの形で世の中の人々の役に立っているから、給料がもらえるんだ。
ユーチューバーだって、自分でカメラを用意して映像を上げるだけでは、ちっともお金にならない。上げた映像を観た人が楽しんでくれて、リピーターになり、再生回数が数十万、数百万に達して初めて、お金を得ることができる。
自分自身で稼いだお金は、君たちが社会と接点を持っている証、と言ってもいいだろうね。そんなことを頭に置いて家庭科の授業に臨むと、金融の勉強も少しは面白くなるかも知れないね」
【profile】
奥野一成(おくの・かずしげ)
農林中金バリューインベストメンツ株式会社(NVIC) 常務取締役兼最高投資責任者(CIO)。京都大学法学部卒、ロンドンビジネススクール・ファイナンス学修士(Master in Finance)修了。1992年日本長期信用銀行入行。長銀証券、UBS証券を経て2003年に農林中央金庫入庫。2014年から現職。バフェットの投資哲学に通ずる「長期厳選投資」を実践する日本では稀有なパイオニア。その投資哲学で高い運用実績を上げ続け、機関投資家向けファンドの運用総額は4000億を突破。更に多くの日本人を豊かにするために、機関投資家向けの巨大ファンドを「おおぶね」として個人にも開放している。著書に『教養としての投資』『先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか?』『投資家の思考法』など 。