《東京・町田》ベッドに並んだ夫婦の遺体、病気と闘う妻と昔気質の夫の「50年愛」
東京都町田市。小田急線玉川学園前駅から約1・5キロメートル離れた小高い丘の住宅街に夫婦の自宅はある。
2階建て一軒家のガレージには白色の高級外国産車。庭にはサツキの盆栽などが並ぶ。手をかけたおしゃれな外観からは、何ひとつ不自由のない裕福な暮らしをしているように見える。
「ガーデニングはご主人の趣味みたいです。ほとんど近所付き合いをされないご夫婦ですが、いい車に乗っているし生活苦ではなかったはず。最近は奥さまの体調が悪いのか、あまり見かけなかった気がします」
と近所の主婦は記憶の糸を手繰り寄せるように話す。
この家から110番通報があったのは11月27日午後2時8分のこと。
「実家に行ったら、寝室のベッドの上で両親が死んでいる」
と別居する娘からだった。
警視庁町田署によると、亡くなっていたのは無職の久保充さん(75)と妻・正子さん(73)。自宅で同じベッド上に並び、あおむけの状態で発見された。
全国紙の社会部記者は言う。
「通報者の娘さんは前日、実家に電話をかけたがつながらず、様子を見に行って遺体を見つけた。玄関は施錠され、室内を荒らされたり争ったりした痕跡はなく、遺書のようなメモが見つかっている。遺体は死後、数日以内とみられ、捜査当局は心中の可能性も視野に入れ死亡した経緯や死因を調べている」
夫婦は2人暮らしだった。
近所の住民らによると、以前は息子夫婦と孫の5人で暮らしていたが、約2〜3年前に息子ががんで急逝。嫁と孫も家を離れ、広い自宅に夫婦だけが残されたという。
「もともと奥さまは足が悪かったようで、運動不足にならないように、カートを押しながら歩いてスーパーまで買い物に行っていました。でも、ここ1年ぐらいは、その姿も見かけなくなって……」(近所の女性)
時計の針を1950〜1960年代に巻き戻そう。
2人をよく知る知人が語る夫婦像
充さんは、盆栽に適した「鹿沼土」で知られる栃木県鹿沼市で育った。10代のときに就職するため弟2人と上京。町田市内の工務店に住み込み、見習い大工になった。
「寡黙(かもく)でまじめな職人気質の男。従業員の慰安旅行に行っても、ひとりだけ外に飲みに行かず部屋でじっとしていたらしい。トレードマークの角刈りは、流行に乗ってパンチパーマをかけても、すぐ元どおりに戻しちゃう。笑うと、くしゃっとした愛嬌のある顔をするんだけどね」(知人男性)
正子さんと出会ったのは、町田市からそう離れていない神奈川県川崎市。よほど気が合ったのか、交際してすぐ、互いにまだ10代のとき結婚し、一男一女に恵まれた。
「照れ屋だから夫婦のなれ初めについては詳しく教えてくれなかった。所帯を持って責任感が増したのか、仕事の腕も上がり、やがて基礎工事に欠かせない『型枠大工』の道へ進んだ。酒、女、ギャンブルはいっさいやらないし、はたから見ればつまらない男かもしれない。でも、正子さんはそんな充さんが好きで一生懸命に支えてきたんだ」(同)
恰幅(かっぷく)のいい充さんに対し、小柄でほっそりした正子さんは、性格が明るくチャキチャキしたタイプ。職人の妻として申し分なく、質素倹約に努め、着るものも地味だった。毎朝6時に職場に集合しなければならない充さんのため、午前4時には起床して愛妻弁当を作った。
正子さんを知る女性は言う。
「充さんは腎臓が悪かったので薄味の弁当を作ってあげていた。昔気質の男だからそうやって尽くしても、旅行やレジャーに連れて行ってくれるわけでもないのにね。やがてひとり息子も同じ型枠大工となり、一家は工務店での住み込みをやめて父子でローンを組み、近所の中古住宅を購入したんですよ」
充さんが55歳のころのこと。父子は大工の腕を生かし、古い木造家屋の柱以外はほとんど壊して後輩職人らときれいに建て直した。庭に充さんの唯一の趣味である盆栽を並べて。故郷・鹿沼の土はサツキ栽培に適しており、毎年5〜6月には白やピンク色の鮮やかな花を咲かせた。
結婚した娘が子どもを連れて遊びに来たり、同居する息子にも子どもができ、賑やかな生活に。充さんは前出の知人男性にこう話した。
「孫が学校から帰ってくると、友達を連れてきたりして家の中は運動会だ」
困ったふうに言いながら、うれしくてしょうがない様子だったという。
しかし、ささやかな幸せは長く続かず、病魔が正子さんを襲った。さらに息子が突然がんに侵され帰らぬ人に。充さんは70歳を越えて続けていた仕事を辞めた。
夫婦だけの暮らしになり──
別の知人女性が言う。
「正子さんは心の病気でした。入院することもあったので、充さんがひとりで面倒をみるのはたいへんだったと思います」
夫婦2人暮らしになると、充さんは正子さんの体力を維持させようと徒歩での買い物に付き添うようになり、それも難しくなると車で一緒に出かけた。自宅に籠(こ)もらせたくないようだったという。
「若いころは夫婦で一緒に歩くなんて照れ臭くてできなかった男が、しょっちゅう、奥さんと連れだって買い物に出かけるようになった。最高の夫婦ですよ。高級車に乗っているけど、別に車の趣味があるわけではないんです。ほかにお金の使い途がなかっただけ。奥さんが歩けなくなってからは、スーパーまで買い物に行く足がわりにすぎません」
と前出の知人男性。
そんな夫の献身が正子さんにはうれしかったようで、別の知人に対して、
「夫が車で買い物に連れて行ってくれるの」
とノロケることもあった。
そうやって病気と闘っても、正子さんの症状は改善しなかったという。
「正子さんが服用する薬はどんどん強くなり、やがて副作用で幻覚をみるようになった。約1年前、幻覚は深刻になって正子さんから目が離せなくなった。これが『老老介護』の現実です。充さんは“幻覚がひどいから医者に薬を弱くしてもらうんだ”と言っていた。私と話したのはそれが最後。夫婦どちらかが残る生き方はもうできなかったんだろう」(前出の知人男性)
現時点では、なぜ死亡したかはわかっていない。
連れ添って50年以上、夫婦は同じベッドで終わりを迎えた。目を閉じる前、どんな思いで寝室の天井を見つめたのだろう。庭先を明るく彩るサツキは来春まで咲かない。悲しむ親族や知人に思いをめぐらせ、冬を耐え忍ぶ余裕は残されていなかったのか──。
◎取材・文/渡辺高嗣(フリージャーナリスト)
〈PROFILE〉法曹界の専門紙「法律新聞」記者を経て、夕刊紙「内外タイムス」報道部で事件、政治、行政、流行などを取材。2010年2月より「週刊女性」で社会分野担当記者として取材・執筆する