毎年、全国に20トン以上出荷する「宮下さんちの焼き芋」。限界集落から超ヒット商品が生まれた理由とは?(筆者撮影)

秋冬の風物詩といえば焼き芋。しっとり甘い「安納芋」や「紅はるか」などの品種が誕生して、ここ十数年は焼き芋人気がますます高まっている。スーパーや道の駅のみならず、コンビニ店頭でも焼き芋が売られるようになった。

全国一位のサツマイモ生産量を誇る鹿児島県。その鹿児島県大隅半島の山奥にある限界集落に、全国からファンを集める焼き芋を製造・販売する「宮下商店」がある。


宮下さん一家。2代目の省司さん・康さんご夫婦と3代目の直弥さん(著者撮影)

2008年にわずか10パックの販売からスタートして、垂水市スーパー3店舗、道の駅、鹿児島市内のスーパーやデパ地下、通販、ふるさと納税の返礼品とじわじわと販売網を拡大していった。現在、12月〜4月にかけての焼き芋シーズンは、20トン以上の焼き芋を売り上げる。

いかにして、限界集落からヒット商品は生み出されて広がったのだろうか? その理由を探るべく宮下商店を訪ねた。

住民100人に満たない限界集落

宮下商店は高隈山系の中腹、大野原(おおのはら※)集落にある。1914年の桜島の大噴火で避難してきた人たちが移住、開拓してできた小さな山間集落だ。最盛期には500人を超える住民がいたが、少子高齢化、人口流出が進み現在は100人に満たない。

そんな限界集落にある宮下商店は1950年に創業し、今年で72年目。親子孫と3世代に渡って、地域の人たちの“暮らしの困りごと”を解消するような仕事を手掛けてきた。

生活に必要な日用品や食料を販売する宮下商店を始め、車社会のこの地域で欠かせないガソリンスタンドの運営や地元バスの運転手、さらにはジャパンファームの鶏肉販売、焼き芋の製造・販売と多岐にわたって仕事をしている。近くの工場への燃料配達需要などもあって、宮下商店の収入の一番の柱はガソリンスタンド運営だ。

集落の人にとっては「困ったときの宮下商店」として頼られ、買い物がてら宮下さん一家と雑談を交わす社交場的な役割も備えている。取材中も差し入れを持った地元の方や焼き芋を買いに来た人など、ひっきりなしにお客さんが訪れて会話が交わされていた。

宮下商店が焼き芋の販売を始めたのは、2008年。大野原集落に昔から伝わる「つらさげ芋」を生かした取り組みだった。

集落では冬になると、サツマイモの蔓を束ねて軒先に吊るす「つらさげ芋」が盛んに行われる。1カ月以上寒風に晒すことによって芋の水分が抜かれ、デンプンが糖に変化して、甘く持ちのいいサツマイモに変化するのだ(※現在はつらさげ芋だけでなく湿度・温度管理を行った倉庫で1カ月以上熟成させた「熟成芋」も使っている。つらさげ芋と同じ位甘くておいしい)


「つらさげ」とは、方言で芋の蔓を「つら」と呼ぶことからついた呼称(提供:宮下商店)

糖度の高いつらさげ芋は、焼き芋にぴったりだった。

「集落の人たちは、つらさげ芋をゆでたりふかしたりして食べていました。でも焼き芋にする人はいなかったので、やってみようと始めました。焼き芋は持ちもよくなるし、味や匂いも全然違う」


焼きたてのサツマイモは蜜が垂れて、香ばしく甘い匂いがする(筆者撮影)

いろんな焼き方を模索した。機械を買って石焼き芋にもチャレンジしたが、外がパリパリになりすぎた。最終的に芋のしっとりねっとり感が生きるガスオーブンを採用。そうしてできたものを「宮下さんちの焼き芋」の名前で販売開始した。

ホクホク系からしっとり甘い系へ

しかし焼き芋の販売は、順調な滑り出しではなかった。店先と垂水市タイヨーの地産地消コーナーで販売したが、最初の頃は全然売れなかったという。

「10パック並べて2パックしか売れない日が続きました。でも買った人がおいしいと思ってくれたんでしょうかね。徐々に全部売れるようになりました」


「宮下さんちの焼き芋」(筆者撮影)

その少し前、焼き芋の世界にも変化が起きていた。1990年代後半ごろからサツマイモの品種改良が進み、従来のホクホクした食感のサツマイモから、しっとりねっとりとして甘みの強い品種が生まれていた。

その代表格・安納芋(1998年品種登録)の誕生によって、人々の焼き芋への認識に大きな変化が起きた。スイーツ感覚で食べられる焼き芋は、わざわざ店や通販で買い求めるものに。さらに、健康志向の高まりもそれを後押し。焼くだけのシンプルな調理法の焼き芋は、ヘルシーでおいしいおやつとして注目を集めるようになっていた。

