元レフェリー・家本政明が明かすJリーグですごかった担当試合。「胃がキリキリする緊張感」を感じた一戦とは?
元審判・家本政明が担当した忘れられない試合 レフェリー視点編
昨年Jリーグのレフェリーを引退した家本政明さんに、ピッチ上のいちばん近い位置から見てきたなかで忘れられない担当試合を挙げてもらった。ここではレフェリーの立場としての緊張感や覚悟など、様々な思いがあって記憶に残っているゲームを教えてもらった。
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胃がキリキリするような独特の緊張感2018年12月8日/J1参入プレーオフ決定戦
ジュビロ磐田 2−0 東京ヴェルディ
この試合は2008年以来、10年ぶりのJ1とJ2の入れ替え戦でした。それまでJ1昇格プレーオフのファイナルを担当したことはあったのですが、それはあくまでもJ2同士の対戦で、ゴーイングアップのトーナメントに近い試合です。
家本氏が「独特の緊張感を感じた」という2018年のJ1参入プレーオフ決定戦
でもこの参入プレーオフは生きるか死ぬか非常にデリケートで、どうにも例えようのない独特な空気感、緊張感に包まれた試合でした。翌年の参入プレーオフも担当させていただいたんですが、やはり10年ぶりというのもあって、この試合のメディアやサポーターの注目度は非常に高く、普段とは違う緊張感を持ってスタジアムに向かったのを覚えています。
私の戦前の印象では、東京ヴェルディのほうが有利だろうと予想していました。そう思う理由はいくつかありました。1つはプレーオフでのミゲル・アンヘル・ロティーナ監督のサッカーが非常によかったこと。もう1つは、こうした短期決戦は勢いに乗ったチームが強いのが常であること。
さらには、磐田の引き分け以上で残留というレギュレーション。東京Vは勝つしかないと心理的にシンプルなのに対し、磐田の引き分けでもいい条件から来るゆとりみたいなものが、逆にプレッシャーになるとも思っていました。
それから、このシーズンは磐田自身が苦しんだ末にプレーオフに回っていた点。以上のことから東京Vに流れはあるなと思っていました。
しかし、蓋を開けてみれば、立ち上がりから磐田が東京Vになにもさせなかった。これはすごいなと思ったのを覚えています。前編のナビスコカップ決勝・鹿島対G大阪でもお伝えしたように、一発勝負での入り方は、主導権を握る上で非常に大事なポイントです。
お互い慎重に入るのか、どちらかが先に行くのかなど、入り方にはいくつかパターンがあるものですが、この試合では東京Vが出ていきました。しかし、プレッシャーからかそれまでの試合とは違い、ちょっとバタバタしていて、その流れで磐田にPKを献上してしまいます。
先制点が非常に重要な試合で、それがPKによって決まる。この時、私は2016年のチャンピオンシップ第1戦・鹿島対浦和が脳裏によぎりました。あの試合も私が担当して、浦和の興梠慎三選手が、西大伍選手に倒されてPKを取り、それが決勝点となりました。
流れのなかでの得点では、その過程は選手が中心です。しかしPKの場合、それはレフェリーが判定するものなので、どうしてもレフェリーが試合に登場してしまいます。決定戦という試合で、レフェリーが登場するのは本当に嫌なものです。
前半41分にPKによって磐田が先制して、後半からどうなるかと思っていたんですが、その後も磐田が東京Vのよさを冷静かつ緻密にすべて潰し続けました。おそらく相当研究したんだろうなというのが伺えました。
そして80分に磐田が2点目を決めます。2−0のスコアは危ないとよく言われますが、2点目を決められて東京Vは下を向いてしまう選手が多く、プレーオフ1、2回戦からの勢いがポキっと折れてしまったような印象を受けました。
磐田の選手たちはとにかくひたむきにプレーし、プレッシャーに縮こまることもなく、J1という格上のチームが与えられたミッションを確実にこなしていった印象。逆に東京Vは萎縮してしまったと思います。
この試合の90分間は、リーグ戦やほかのカップ戦ともまったく違う、あまり心地よくない緊張感がずっと続いていました。試合終了の笛を吹いた時は、歓喜と安堵が入り混じったものがスタジアムを包んでいました。
レフェリールームに帰って、本当にため息が出ました。胃がキリキリするような独特の緊張感があった試合として非常に記憶に残っているゲームです。
自らレフェリング基準の舵を切った試合2019年2月16日/FUJI XEROX SUPER CUP 2019
川崎フロンターレ 1−0 浦和レッズ
2019年のゼロックス・スーパカップは、私にとって非常に大切で、思い出深く、ひとつのきっかけとなった試合です。
毎年行なわれるスーパーカップは、いよいよシーズンが開幕する前のお祭り的な試合である一方で、そのシーズンのレフェリングの基準を示す意味合いを持つ試合になっています。
