首都高「K3」狩場線が開通した日 横浜公園〜新山下 -1984.2.2
38年前の2月2日、首都高神奈川3号狩場線の最初の区間が開通しました。
全通まではまだ道のり半ば
山下町付近の運河を越える首都高狩場線(画像:写真AC)。
1984(昭和59)年の2月2日。首都高神奈川3号狩場線の最初の区間である石川町JCT〜新山下間と、神奈川1号横羽線の横浜公園〜石川町JCT間が開通しました。
この路線は1970(昭和45)年に都市計画決定。横羽線や湾岸線、保土ヶ谷バイパスや横浜横須賀道路などを相互に繋ぎ、横浜市内の高速道路ネットワークを形成する性格を持つ路線として事業が進められました。
1960年代の首都高の整備方針をなぞるように、ルートは用地買収の影響が小さくなるよう、中村川上空をトレースするものとなりました。しかし地元の反対運動などの問題もあり、実際に着工するのは1980年代に入ってからでした。
そして38年前のきょう、山下町の港湾地区と横羽線が接続され、まずは周辺ふ頭の物流環境が改善されることになりました。
その後、本牧JCTで湾岸線と直結するのが1989(平成元)年。その翌年の1990(平成2)年に、ようやく狩場JCTまでが開通し、全通を迎えることになります。その後、東名から保土ヶ谷バイパスを経由して横浜駅、さらに千葉方面をむすぶルートとして、狩場線は重要な役割を担っています。