働くこととは? 労働とは? 悩めるシマオ君に佐藤さん伝えた教えとは……(写真:竹井俊晴)

「何のために仕事をしているかわからない」という人、メディアにあふれる「好きを仕事に」「やりたいことで生きる」「何者かになりたい」というキラキラ思考に疲れた人、「人間関係に疲れ、会社に行きたくない」という人、「仕事が評価に繋がらない」という人、「自分の限界が見えて先が見えない」という人……。

すべての悩める働く社会人に代わって、中小企業に勤めるミレニアル世代のシマオ君が、作家・佐藤優さんに「働くために必要な哲学の教え」を聞きました。(『仕事に悩む君へ はたらく哲学』から一部を抜粋・再構成して紹介します)。

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「資本家」が「労働者」から富を搾取する

佐藤優(以下、佐藤):ドイツの思想家マルクスはわかりますよね?

シマオ:マルクス……って、ソ連を造った人でしたっけ?

佐藤:違います。それはロシア革命を主導したレーニンですね。

シマオ:すみません……。

佐藤:いえ、シマオ君が混同するのもわかります。一般的にマルクスは共産主義・社会主義思想の祖として知られていますから。資本主義社会においては、資本家階級が労働者階級から富を搾取しているとして、それを是正するための階級闘争が必要であると説いた人物なんです。

シマオ:革命家、ということは何となく知っていましたが、正直少し危ないイメージでした。

佐藤:マルクスの思想に危ない側面があることは事実です。生まれたドイツ(当時はプロイセン王国)から追放され、フランスやイギリスを渡り歩きながら、執筆や運動を継続したマルクスを支えたのが盟友フリードリヒ・エンゲルスでした。そのマルクスの主著が有名な『資本論』です。

シマオ:あ、知っています!

佐藤:『資本論』の目的は、社会を変えるために、まず社会の構造となっている資本主義経済について解明することでした。

シマオ:『資本論』に関して、僕にもわかるようにもう少し説明してもらえますか? 資本主義社会に生きているのに、その仕組みをほとんど理解していないことに気づきました……。

佐藤:はい。簡単に説明しましょう。マルクスは、資本主義社会において人は、生産手段を持つ資本家(ブルジョワジー)と、その資本家の下で働く労働者(プロレタリアート)の2つに分かれると指摘しました。

シマオ:ブルジョワとプロレタリアート……。

佐藤:マルクスによれば、労働者というのは「労働力(労働をする能力)」という商品を売って稼ぐしかない人たちのことです。労働者はどれだけ頑張って働いてもお金持ちになることはできません。なぜなら、資本家は労働者をできるだけ安い賃金で働かせようとしますし、そこから上がった利益は自分たちだけのものであって、労働者に分配することはないからです。このことをマルクスは資本家による「搾取」と呼んだのです。

シマオ:それでいえば僕は、プロレタリアート、ということですね。

佐藤:そうです。会社員のほとんどは現代のプロレタリアートです。資本主義の社会では「分業」が発達します。例えば食器の職人はお皿やコップをひたすら作り続けます。その大量の食器は、当たり前ですが自分が使うものじゃないですよね?

シマオ:売って、お金に換えるためです。

佐藤:そう。原始的な社会では物々交換だったけれどもAさんの欲しいものとBさんの欲しいものがいつでも一致するとは限りません。そこで登場したのが、お金だったというわけです。そのことをマルクスは「価値」と呼び、作った食器を使うことで得られる有用性を「使用価値」と呼びました。

シマオ:「価値」と「使用価値」……。

お金で欲望は満たせるがその逆は…

佐藤:そもそも貨幣は商品交換の過程から生まれたものです。しかし、貨幣があれば商品を購入することができるが、商品があってもそれが売れて貨幣になる保障はない。そこにお金の優位性が生まれてしまったのです。

シマオ:お金の優位性?

佐藤:簡単にいえば、お金さえあればどんな欲望でも満たせるけれど、その逆は必ずしもあるわけではない。だから、貨幣の方が交換する物質やサービスよりも強く見えてしまうんです。まるで「お金」自体に何らか、物やサービスを超越する力が宿っているかのように。

シマオ:目の前にある物を超越する力……。それが「物=貨幣」を「神」と同等に感じてしまう理由なんですね。

佐藤:はい。だから人間は貨幣そのものを拝むようになってしまうのです。そこにお金の本質、お金を中心に回っている社会の本質があるのです。お金を否定してはいけないし、お金そのものを価値だと考えてもいけません。大切なのは、その人の価値観をどこに置くのかということに結局は戻るのです。

シマオ:価値観か。それが難しいんですよね。

佐藤:シマオ君は会社員ですよね。会社員として働く時は、自分は資本家ではなく、労働力を売っている労働者なんだという「見極め」と、だから収入には限りがあるんだという「見切り」が大事なんです。

シマオ:「見切り」と「見極め」?

佐藤:自分は労働者なんだという見切りと、資本家にならない限り、莫大な財産を築くことはできないという見極めです。

シマオ:はっきり言われると、なんか、夢がないですね……。

佐藤:それは必ずしもあきらめではないんですよ。 「見切り」と「見極め」の2つを認識した上で、お金で得られないものは何かということを自分で考えることが、人生の豊かさにつながるんです。「見切り」や「見極め」の見境をなくし、お金を盲信した結果、日本ではバブル経済が現れました。

シマオ:あ、何となくテレビで見たことがあります。「バブルの崩壊」って。

佐藤:バブル経済というのは、1980年代の後半から90年代にかけての日本の好景気を指します。その頃の日本では、円高もあって海外からいろいろなものが入ってくるようになりました。一番分かりやすいのが「食」です。

シマオ:「食」?