毎年1月末になると、レフェリーは全体の研修会を行なうのが通例となっています。そこでは新しいレフェリングの基準の詳細を勉強したり、ディスカッションしたり、確認が行なわれます。それを経て、レフェリーは各クラブのキャンプへと赴き、指導者や選手たちとディスカッションや確認。質疑応答などで、新しいレフェリングのすり合わせをし、練習試合で実技テストのような形で調整をしていきます。
そしてシーズン開幕前の最終的なチェック、総仕上げがスーパーカップになるわけです。これはそうした傾向にあるという話ではなく、アセッサーのチェックが入り、レフェリー側のシステムとしてそういう位置づけとなっています。ですからメディアやサポーターの方々はもちろん、レフェリーとしても注目度の高い試合なのです。
ただ、それゆえ、スーパーカップは荒れがちで難しいと言われています。それはレフェリー側がお祭りとか、イベント的な要素を考慮することなく、とにかく「しっかり、きっちり、はっきりと判定基準を全体に示す」ことがレフェリーに強く求められている試合なんです。私が2008年に鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島の試合を担当し、大きく荒れて問題になったこともありました。
私はこの基準を示すことに注意が向きすぎて、年々その傾向が強くなる点に違和感を覚えていました。もっとJリーグの開幕にふさわしく、お祭り的で、フットボールを純粋に楽しめるイベントに変えなければいけないと思っていました。そうした流れを変えるきっかけになったのが、2008年以来の担当になった2019年のスーパーカップなのです。
この頃からJリーグは激しくエキサイティングなプレーを求めたり、アクチュアルプレーイングタイム(1試合中の実際にプレーする時間)を長くすることを目指したり、「魅力あるフットボールとはなにか」というのを謳っていました。
Jリーグはプレミアリーグやラ・リーガ、ブンデスリーガといった世界のトップリーグに入りたいという夢、ビジョンを持っています。それを実現するためには、今のレフェリングスタイルやプレークオリティでは到底追いつけない。
国内のレベルをヨーロッパ5大リーグの競技水準まで引き上げて、選手がヨーロッパに行かなくても十分に成長できる環境を作りたいと思っているわけです。
そこで選手には簡単には倒れずプレーを続けてもらうように促し、簡単には笛を吹かないとコミュニケーションを取りながら伝えていく。カードの基準も多少の幅がありながらコミュニケーションを取っていく。そういう方針をレフェリーはJリーグから言われるわけです。
私はそれにすべて従事するわけではないけれど、Jリーグがヨーロッパのプレークオリティに追いつくために、もっと基準を日本オリジナルではなく、世界トップレベルに沿ったものにしたい。そのためのレフェリング基準に思いきって舵を切った最初の試合が、2019年のスーパーカップだったわけです。
レフェリングをする時には選手に声が聞こえる距離感にこだわり、ファールかどうか見極めるための角度やポジションにもすごくこだわりました。その上で「こういう時は取らないよ」とジェスチャーや声で選手に伝え続けました。
私がファールを取らないとプレーが流れていくわけで、それが続いたあとに「家本さん、さっきのあれはさあ」と選手が言ってきても「あれはファールと思うかもしれないけど、俺は取らない。取らないから続けてくれ。詳しい話は試合後に話すから」と、続けるよう促しました。
選手はしぶしぶ納得して続けてくれました。その協力のかいもあってプレークオリティが高く、球際も激しく、攻守の切り替えの速いゲームになりました。選手たちがやりたいサッカー、サポーターのみなさんが見たいサッカーをレフェリーが邪魔することがなかった。フットボールのイベントとして、魅力あるゲームが実現できたと思います。
同僚のレフェリーや現場の人たちからは「すごいよね。よくあれだけ戦わせたよね」と非常に評価が高く、一方でアセッサーやレフェリーを指導する側には少し逸脱していたという評価をいただきました。
ただ、このスーパーカップをきっかけに、今は同じ基準を全体で共有できています。
私がなぜそこまで思いきって舵を切れたのか。それは、この時すでに2021年で辞めようと決めていたからです。あと3年で、Jリーグにいいものをお返ししたい。Jリーグの勝ちと魅力をもっともっと高めたい。そのために私はなにができるのか、なにを残せるか。そんな思いと、そのなかには2008年の禊のような思いも少しありました。
満足はしていませんが、レフェリーが悪目立ちすることなく、選手やファンが安心できるようなレフェリングができて、スーパーカップというお祭りを楽しんでいただけるような試合になったと思っています。