日本代表メンバー発表を前に菅原由勢が明かす切実な想い。「人生で一番難しい時期だった」
W杯本大会が近づけば近づくほど、日本代表に新たなメンバーが定着することが難しくなるのはいつものことだ。最終発表の前であっても、メンバーがある程度固定されていれば、早く準備に着手することができる。代表監督がそう考えるのは当然だろう。特に今回の森保ジャパンでは、代表活動のたびにおなじみの顔ぶれが招集されることが多く、そこに割って入ってカタールに行くことの難しさは容易に想像できる。
それでも、チャンスがゼロでないかぎりそこを目指す。菅原由勢の場合、昨年の東京五輪代表メンバーから最終的に落選した。五輪代表監督を兼任していた森保一監督とも、日本代表とも縁がなくなった。
だが、五輪後の2021−22シーズンは、所属するオランダ1部のAZで背番号2を与えられスタメンに定着。シーズン終盤まで試合に出場し続けた。チームはリーグ5位でフィニッシュ。この年にスタートしたヨーロッパカンファレンスリーグ(ECL)でも16強にまで進出している。菅原は紛れもなくチームを支える原動力のひとりだった。
しかし、シーズンの最終盤になって出場機会が減っていく。リーグ戦では32試合に出場したにもかかわらず、最終節は出場なし。リーグ戦終了後に行なわれた4試合のECL出場権をかけたプレーオフでも、途中出場にとどまった。本人は当時、「膝に違和感があった、でももう大丈夫」と語るにとどめていたが、5月30日の帰国直後に、東京で手術を行なった。カタールW杯日本代表入りの最後から2番目のチャンスだった6月のキリン杯メンバーには、招集されていたにもかかわらず、チームには合流できずに終わったのだ。
今季に入って、菅原はやっと負傷の状況や心境を明かしてくれた。
直近のトウェンテ戦は後半16分からの出場だった菅原由勢(AZ)
「サッカーをしたくてたまらない時期にケガしましたからね。プレーオフに、代表に......一番重要な時にケガ。しちゃいけないってわけじゃないですけど......」
その言葉の端々からは、こちらが思い描いた以上に切実な、落胆、悔しさ、そして自らへの情けない気持ちが伝わってきた。
死ぬほどプレーしたかった「自分にアタマにきましたね。あまりケガっていうものを公表したくなかったし、自分でケガしたわけだから、痛いと思ったとしても、やれると思ったらやるだけだという考えでした。チームの状況も含めて、(レギュラーという)立場的にも、やっぱり試合に出なきゃいけなかったし、タイミング的にも本当に最悪なタイミングで......。結局、手術しなければいけないケガでした」
当時は連日、負傷の状況や出場可能時間についてクラブと話し合いを行ない、日本代表ともコンタクトを取り合った。結局、言葉が通じて安心できる日本で最終的な診断を受け、手術を行なった。
「正直、代表を離脱(したくない)っていうのもずっと頭の片隅にはあったんです。死ぬほどプレーしたかった。代表って、やっぱ特別なものなので、多少のケガがあっても(加わりたい)っていうのは考えてたんですけど、日本を代表して戦う以上、80パーセント、90パーセントのパフォーマンスでピッチに立つべきなのか。それは自分の価値を下げることにもつながりかねないし、日本代表としてピッチに立つひとりとして、そういう選手が立つべきではないのかなとも(考えた)。すごく難しい時期でしたね。人生で一番難しい時期だったんじゃないかな、と思います」
診断は膝半月板の損傷で、本人が言うには「人より半月板が大きくて、少し剥がれちゃったのでそれを切り取っただけ」とのこと。結局、2カ月程度で戦線復帰は果たした。
8月7日のオランダリーグ開幕以降、AZはここまで国内、欧州合わせて10試合を戦っているが、菅原ははじめの3試合は出場がなく、その後の7試合は途中出場が続いている。
「見てもらったらわかるんですけど、別にケガしてたという感じはしないと思うんです。最初の復帰戦(8月18日)も、2分ぐらいでアシストできたし。目先に9月の代表があって、ワールドカップがあって、というので、ゆっくりできないんでね。ただ、やれることを毎日毎日クリアするだけです」
負傷箇所やフィジカルのコンディションについて、本人はもう問題を感じていないだけに、フラストレーションが溜まり、代表とW杯への思いが募る。
「代表はいつだろうと大きなものなので、自分のパフォーマンスを信じて、残された時間のなかで、限られた時間で(アピールしたい)っていうのはありますけど。自分が何ができるかというのを、まずは自分たちのチームに見せ続けていくというのが一番大事だと思う。ここまでの過程はかなりうまくいっているので、ここからだと思いますね。時間もあるようで、もうないので」
滑り込みでのカタール行きを信じて、AZで日々を積み重ねるだけだ。
6月のキリン杯を見る限り、菅原のプレーする右サイドバックのメンバー入りの可能性はゼロではないだろう。酒井宏樹が不動の一番手ではあっても、二番手としては山根視来もいるが、左の長友佑都を回すなど、森保監督も苦慮している感がある。菅原の場合、AZでは中盤起用もあれば、3トップの右のフォワードとしても起用されることもあり、その多機能性は大きな魅力になっている。本人も「左でもどこでも」と意欲を隠さない。
最後からの2番目のチャンス、6月のキリン杯は逃したが、大会直前のカナダとの試合を除き最後の代表活動(9月23日・アメリカ戦、27日・エクアドル戦)は、隣国のドイツで行なわれる。事実上、最後のチャンスと言っていいだろう。果たして菅原はそれをつかむことができるだろうか。