錦織圭が挑むテニス界の新秩序。新時代の扉を開けてから8年後、同じ全米OPで最年少19歳の世界1位が誕生した
2014年9月、ニューヨーク。
錦織圭が全米オープン準決勝で世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を破り、祝福の拍手を浴びながら青空の下で飛び跳ね喜びを爆発させたあの日から、8年の時が過ぎた。
錦織と反対側のドローを駆けあがってきたのは、準決勝でロジャー・フェデラー(スイス)を破ったマリン・チリッチ(クロアチア)。錦織、当時24歳。ジュニア時代からのライバルであるチリッチは、一歳年長の25歳。
輝かしい未来が待っていた当時24歳の錦織圭
『新世代の台頭』『新たな時代の始まり』
メディアはそのように書きたて、"ビッグ4"による独占時代から、新旧混在する混戦の時代への移行を予想した。
ただ実際には、その後の5年間、グランドスラムでタイトルを手にしたのは、ジョコビッチにフェデラー、ラファエル・ナダル(スペイン)とアンディ・マリー(イギリス)のビッグ4に、「プラス1」と呼ばれたスタン・ワウリンカ(スイス)の5名のみである。
2014年の全米オープンでチリッチが錦織との決戦を制して以降、次に"新チャンピオン"が誕生したのは、2020年の全米オープンでのこと。ビッグ4の牙城が風化するまで、時間にして6年、大会数としては実に22のグランドスラムを必要とした。
そして、今年9月のニューヨーク。
41歳のフェデラーはケガのため、35歳のジョコビッチはワクチン未接種のため、全米オープンに姿はない。混沌の色を強めた年内最後のグランドスラムで、頂点に君臨したのは、19歳のカルロス・アルカラス(スペイン)だ。それも、キャスパー・ルード(ノルウェー)との決戦を制して"史上最年少世界1位記録"まで樹立しての、堂々たる戴冠だ。
4回戦でフランシス・ティアフォー(アメリカ)がナダルを、ニック・キリオス(オーストラリア)がダニール・メドベージェフ(ロシア)を、そしてアルカラスがチリッチを破った時点で、今大会では"新グランドスラムチャンピオン"が誕生することが確定した。
さらにベスト4の面々を見れば、19歳のアルカラスを最年少に、23歳のルード、24歳のティアフォー、26歳のカレン・ハチャノフ(ロシア)と若い顔が並ぶ。4人の年齢の合計は92歳で、これは2008年の全米オープン以来の低い数字。ちなみにその時のベスト4とは、フェデラー(当時27歳)、ナダル(同22歳)、ジョコビッチ(同21歳)、そしてマリー(同21歳)だった。
「革命の舞台」全米オープン"ビッグ4"が初めてベスト4に顔を揃え、新時代の幕開けを告げたこの時以降、全米オープンにおいても彼らの支配が続いていたのは前述したとおり。
ただ、それでもこの大会こそが「革命の舞台」であり続けた。
2009年以降の優勝者を大会ごとに比べてみても、その傾向は明らかだ。
この間ウインブルドンでは、ビッグ4以外の優勝者はいない。全豪オープンと全仏オープンなら、ナダルにジョコビッチ、フェデラー、そしてワウリンカの4選手がトロフィーを掲げてきた。
ところが全米オープンでは、過去13大会で8名のチャンピオンが存在する。しかもそのうち、マリーを含む5名が、この大会でキャリア初のグランドスラムタイトルを掴み取っていた。
新しいものを求めるニューヨークっ子の性向が、このような潮流を生むのだろうか。いずれにしても、新ヒーローの誕生を望むこの町の空気感は、若い選手たちも敏感に感じ取っていた。
ルードは、ロッカールームの"チャンピオンウォール"に並ぶ歴代優勝者の写真を眺め、ふと「ここには、ほかのグランドスラムに比べて多くの顔があるな」と思ったという。特に一昨年のドミニク・ティーム(オーストリア)や昨年のメドベージェフの優勝は記憶に新しく、彼らとは年齢も近い。
「ならば、自分にもチャンスがある」
ルードが抱いたその思いは、多くの若手が共有した希望や野心だったはずだ。
今大会で「新時代の幕開け」を最も印象づけたのは準々決勝、5時間越えを記録したアルカラス対ヤニック・シナー(イタリア)の死闘である。
元世界1位のファンカルロス・フェレーロの愛弟子であり、ナダルに憧れ育ったアルカラスは、スペインテニス界の正統後継者。対して、「アイドルはフェデラーとジョコビッチ」というシナーは、ジョコビッチ的なベースラインの安定感と、フェデラーに似たしなやかな攻撃力を兼備する21歳。
錦織圭にテニスの未来を見たちなみに最近、イタリアが多くの有望な若手を輩出する背景にテニス専門チャンネル『スーパーテニス』の影響があるというのは、イタリア記者たちに共通する見解だ。同チャンネルは2008年にイタリアテニス協会によって設立され、男女ツアー大会や国別対抗戦を常に放映している。幼少期からビッグ4を中心とした超絶プレーをテレビで見て、彼らに憧れ育ったのがシナーたちの世代だ。
そんなふたりの対戦は、まさにナダル対フェデラーや対ジョコビッチを彷彿とさせ、同時に新時代の息吹をスタジアム中に散布する。明日のことなど頭になく、今この瞬間にすべてをかけるかのような一途な熱は、若さの特権的魅力だ。
試合が終わった時、時計の針は0時をとうに過ぎて、2時50分を指す。これは大会史上"最も遅く終わった試合"の新記録。なお、それ以前の記録は、2014年4回戦の錦織圭対ミロシュ・ラオニッチ(カナダ)戦である。当時24歳対23歳の死闘に、ファンはテニス界の未来を見ていた。
そのラオニッチもケガのため、ツアーを離れて久しい。ビッグ4とワウリンカも、各々がケガなどを抱え、全員が顔を揃えることは稀になった。
今年1月に股関節にメスを入れた錦織は、復帰予定時期だった「今夏」が過ぎ、最後にコートに立ってから11カ月が経とうとしている。
大挙する新世代が、ひとつの時代に幕を引こうとしているのは、間違いない。
ただ、今年の4大大会のうち、全米以外の3大会をナダルとジョコビッチで分け合っているのも、現然たる事実だ。3年前の人工股関節の大手術を経たマリーは、今大会の1回戦で世界27位、24歳のフランシスコ・セルンドロ(アルゼンチン)相手に、実に5年ぶりとなるグランドスラムでのストレート勝利を勝ち取っている。最終的に3回戦で第4シードのマッテオ・ベレッティーニ(イタリア/26歳)に敗れたマリーは、「自分がどこまで行けるのか試したい。それが今の僕のモチベーションだ」と前を向いた。
復帰を目指す32歳の錦織錦織はこの6月、復帰後の目標地点を問われた時、「ナダルやジョコビッチとトーナメントの後半で戦える、あの場所」と言った。幾度も対戦を重ね、その力を知るナダルやジョコビッチの立つ現在地を道標として、錦織は復帰への道を歩もうとしている。
錦織ら、あの頃の新世代がビッグ4の牙城に小さな穴をうがったのは、8年前のことである。
その穴に後進たちが飛び込み、ついに時代が動いた今も、錦織たちは立場を変え、だが変わらぬチャレンジャー魂で、"新たな秩序"へと挑んでいくはずだ。