世界一周中の夫婦を襲ったコロナ禍。帰国した今感じること
世界中に拡大しているコロナウイルス。バックパッカー(低予算の旅行者)として世界を旅していた夫婦もまたコロナ禍に巻き込まれたそうです。3月中旬、日本に帰国できたというMさん(37歳)に国外での情勢、そして帰国してくるまでのお話を電話で聞きました。
3月まで世界を旅していたMさん夫妻
●海外で受けたアジア人差別。拡大し始めて感じた恐怖
――無事に帰国をされ、感染も確認されなかったとのこと、まずは安心ですね。世界を旅し始めたときのお話から教えてください。
ずっと夫婦で世界を旅がしたいと思っていました。もともと主人はキッチンカーの飲食店をやっていたんですが、店舗を持って家賃が発生する前に、修業をかねて世界一周してみたいってずっと話していたんです。だったら行くなら今しかないって。私は会社員でしたが、ちょうど辞められたタイミングで出発しました。それが昨年の6月です。
インドではさまざまな料理を食べ歩いたそう
これまでに行った国は11か国。最初は中国からスタートして、インドまで陸路で移動。インドにはビザを取ったので5か月くらい長期滞在して、本場のいろんなお店を食べ歩いたりしていました。バックパッカーとして楽しく過ごしていたんです。
予定では東京オリンピックが終わる今年の秋には日本に帰国するつもりでしたが、今年の1月末くらいにコロナの危険を感じるようになって、旅も危ういなと思い始めてきました。
――コロナへの恐怖を感じたときはどこの国にいたのでしょうか?
その頃はインドを出て、スリランカにいました。日本国内でも感染者がチラホラ出始めていた時期です。世界で報道されていたので、私たちが外を歩いていて、アジア人だと気づかれると、「コロナ、コロナ」と差別的扱いを受け始めました。
いちばんひどかったのは、2月上旬に行ったエジプトです。すれ違うときに口を手で覆われたり、鼻をつままれたと、態度は露骨でしたね。
そんななかでも旅は続けていました。2月末にはモロッコ、3月上旬にスペインに行くことにしました。もともとは長く滞在するつもりはなくて、さっと切り抜けてマドリード発でそのまま南米入りする予定だったんです。でも、中心地はコロナがかなり拡大していていたので、危険な状態。全土封鎖してしまったら帰れなくなると思い、長年の夢だった世界一周の旅を中断し、帰国することを決断しました。
閑散としているマドリード空港
もちろん感染の恐怖はありました。だから、アンダルシア地方からスペイン入りをして、なるべくマドリード市内にとどまらないように気をつけながらマドリード空港へ向かって帰国しました。
スペインのコルドバにて。誰一人歩いていません
――スペインの街の雰囲気はいかがですか?
街はゴーストタウン状態でした。外食産業が盛んなスペインなのに、お店のシャッターは閉まっていて、営業しているのはスーパーと薬局くらい。民泊のような施設に泊まっていましたが、外出は不可。食事の買い出しに出かけるくらいでしたが、それでも巡回している警察官に「なにをしているんだ。早く帰れ」と注意を受けたりしていましたね。
もちろん私たちは感染には気をつけてマスクをしていました。それでも、現地の人たちはマスク着用の人がそんなに多くはなかったのが印象的でした。
●空港の検疫も無事陰性。現在も検温を続ける生活を維持
――スペインからの帰国者からの感染の例も報道されていましたね。
ちょうどスペインのマドリードからの帰国者で感染者が出るようになっていたので、私たちも成田空港で検疫対象になりました。症状はないけれど知らず知らずのうちに感染しているかもしれないし、検疫してくれるのならそのほうがいいと思っていました。
成田空港で受けた検疫の書類
ただ検査結果がわかるのに時間がかかるらしく、同じ飛行機で待機をしている人が10人くらいいましたが、結果を聞く前に帰っている人も。電車やバスを利用せずレンタカーを使ったり、家族が迎えに来るのなら、帰ってもOKという指示はあったそうです。連絡先を書かせるので、結果は後から連絡するような方式でした。ただ、それにしても、日本の検疫はユルいなぁと感じていました。
検疫後の待機部屋。お茶屋軽食、毛布も用意されたそう
結局、翌日の結果をその場で待っていたのは私たち夫婦だけ。無事、陰性でした。
その後の行動について検疫官に尋ねたら、「陰性だったので、移動されて結構です」と言われたので、そのままホテルを取ってひっそり過ごしました。その間も様子見で2週間、毎日体温を保健所に報告していましたね。幸いにも症状がでることはなかったので、今は夫の実家に身を寄せています。とはいえ、まだ油断は禁物ですね。帰国して3週間が過ぎた現在も体温計測定は続けています。
●コロナで断念することになった世界への旅。でも命より大切なことはない
――せっかくの世界一周旅行がまさかのコロナで予定より早く終わってしまったのは心残りはありませんか?
もちろんまだまだ行きたいところはあったし、日本一周もしてみたかったです。でも、旅って思い通りにいかないことも多いので、こういうことも想定外の事態もあるって割りきっている自分もいます。
コロナで旅が強制終了されてしまったぶん、旅の思い出はコロナによる世間の混乱がいちばん強烈でした。夫婦ともに生まれて初めて露骨な差別というものを身をもって体験したから。
中国人と間違えられて差別を受けたときは、「私は中国人じゃないし!」って抵抗感はあったものの、自分自身も中国人の旅行客を見かけると、「まだ旅行してるの? 早く国に帰ればいいのに」って思ったりして、自分が差別を受けると同時に、自分自身も差別する気持ちを持っているんじゃないかとハッと気づくこともありました。
複雑な状況の中、多くのことに気づけただけでも貴重な経験だったと思います。
旅の最初にそろえた荷物。重くて結局1日目の夜に減らすハメに
――旅を通じて、夫婦間での変化はありましたか?
