広島の秋山翔吾がオールスターブレイク明けのセ・リーグで、キーマンになりそうな雰囲気を漂わせている。

 6月末にサンディエゴ・パドレス傘下の3Aエルパソを自由契約になって広島に加入した秋山は、7月8日の中日戦で999日ぶりにNPBの一軍戦に出場。タイムリーを含むマルチ安打を記録した。しかし、その後は本拠地デビュー戦となった7月12日のDeNA戦で4打席4三振とプロ入り初の屈辱を味わうなど、西武時代の安打製造機ぶりは鳴りを潜めた。


2004年に日本ハムへの入団を発表した新庄剛志

 ただ、そこで終わらないのが稀代のヒットメーカー。7月15日の巨人戦で2019年9月13日以来1036日ぶりとなるNPBホームランで勝利に貢献すると、7月22日のヤクルト戦では5打数4安打1本塁打、翌23日の同カードでも4打数3安打1本塁打と大暴れした。

打率も出場13試合で2割8分まで上げてきたが、オールスター前の最後の試合は下半身の張りで初の欠場。これは3年ぶりのNPB、初めてのセ・リーグの野球に適応するために全力で取り組んだ証しだろう。

疲れの出たタイミングでオールスターブレイクになるあたりは、野球の神様に見放されていないとも言える。ここから秋山のバットが"打ち出の小槌"と化していけば、「カープレッド」と「背番号9」への違和感もなくなっていることだろう。

 この秋山を含め、これまでMLBでプレーした野手は15人いる。松井秀喜とイチローは日本球界に復帰することなく引退したが、秋山以外にNPBに復帰した12選手はその後、日本球界でどんな足跡を残したのか振り返ってみよう。

 復帰第一号は、イチローと同じ2001年からMLBに挑んだ新庄剛志(現・北海道日本ハムファイターズ監督)だ。

 2003年のニューヨーク・メッツを最後に2004年から、古巣・阪神ではなく、本拠地を北海道に移したばかりの日本ハムのユニフォームに袖を通した。チームの顔として攻守はもちろん、それ以上にパフォーマンスで大活躍。2006年に44年ぶりの日本一を花道に現役を退いた。

史上初の両リーグGG賞受賞

 近鉄の主砲だった中村紀洋も(現・中日ドラゴンズ二軍打撃コーチ)、2005年はロサンゼルス・ドジャースでプレーした復帰組だ。ただし、2004年11月に近鉄が消滅したため、ドジャース移籍が決まるまでの所属となっていたオリックスが復帰先。2006年はオリックスでプレーしたものの、ケガで不本意な成績に終わった。

 年俸交渉で揉めて2007年1月に退団すると、育成選手として中日へ。開幕直前に支配枠契約を勝ち取り、サードのレギュラーとして存在感を発揮。日本シリーズではMVPに輝く活躍で、中日を53年ぶり2度目の日本一に導いた。その後は2009年から楽天、2011年から横浜・DeNAでプレーした。

 ソフトバンクがまだダイエーだった頃、ドラフト1位でプロ野球人生をスタートした2選手も、MLBからの復帰先は古巣以外の球団を選んだ。

 1997年ドラ1で、2005年からシカゴ・ホワイトソックスでMLBキャリアを歩んでいた井口資仁(現・千葉ロッテマリーンズ監督)は、2009年にフィラデルフィア・フィリーズからロッテに加入した。

 復帰2年目の2010年は、リーグ3位からクライマックスシリーズでリーグ優勝のソフトバンクを下し、日本シリーズでも中日を破って「史上最大の下剋上」を達成したチームの中心として活躍。現役は2017年で引退したが、日本球界在籍期間はソフトバンクでの8年を超える9年だった。2018年からは監督としてロッテを指揮している。

 もうひとりの城島健司も、2006年から4シーズンをシアトル・マリナーズで過ごすと、2010年に新天地として阪神を選択。1年目は全試合に出場して打率.303をマークし、捕手としてセ・リーグ最多安打を更新する。守備でも史上初めてセ・パ両リーグでのゴールデングラブ賞に輝くなど存在感を示した。

 だが、シーズン終盤に痛めた左ひざのケガによって、翌年以降は苦しんだ。手術した左ひざに加え、右ひじや腰にも故障を併発し、2011年は38試合で打率.189、2012年も椎間板ヘルニアや肉離れによって24試合で打率.179と不本意な成績に終わった。契約を1年残しながら、「捕手としてプレーできないのなら」と任意引退の道を選び、ユニフォームに別れを告げた。

復帰1年目でキャリアハイ

 MLB経験者が初めて古巣に復帰したケースが2010年の田口壮(現オリックス・バファローズ外野守備・走塁コーチ)だ。2002年からセントルイス・カージナルスに6シーズン在籍し、2006年にはワールドシリーズ優勝を経験。その後はフィリーズやシカゴ・カブスで2009年までプレーし、41歳になる2010年からオリックスに復帰した。

 ただ、田口が最初に在籍した時代のチーム名は「ブルーウェーブ」だったが、復帰時は近鉄との合併後だったので「バファローズ」。ちなみに、MLB移籍前の背番号は6だったが、再加入後は33をつけた。

 代打や左投手対策でのスタメン起用が主で、2010年は53試合で打率.261、2011年は62試合で打率.273の成績を残したが、右肩故障などにより戦力外通告。野球解説者を経て2016年から古巣で指導者として現場復帰し、二軍打撃コーチや二軍監督を経て、2019年から一軍コーチを務めている。