宮下さんちの焼き芋はそのような背景の中、誕生した。時代の潮流にのって徐々に人々から愛されるようになっていく。

サツマイモの種類は、当初は安納芋を使っていたが最終的に紅はるか(2010年品種登録)にたどり着く。焼き芋にしたときの糖度は50度以上にもなる。

「焼き芋は冷えると硬くなります。紅はるかはねっとり感が強くて、冷めても硬くならずにしっとりしていておいしい。家族でいろいろ試したけどこれが一番でした」

リピーターと口コミの力で全国で愛される商品に

昔のホクホクした焼き芋しか馴染みのなかった人たちにとって、宮下さんちの焼き芋の滑らかな食感や甘さは驚きだったようだ。

「焼き芋を気に入ってくれたおばあちゃんから『あんたげの(あなたのところの)焼き芋は、はちみつを混ぜちょっどが』なんて言われたりしました(笑)」

人気が広まっていき、垂水市内のスーパー3店舗、道の駅、鹿児島市内のスーパーと販売網が拡大。売上増に伴い、サツマイモは自家農園だけでなく、鹿児島の契約農家から購入する体制を整え、毎年サツマイモのシーズンには20トン以上もの芋を焼く。わずか10パックで始めた小商いが、宮下商店の商売の柱になっていく。

宮下さんちの焼き芋が今に至るまで、一貫して大きく影響してきたのはリピーターと口コミの力だ。一度食べてファンになった人が定期的に買い求め、さらには周囲の人にも勧める。「あの人にも食べさせてあげたい」と県外に住んでいる家族や知人に送り、そこを起点に県外からの問い合わせも増えていった。

「電話で問い合わせがきて『東京にも送ってもらえますか?』と。最初は県外の人がなぜ知っているのかと不思議に思っていましたが、聞いてみると、誰かからもらったり評判を聞いたりして注文してくれたみたいです」

県外からの問い合わせ増を受けてネットショップをオープン。ふるさと納税での取り扱いも始まった。


ネットショップオープン後も、電話やFAXの注文方法はそのまま。年配の方はネットに不慣れな人も多いからだ。実際7:3で電話注文のほうが多い。焼き芋シーズンだと一日10件以上の電話に対応。


商店ではpaypayなどのキャッシュレス決済にもいち早く対応。若い人から年配の方まで、誰もが買いやすいよう気を配る(著者撮影)

「常連の人は注文だけでぱっと終わる人も多いけど、初めての人だと質問に応えたり説明したりして10分くらい。結構時間がかかるんですよね。でもそこでお客さんの希望を聞いたり、『おばあちゃんに送ってあげたい』とおっしゃっていたから早く送ってあげようとか、こっちも融通を利かせて対応できます」と、あくまでも一人ひとりの注文に丁寧に応じている。

限界集落で仕事をすることは、地域と共に歩んでいくことでもある。大野原集落では一時期害獣被害が深刻で、サツマイモ畑を猪に食い荒らされる被害が相次いでいた。そこで、国からの予算を確保して地域全体をメッシュの柵で囲う対策を行った。


猪に食べられたサツマイモ(著者撮影)

「おかげでほとんど猪が入ってこなくなりました。市役所の皆さんが親身になって予算確保のため一生懸命動いてくれました」

もちろん宮下さんを始め、集落の人たちもすべて行政任せではない。例えば道路が古くなっているときなどは「自分たちで道路を直す作業をするから、コンクリート代を出してもらえないか?」とお願いする。困りごとは行政に相談しつつ「できることは自分で」の精神がある。

「この土地は元々、大正大噴火で移住してきた人たちが開拓した集落で『自助・共助・公助』のスピリットがあります。いい意味で小さいから、お互いの顔がよく見えています」

「地域全体が焼き芋で盛り上がれたらいいなと思って」

宮下さんちの焼き芋が売れるようになった後、地元大野原集落の人たちにも焼き芋の焼き方から使っているオーブンの種類まで惜しみなく教えた。企業秘密ともいうべきノウハウを公開したのは、地元に対する宮下一家の思いがある。

「周りが頑張れば、うちももっと頑張ろうと思えるし、せっかくだから地域全体が焼き芋で盛り上がれたらいいなと思って」

宮下商店初代の美行さんは戦後の1950年、この土地に宮下商店を構えて、集落の世話役として地域密着で仕事を展開してきた。その精神は2代目省司さん、3代目直弥さんに受け継がれて続いている。

「最初に地元の人たちが買って広めてくれたことで、北海道から沖縄まで広がりました。これからも地元を大事に焼き芋の販売を続けていきたいです」

2020年に垂水市の介護施設でクラスターが発生したときには、集落一同で焼き芋を送って医療関係者を労った。今年2021年は今までにないサツマイモ基腐(もとぐされ)病の流行で、大野原集落でもサツマイモの収量が2割弱ほど落ちている。

「収穫量が減ると作る意欲も減ってしまいますよね。『もうやらん』とがっくりきている人もいます。基腐病も集落全体で対策をしていかなくてはいけません。解決の道筋は手探りですが、地域で協力し合ってこれからも取り組んでいきたいと思っています」