どっちが変!?ミランvsインテル 「奇妙な背番号」だった13人

写真拡大 (全11枚)

ミランとインテルがサン・シーロで激突するミラノ・ダービーが今週末に行われる。

ここでは、両チームでちょっと変わった背番号を背負った選手たちを取り上げてみよう。

45番:マリオ・バロテッリ

インテルでデビューした元怪童ストライカー。45番を愛用する理由についてはこう語っている。

マリオ・バロテッリ

「インテルで出始めた頃に45番を着けていた。若手の番号は36〜50番だったからね。

4と5を足せば9になると冗談を言って、45番を選んだ。そして、最初の4試合で全てゴールを決めた。

この番号が幸運をもたらしてくれたんだ。だから、常に45番を着け続けているのさ」

もちろん、ミランでもこの番号をつけた。

インテル 3番:モハメド・カロン

なぜか小さな背番号を好んだシエラレオネ代表FW。レッジーナやヴィチェンツァでは2番、インテルでは3番を着けた。

モハメド・カロン

「僕が加入した当時のインテルにはセードルフ、ロナウド、ヴィエリたちがいて、自分が欲しい背番号を選ぶことは不可能だった。

だから、空いてる番号を探した。3番を目にして、それをとったんだ。

レッジーナで2番だったのは、アンドレア・ピルロが10番だったからさ。

インテルでは背番号100だろうと喜んでプレーしたよ」

ミラン 70番:ロビーニョ

レアル・マドリーやマンチェスター・シティでは10番を着けたブラジルの元至宝。

背番号7に愛着を持っているが、ミランでは最初の2シーズンは70番を着用した。

「7番でプレーするのが好きだったけれど、欧州のクラブではそのチャンスがなかった。ミランでもそうだった、アレシャンドレ・パトがいたからね。だから、70番にしたんだ」というのが理由。

ちなみに、コロンビア人FWカルロス・バッカもミランで70番を着けた。

インテル 8番:ズラタン・イブラヒモヴィッチ

40歳になった現在もセリエAの舞台で活躍する怪物FW。フリオ・クルスが9番を着けていたインテルではまさかの8番を背負った。

バルセロナに移籍する2009年夏のプレシーズンには幻の10番もつけた。

ミラン 76番:アンドリー・シェフチェンコ

ミランで背番号7とともにバロンドールを受賞するなど大暴れしたウクライナ人ストライカー。

2008年にチェルシーからのローンでミランに復帰した際、76番を選んだ(彼は1976年生まれ)。

当時7番を着けていたアレシャンドレ・パトは“返却”する意思を見せていたが、シェヴァ本人は「パトがそう言ってくれるのは嬉しいけれど、僕は76番でも70番でも77番でもいいよ。ミランのユニフォームに番号させ着いていれば十分さ」と語っていた。

インテル 11番:アレクサンダル・コラロフ

“セルビアのロベルト・カルロス”との異名で知られる攻撃的な左サイドバック。

DFながら11番を好んでおり、ラツィオ、マンチェスター・シティ、ローマでもこの番号を着けた。

その理由は「俺はもともとウィングだった。サイドバックとしてプレーし始めたのはU-19からだ。だから、(ウィング時代の)11番を着けているんだ」から。

ミラン 79番:フランク・ケシエ

強靭なフィジカルを武器にミランの中盤を引き締めるコートジボワール代表MF。

11歳の時に亡くなった父の月命日が19日のため、アタランタ時代から19番に愛着を持っていた。

ミランではレオナルド・ボヌッチに19番を譲って以降、79番を着用。わずか1年でボヌッチが去ったことで19番に再変更するチャンスもあったが、「79番でいい感じなのと、何よりもすでに僕のユニフォームを買ってくれた人達にさらなる出費させたくなかったから」とそれを断っている。

インテル 55番:長友 佑都

FC東京やチェゼーナ、日本代表では5番を着けていた長友。

インテルではスタンコヴィッチが5番だったために、ゾロ目の55番にしたとか。インテルで55番を着けたのは今のところ長友が最後だ。

50番以上が不可だったマルセイユでは25番、復帰したFC東京では50番をつけている。

ミラン 80番:ロナウジーニョ

ブラジルが生んだスーパーファンタジスタ。

クラレンス・セードルフが10番を着けていたミランでは、生まれ年である80番を選んだ(1980年生まれ)。

当時アドリアーノ・ガッリアーニ氏は「我々は選手に背番号を譲ってくれと頼んだことは一度もない。リスペクトの欠如になる」と話していた。

その後、アトレチコ・ミネイロやフルミネンセでは母親の生まれ年である49番も着けている。

インテル 77番:マルセロ・ブロゾヴィッチ

卓越したサッカーIQと攻守両面でチームのために働く献身さを兼ね備えた近代的なミッドフィルダー。

クロアチア代表では11番を背負っているが、クラブではディナモ・ザグレブ時代から77番を着用。

「77番にした理由をよく聞かれる。シンプルさ。11番が空いてなかった。だから、似ている77番にしたんだ」というのが理由だそう。

ちなみに、インテルの77番はリカルド・クアレズマ、サリー・ムンタリらも着けたことがある。

ミラン 92番:ステファン・エル・シャラウィ

若くしてジェノアからミランに引き抜かれたイタリア代表FW。モヒカンヘアーと背番号92が代名詞だ。

この番号を愛用する理由は1992年生まれだから。ローマに所属する現在も92番を背負っている。

インテル 95番:アレッサンドロ・バストーニ

イタリア各世代代表を経験してきたエリート、190cmの大型センターバックだ。

アタランタ時代から95番を愛用している理由を本人はこう述べている。

アレッサンドロ・バストーニ(インテルDF)

「アタランタのトップチームに初めて招集された時から始まった簡単な話さ。

兄と約束したんだ。僕ら5人家族はとても仲良しで、僕は彼の誕生年である95番を背負うと。

だから、パルマでもインテルでも同じことをした。

自分と一緒に彼をピッチに連れていく方法さ。家族全員もね」

1995年生まれの兄のことを思ってこの番号を着けているそう。

99番:アントニオ・カッサーノ

レアル・マドリーでもプレーした天才悪童。イタリア帰国以降は99番をつけ続け、ミランとインテルでもこの番号を背負った。

もともとのお気に入りは18番だったが、サンプドリアでは空いていなかったため、足すと18になる99にしたんだとか。また、ミランで99番をつけた元祖ロナウドへのオマージュでもあったそう。

【写真】サッカー史上最も奇妙な「背番号1〜11番」を背負った男たち

2人以外にも1999年生まれのジャンルイージ・ドンナルンマがミランで99番をつけた。