 古巣へ復帰したMLB野手は、ほかにも田中賢介、川粼宗則(現・栃木ゴールデンブレーブス)、青木宣親(現・東京ヤクルトスワローズ)がいる。

 田中は2013年にMLBのサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍し、2014年はテキサス・レンジャーズ傘下3Aでプレー。2015年から古巣の日本ハムに3年ぶりに復帰し、移籍前までつけていた背番号3を背負った。

 復帰1年目はキャリア最多の66打点を稼ぐ勝負強さを発揮し、守備でもベストナインに輝いた。2016年は主軸打者としてリーグ優勝、日本一に大きく貢献する。2018年からは代打や指名打者での起用が増え、2019年かぎりで現役を退いた。

 川粼は2012年にマリナーズに移籍し、その後はトロント・ブルージェイズやカブスで2016年までプレー。2017年3月にカブスから自由契約となり、6年ぶりに日本球界に復帰。移籍前の背番号52と推定年俸9000万円で古巣ソフトバンクと契約する。

 ショートには今宮健太が定着していたこともあり、セカンドなどで42試合出場して打率.241の成績を残した。ケガによるコンディション不良などの理由から2018年に自由契約。2019年は台湾プロ野球で選手兼任コーチとして2年ぶりにプレー。2020年から独立リーグ・栃木ゴールデンブレーブスに所属している。

新興球団・楽天が受け入れ先

 2012年のミルウォーキー・ブルワーズを皮切りに、2017年までMLB7球団を渡り歩いた青木は、2018年にヤクルトに復帰。40歳になった今シーズンも首位を走るヤクルトの主力としての活躍は御存知のとおりだ。

 2004年創設の新興球団がメジャーリーグ帰りの日本人選手の受け入れ先になったのが、2010年オフだった。田尾安志、野村克也、マーティ・ブラウンの流れを経て、楽天の監督に星野仙一が就任する。

 2011年から楽天のユニフォームで、2004年からメッツなどでプレーした元西武の松井稼頭央(現・西武ライオンズヘッドコーチ)と、2007年かタンパベイ・レイズなどでプレーした元ヤクルトの岩村明憲(現・福島レッドホープス球団代表兼監督)が、星野監督のもとでプレーすることになった。

 松井は東日本大震災のあった1年目のシーズン前半戦こそ適応に苦しんだが、夏場から本領を発揮。8月には月間MVPを獲得するなど、終わってみれば139試合出場でチーム3位の打率.260、同2位の9本塁打、同1位の48打点と主力としての働きを見せた。

 その後も2015年までレギュラーで活躍したが、2016年からベンチを温めることが増え、古巣の西武にコーチ兼任プレーヤーとして復帰した2018年かぎりで現役引退。2019年からは西武で二軍監督、今季から一軍ヘッドコーチを務めている。

 もうひとりの主力として期待された岩村は、1年目のシーズン序盤に打撃不振に陥ると、守備でも精彩を欠いて二軍落ち。定位置を失って77試合175打数32安打の打率.183。2年目も開幕から二軍暮らしが続き、一軍では26試合67打数14安打の打率.209と寂しい成績に終わった。

 その後、2013年からヤクルトに復帰して2年在籍したが、往年の打棒を取り戻せずに戦力外通告。2015年から独立リーグの福島ホープスで選手兼任監督を務め、2017年かぎりで現役を引退した。

現役NPB選手は青木、福留、秋山

 2002年ドラフト1位でロッテに入団した西岡剛(現・福岡北九州フェニックス選手兼監督)は、2011年から2シーズンにわたってミネソタ・ツインズでプレー。2013年に日本球界への復帰を決意したが、奈良出身で高校時代は大阪桐蔭の4番だった男が復帰先に阪神を選ぶのは自然の流れだった。

 2013年は1番・セカンドでレギュラーとして122試合に出場して打率290。ベストナインも獲得した。ただ、翌年からはケガとの戦い。復帰してレギュラーを獲得しかけては再び故障という悪循環に苦しんだ。2018年かぎりで阪神の戦力外となりトライアウトにも参加。NPB復帰を目指して2019年からは独立リーグの栃木でプレー。2021年からは福岡北九州フェニックスで選手兼任監督を務めている。

 今年45歳の福留孝介は、2008年から2012年までカブスなど3球団でプレーしたのち、2013年に古巣・中日ではなく阪神に入団。1年目こそ故障の影響で63試合の出場にとどまったものの、2014年から2019年までレギュラーを張った。

 2020年シーズンに極度の打撃不振に陥って戦力外となると、2021年からは古巣・中日へ。今季は母校PL学園の先輩でもある立浪和義新監督のもと、開幕から代打の切札として起用されたが、結果を残せずに交流戦後から二軍降格となった。アトランタ五輪やWBCでも存在感を示した勝負強さを、再び一軍の舞台で発揮してもらいたいものだ。

 復帰組の野手を振り返って改めて思うのは、日本球界で一流になった選手だけがメジャー挑戦の土俵に立っているということ。これが投手なら二軍でくすぶっていたり、アマチュアから挑戦という道もあるが、野手にそれはない。そして、日本球界に復帰後は、故障などがないかぎりは、やっぱり一流としてのインパクトを残している。

 コロナ禍の難しい状況のなかでMLB挑戦した秋山も、再び身を置いた日本球界で一流選手らしい成績を残してくれることだろう。そうなればシーズン後半戦、「1強5弱」というセ・リーグの勢力図がよりスリリングなものになっていくはずだ。