佐藤:現代のように、あらゆるものを安く食べられるようになったのは、バブルの影響です。今でこそ、サイゼリヤに行けばパスタでもピザでもいろんな種類があるけれど、かつてはスパゲッティといえば、ナポリタンかミートソースくらいしか選択肢がない。いくらお金があっても、本格的なイタリア料理やフランス料理を食べることは、海外に行かない限りできませんでした。

今の日本人はかつての金持ちより「豊か」

シマオ:確かに、今はイタリアンでもフレンチでも安いものを探せばスーパーにでも売っていますね。

佐藤:好景気により、日本は海外からあらゆる文化を取り入れられるようになった。これは衣食住、すべての分野においていえることです。そういう意味で、今の私たちは、かつてのお金持ちの人たちよりも「豊か」だといえるかもしれません。

シマオ:バブルによって「豊かさ」が手に入りやすくなった大きな変革期だったんですね。

佐藤:でもその後、バブルは崩壊した。バブル崩壊後は、日本経済は落ち込み、世界的に見ても物価の上昇率は鈍くなった。それが現代も続いているんです。

シマオ:自分が労働者階級だと諦めて、頑張るしかない、か。

佐藤:諦めではありませんよ。見極めです。先ほどプロレタリアート(労働者階級) という言葉に触れましたよね。この「プロレタリアート」という言葉は、もともと古代ローマの国勢調査の財産区分で、「子どもしか持っていない人」、すなわち「他に富を生み出す手段を持っていない人」という意味なんです。マルクスはその言葉を流用して、十分な土地、預金、株などの資産がなく、自分が働いて得た賃金だけで生活する人々を「プレタリアート」と規定しました。工場労働者だけでなく、現代でいう事務職や営業職などのビジネスパーソンもプロレタリアートですし、どんなに高収入のコンサルタントだって雇われている限りはプロレタリアートです。


(イラスト:iziz)

シマオ:雇われの身はみんな囚われた労働者というとこですね。

佐藤:いえ。むしろマルクスは、プロレタリアートは「二重の自由」を持つと言っています。

シマオ:自由? 何でですか?

佐藤:一つは、労働者が自分の労働力を売ることができる「自由」。もう一つは、労働力以外の生産手段からの「自由」です。

シマオ:労働力を売ることができる自由と、労働力以外の生産手段からの……? すみません、もう少し詳しく教えてください。

佐藤:はい。まずマルクスはこのプロレタリアートの「二重の自由」を肯定的と否定的の両面で理解しました。肯定的な捉え方が「自分の労働力を自由に売る自由」で、否定的な捉え方が 「労働力以外の生産手段からの自由」です。

シマオ:いい面と悪い面があるということか。

佐藤:プロレタリアートの肯定的な面は、労働者は土地や職業に縛り付けられていない、というところです。労働者はどこで働いていても、何を職業にしても自由です。しかし資本家は、自分の土地、会社などの資本があるので、気軽に動くことができません。シマオ君の会社のオーナーは、シマオ君のように転職を考えられると思いますか?

シマオ:まあ、それは考えられませんよね。自分の会社だし。

佐藤:そういうことです。しかし、一方で否定的な見方は残ります。それが、第二の自由である「労働力以外の生産手段からの自由」です。プロレタリアートは土地、道具、機械などの生産手段を持っていません。自分の労働力だけしかお金を稼ぐ手段がない。自分が働かないと何も生み出せないのです。このことをマルクスは「生産手段からの自由」と表現したのです。

シマオ:確かに。僕は特にこれといったスキルもないし、会社で働くしかお金を稼ぐ手段はないと思います。

それなりに豊かに暮らせる土壌が日本にある

佐藤:シマオ君のように、生産手段を持っていないプロレタリアートは資本家に雇ってもらわなくてはいけません。この自由は、否定的なニュアンスを持っていますし、この否定的な自由によって、資本家は労働者を搾取しやすくなるのです。

シマオ:搾取か……。


佐藤:その構図はおかしいと思ったマルクスは、プロレタリアートがブルジョワジーを倒し、共産主義へと発展していくという未来を描きました。革命は失敗に終わり、生き残ったのは資本主義の方でした。

シマオ:労働者と資本家の関係は、その後も続いているということですね。

佐藤:はい。ただ、労働以外の稼ぎを特に必要としない、階級のアップを求めない「プロレタリアート」で自分はいいんだと思ってしまえば、それなりに豊かに暮らせる土壌が今の日本にはあるんです。

シマオ:それなりに……か。

佐藤:シマオ君は先程、「搾取」と聞いて、落ち込んでいましたが、この話を聞くまで、 働いていて搾取されていると感じたことはありますか?

シマオ:え? 確かに、言われないと、特に何も思っていませんでした。まあ、働くってこんなものかって、そこまで不満はなく生きてきましたが。

佐藤:それはシマオ君が「自分の労働力を自由に売る自由」を手にしているという証拠です。それは決して悲観的なことではありませんよ。自分が搾取されているということに自覚的で、そこに不満があるならば、資本家になる選択をしてもいいでしょう。プロレタリアートの肯定的な自由を謳歌するのか、否定的な自由に憤り、そこから抜け出すのか。それは個人の自由です。

シマオ:そうか。そう考えると、僕は前者の方が楽かなあ。資本を持つために、頑張って時間を削って、と思うと疲れちゃうタイプだし。自分に合った働き方見つけることで、資本主義社会の中でも自分の幸せは見つけられるんですね。