アンリ・ル・シダネルの作品を見ると、美しさが体の中にしみ入るような感覚を覚える(写真:アンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、テラスの食卓》<1930年 油彩、カンヴァス 100×81cm フランス、個人蔵 ©Luc Paris>※一部抜粋)

フランス近代の画家アンリ・ル・ シダネル(1862〜1939年)の作品を見ると、不思議な気持ちになる。画面は概して暗く、地味と言われてもおかしくない。にもかかわらず、美しさが心の一角を占め続け、また見たくなるのだ。

SOMPO美術館の「シダネルとマルタン展」

2011年から12年にかけて全国5館を巡回する回顧展が開かれて以来、作品を目にする場は増えている。そんな折に、東京・新宿のSOMPO美術館で開催されている「シダネルとマルタン展」(6月26日まで)で、40点近くのシダネルの作品を見る機会を得た。

会場でシダネルの作品と向き合うと、美しさが体の中に穏やかにしみ入るような感覚を覚えた。たとえば、フランス北部の小村ジェルブロワに構えた日中の自宅のテラスを描いた《ジェルブロワ、テラスの食卓》は画面の半分以上が陰になっているうえ、人の姿が描かれていないにもかかわらず、人の温かみをじんわりと感じた。おそらく、そうした温かみが心に残り続けてきたのだろう。


アンリ・ル・シダネル《ジェルブロワ、テラスの食卓》(1930年 油彩、カンヴァス 100×81cm フランス、個人蔵 ©Luc Paris)

展覧会名に入っているもう一人の人名「マルタン」は、シダネルと親密な交流があった画家、アンリ・マルタン(1860〜1943年)を指す。作風はシダネルとは対照的で、基本的に明るい。そこで改めて考えさせられたのは、二人の画家を一つにくくる「最後の印象派、二大巨匠」という副題が同展についていることだった。

そもそも印象派とは

「印象派」は、彼らより20歳ほど年上のモネやルノワールが1870年代にフランスで起こした潮流だ。シダネルは印象派の要素を取り込んで独自の作風を開いたと言われ、マルタンは感覚的な表現から始まった印象派を理論的に探究して生まれた「新印象派」の画家の一人に数えられる。ともに、絵の具を混ぜずに点状に置く、印象派由来の「筆触分割」の技法を多くの作品で用いている。


アンリ・マルタン《マルケロルの池》(1910〜20年頃 油彩、カンヴァス 81.5×100.5cm フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション ©Galerie Alexis Pentcheff)

モネやルノワールは印象派画家としてスタートした1870年代に、それまでアトリエの中で絵を描いていた多くの画家のあり方を根本から変える。

チューブ入りの絵の具を持って屋外に飛び出し、現場で光あふれる風景を描いたのだ。屋外の風景を照らす光そのものを描いたと言ってもいいかもしれない。モネとルノワールが屋外で画架を並べて、近代文化の象徴だった蒸気機関車が走る風景を描いたこともあった。

一方、シダネルとマルタンは、「サロン」と称されるアカデミックな画壇組織の出身だった。1891年に二人が知り合ったのも、まさにサロンでのことだったという。印象派はそもそも、神話や物語を描くことを基本とするサロンのあり方に対抗して生じた潮流だった。しかし、シダネルもマルタンも、お互いを知った頃にはすでに屋外の風景を描いていた。サロンにも印象派の影響が押し寄せていたようだ。


アンリ・ル・シダネル《オーブリー、田舎の警備員》(左、1891年、個人蔵)、同《カミエ、砂丘の羊飼い》(右、1891年、個人蔵)の展示風景(撮影:小川敦生)


アンリ・マルタン《野原を行く少女》(=左の作品、1889年、個人蔵)の展示風景(撮影:小川敦生)

フランスの作家・詩人のアルフレッド・ドゥ・ヴィニーの詩に着想を得たというマルタンの《野原を行く少女》は、みずみずしさが目を引く作品だ。少女から生まれた色とりどりの花が背後に向けて帯状に散っているかのような描写は、ローマ神話に登場する花の女神フローラを思い起こさせる。

注目すべき点は、マルタンがこの作品で、屋外に降り注ぐ光を「筆触分割」に類する技法によって描き出そうとしていることだろう。マルタンには人間の内面の表現を旨とする「象徴主義」のもとで絵を制作した時期があり、詩に着想を得たことなどからこの絵はその例に数えられるのだが、同時に印象派の特質が表れていると見ていいのではないだろうか。

モネにもルノワールにもない境地

1930年前後のシダネルの作品には、印象派的な点描を効果的に使った秀作が多い。そのうちの一つ《サン=トロペ、税関》は、冒頭で挙げた《ジェルブロワ、テラスの食卓》と同様、画面手前の主要部分が心地よい日陰になっている。


アンリ・ル・シダネル《サン=トロペ、税関》(左、1928年、個人蔵)、同《ブリュッセル、グラン=プラス》(右、1934年、シンガー・ラーレン美術館蔵)の展示風景(撮影:小川敦生)

普通なら、奥に見える日当たりがいい風景を主役にするだろう。夜景は、さらに特徴的だ。《ブリュッセル、グラン=プラス》では、建物の明かりが実にほんのりとしたうるわしさを創出している。陰や夜景を描く際の絵の具のまぶし方が場をもやに包んだような効果を生み、そのもやに細かく反射する淡い光の描写が暖かさをにじませているのではないか。モネにもルノワールにもなかった境地である。その最たる作品が、《ヴェルサイユ、月夜》である。


アンリ・ル・シダネル《ヴェルサイユ、月夜》(1929年 油彩、カンヴァス 95×116cm フランス、個人蔵 ©Yves Le Sidaner)

シダネルは、自身が見出したジェルブロワとパリ近郊のヴェルサイユで後半生の大半を過ごした。どちらも北フランスにある。ヴェルサイユを描くにしても、なぜ、おぼろ月の下で目を凝らしてようやく存在がわかるような噴水をモチーフにしたのか。シダネルが描きたかったのは、月光のほの明かりが暗闇の中で安堵感をもたらしてくれるような自身の心情だったのだろう。


アンリ・マルタン《マルケロル、秋の蔓棚》=左、同《マルケロルの池》=右(ともに1910〜20年頃、フランス、ピエール・バスティドウ・コレクション)の展示風景(撮影:小川敦生)

印象派の残照の味わい深さ

一方のマルタンは、1900年に南仏のラバスティド・デュ・ヴェールに邸宅を構え、パリで壁画を描く仕事などをしながらも、折に触れて滞在していたようだ。《マルケロル、秋の蔓棚》や《マルケロルの池》は、その地で描かれた。

同じフランスでも、北部と南部では随分光が異なり、南仏はまぶしいほどに明るい。その違いを二人の画家の作品で比べられるのは、展覧会の趣向としてはなかなか面白い。二人の仕事は、印象派の残照とでも言うべきものだろう。残照もまた、味わい深いものであることをしみじみと感じる展覧会だった。

(小川 敦生 : 多摩美術大学教授)