「産後うつ」と「産後クライシス」ってどう違うの?
どこからともなく耳にするようになってきた「産後クライシス」という言葉。クライシスの意味するところは「危機」ですが、一体なにが危機なのでしょうか。それは「うつ」よりも重篤な事態を指すのか。両者の正確な定義づけを、「東京マザーズクリニック」の林先生にお願いしました。
監修医師:
林 聡(東京マザーズクリニック 院長)
広島大学医学部卒業、広島大学大学院医系科学研究科修了。県立広島病院産婦人科副部長や国立成育医療研究センター胎児診療科医長を歴任、アメリカの大学病院への留学歴あり。2012年、東京都世田谷区に「東京マザーズクリニック」を開院。医学博士。日本産科婦人科学会専門医、日本人類遺伝学会臨床遺伝専門医、日本超音波医学会超音波専門医、日本周産期・新生児医学会認定周産期(母体・胎児)専門医。日本胎児治療学会、日本母体胎児医学会、日本胎児心臓病学会、日本再生医療学会ほかの各会員。
「産後クライシス」に明確な定義はない
編集部
昨今、「産後クライシス」という言葉を耳にします。
林先生
「産後クライシス」を一言で説明するならば、「夫婦間のトラブル」ですね。ただし、「産後クライシス」はマスコミが使いだしたことによって定着した“通称”に過ぎません。原因はその夫婦によって異なりますが、親戚付き合いや教育方針の違いなど、お互いの価値観のズレから生じることがあるようです。他方、「産後うつ」の対象はご本人で、その諸症状を“病気”とみなします。
編集部
つまり、「産後クライシス」は病気扱いにならないと?
林先生
心身のケアが求められるものの、例えば「お薬の処方」といった治療の対象にはなりません。また、産後クライシスは、医師が医学的に診断をつけるものでもありません。夫婦間でいかにコミュニケーションを潤滑におこなうか、話し合いや行動変容療法などで工夫してみてはいかがでしょうか。
編集部
普通の夫婦喧嘩や意見の相違とは違うのですか?
林先生
あくまでも「産後クライシス」は通称で、正確な定義づけがなされていないため、なんとも言えないですね。ただし、今までいらっしゃらなかった“新しい家族”が生まれたわけですから、「こうしたい」、「いや、違う」といった価値観のズレは、現実として起こり得るのでしょう。
編集部
なんとなく、男性がやり玉に挙げられそうなイメージです。
林先生
大切なのは「今の夫婦になにができるのか」という固有の観点で、「世間や海外はどうしているのか」という比較論から得られるものではありません。お父さんとお母さん双方に、危機回避の知恵が求められるでしょう。
非難合戦ではなく、相手のイイトコロを見つける
編集部
治療は望めないとしても、どうやって対処していくのでしょうか?
林先生
「お互いに“優しさ”をもって、相手の理解に努める」といったところでしょうか。最初から結論アリキの「決め打ち」はしないでいただきたいですね。それは、意見の押し付け合いにすぎません。そうではなく、「誰にでも起きることであり、最終的には収まるもの」という前提で、ゴールを模索していきましょう。
編集部
一般的には、子育てで大変なお母さんを、お父さんがいたわるイメージです。
林先生
その視点こそが「決め打ち」なのかもしれません。もちろん、お父さん側には、お母さんの苦労をいたわる努力が必要です。その一方で、お母さん側にも、お父さんの仕事などを理解する努力が必要なのでしょう。夫婦といっても、元は他人だったわけですから、「一層の相互理解へ近づくチャンス」と捉え直してみてください。「相違点の決着をつける機会」ではないということです。
編集部
なかなか難しそうですね……。夫婦円満のコツはありますか?
林先生
「相手の行動から、相互理解の傾向を読み取ること」でしょうか。洗濯物の取り込みにしても、「このやり方は違う」ではなく、「彼なりに、ここまでやってくれたんだ」と捉えてみてください。奥さんを読み取る場合も同様で、否定から入るとキリがないですから、好ましい面に注目しましょう。
編集部
民間療法などもあるとのことでしたが?
林先生
「夫婦で共に参加しよう」とならないと、意味がないように思います。ですから、まずは夫婦間の話し合いが先でしょう。できれば妊娠中から問題意識をもっておいて、早めに取り組むのも方法です。「こんなはずじゃなかった」ではなく、「やはり、こうだったか」くらいの余裕がほしいですよね。
編集部
すでに、ある程度のクライシスが進んでいた場合は?
林先生
心配なのは、お母さんの「産後うつ」が進行したケースです。医療介入が必要なほどの「夫婦間の問題」は、産後クライシスと切り分けて対処しましょう。どちらともいえない場合は、遠慮なく医師へご相談いただきたいですね。産後うつは起こり得ることですから、受診を回避しないようにしてください。
事前に知ることで対策が打てる
編集部
参考までに、「産後うつ」に対しては、どのような治療をしていくのでしょうか?
林先生
究極目標は「お母さんを自殺に至らせない」ことです。決して大げさな話ではなく、産後の自殺回避に公費を充てている自治体もあります。その点もふまえ、カウンセリング療法や、必要に応じて投薬療法を併用します。
編集部
一方、「産後クライシス」の場合、医療機関はノータッチですか?
林先生
医療がどこまで家庭に入り込むべきか、難しいところですよね。参考までに、「母乳外来」という標榜科では、母乳に限らず、産後のお悩み全般の相談に乗っています。心身のケアと同時に、環境要因の分析など、かなり細かなところまで落とし込んでいくことが多いようです。「あなたの場合は、親戚の援助が得られていない」とか、「この部分は、行政の支援が受けられる」といった具合ですね。また、産後うつの判断や予兆も診ていきます。
編集部
先生の医院では、各種教室を開催していますよね?
林先生
先輩ママとの交流会のような“お母さん主体”のものから、“ご夫婦で受ける”両親学級まで、幅広く企画させていただいています。やはり、「そうなってみて初めて知る」より、「事前に知っておく」ことが大切なのではないでしょうか。
編集部
「知っておく」ことが産後クライシス対策の要なんですね?
林先生
「もっと、こうしてほしい」は、起きてしまってからの対症療法ですよね。そうではなく、「ああ、この間習ったあれか」という前向きな取り組みが欠かせないと思います。ご夫婦の数だけそれぞれの価値観がありますから、事後より事前の“学び”をベースに、個別で話しあってみてください。
編集部
最後に、読者へのメッセージがあれば。
林先生
「やってほしいこと」と「やってほしくないこと」の違いは微妙です。産後クライシスを解決しようとして、逆に相手の迷惑になることもあります。なおのこと、事前の理解が求められるでしょう。インターネット上の画一的な方法論に頼るより、“お二人で、そのご夫婦ならではの暮らし”を築いていってください。
編集部まとめ
産後うつは病気であり、診断方法や治療方法が“ある程度”確立しています。対する産後クライシスは通称で、定義もなければ、画一的な解決策もありません。それだけに、個別の話し合いが求められるのでしょう。イメージとしては改善点の棚卸しというより、「理想的な家族のあり方探し」でしょうか。相手の否定から入らないよう、くれぐれも注意してください。