私たちの場合いわゆる貧乏旅で、1日500円の宿とかを回っていたので、そんなにキラキラした旅行って感じではないんです。持ち物もお互い一つずつのリュックだけ。3着くらいの服を手で洗濯しながら着まわしていました。日本とは違って衛生面ではやっぱり無理って思う人も多数いるでしょうけど、私たちは慣れてしまいました。
言葉の壁があったり、予想外のトラブルが生じたりして、夫婦間でのひどい喧嘩はしょっちゅうしていました。でも、それを乗り越えていくたびに、お互いに「思いやり」や「妥協」を覚えたと思います。
あとは、電車の切符もスムーズに買えないのが当たり前の海外で、物事って思い通りにいかないことを知った分、気も長くなりましたね(笑)。
2020年の年越しはインドにて。字が間違っているのはご愛敬
――こういう危機的状況で、「コロナ離婚」というキーワードもありますが、その心配はなさそうですね。
お互い頑固者でもともと喧嘩も多かったので、夫も旅を通じて相性が合わなければ離婚するのかなと心配になっていたみたいなんですが、それを乗り越えてきたので、旅を経験した今となっては「結婚してよかった」と夫は思ってくれているみたいです。言いたいことをため込まず伝えることも大事だってわかったし、絆は深まったと思います。世界での「あの怖さ」をお互いに体験した今となっては、なんとかやっていけるような気がしています。
――日本も緊急事態宣言が出て、しばらくは張り詰めなければいけない状況が続くと思いますが、今後のことはどうお考えですか?
今回の旅行資金は250万だったんですが、使った金額は120万円ほど。かなり安く抑えられたので、しばらくはやっていけるかな…と考えています。コロナに対してはとくに憎んでいることもないです。プラスに考えると、旅に集中していたぶん、夫が腰を据えて料理する時間をもてなかったから、この自粛期間中を料理のリハビリの時間にじっくりあてられると。もちろん、経済的面の不安は考えたら尽きませんが、まずは夫婦が無事に帰ってこられたことに感謝をしながら今後のことを考えていきたいです。
<取材/ESSEonline編集部 写真/Mさん提供>
3月まで世界を旅していたMさん夫妻
一大決心して決めた世界一周旅行がコロナで強制終了。無事に帰国するまで
●海外で受けたアジア人差別。拡大し始めて感じた恐怖
ずっと夫婦で世界を旅がしたいと思っていました。もともと主人はキッチンカーの飲食店をやっていたんですが、店舗を持って家賃が発生する前に、修業をかねて世界一周してみたいってずっと話していたんです。だったら行くなら今しかないって。私は会社員でしたが、ちょうど辞められたタイミングで出発しました。それが昨年の6月です。
インドではさまざまな料理を食べ歩いたそう
これまでに行った国は11か国。最初は中国からスタートして、インドまで陸路で移動。インドにはビザを取ったので5か月くらい長期滞在して、本場のいろんなお店を食べ歩いたりしていました。バックパッカーとして楽しく過ごしていたんです。
予定では東京オリンピックが終わる今年の秋には日本に帰国するつもりでしたが、今年の1月末くらいにコロナの危険を感じるようになって、旅も危ういなと思い始めてきました。
――コロナへの恐怖を感じたときはどこの国にいたのでしょうか?
その頃はインドを出て、スリランカにいました。日本国内でも感染者がチラホラ出始めていた時期です。世界で報道されていたので、私たちが外を歩いていて、アジア人だと気づかれると、「コロナ、コロナ」と差別的扱いを受け始めました。
いちばんひどかったのは、2月上旬に行ったエジプトです。すれ違うときに口を手で覆われたり、鼻をつままれたと、態度は露骨でしたね。
そんななかでも旅は続けていました。2月末にはモロッコ、3月上旬にスペインに行くことにしました。もともとは長く滞在するつもりはなくて、さっと切り抜けてマドリード発でそのまま南米入りする予定だったんです。でも、中心地はコロナがかなり拡大していていたので、危険な状態。全土封鎖してしまったら帰れなくなると思い、長年の夢だった世界一周の旅を中断し、帰国することを決断しました。
閑散としているマドリード空港
もちろん感染の恐怖はありました。だから、アンダルシア地方からスペイン入りをして、なるべくマドリード市内にとどまらないように気をつけながらマドリード空港へ向かって帰国しました。
スペインのコルドバにて。誰一人歩いていません
――スペインの街の雰囲気はいかがですか?
街はゴーストタウン状態でした。外食産業が盛んなスペインなのに、お店のシャッターは閉まっていて、営業しているのはスーパーと薬局くらい。民泊のような施設に泊まっていましたが、外出は不可。食事の買い出しに出かけるくらいでしたが、それでも巡回している警察官に「なにをしているんだ。早く帰れ」と注意を受けたりしていましたね。
もちろん私たちは感染には気をつけてマスクをしていました。それでも、現地の人たちはマスク着用の人がそんなに多くはなかったのが印象的でした。
●空港の検疫も無事陰性。現在も検温を続ける生活を維持
――スペインからの帰国者からの感染の例も報道されていましたね。
ちょうどスペインのマドリードからの帰国者で感染者が出るようになっていたので、私たちも成田空港で検疫対象になりました。症状はないけれど知らず知らずのうちに感染しているかもしれないし、検疫してくれるのならそのほうがいいと思っていました。
成田空港で受けた検疫の書類
ただ検査結果がわかるのに時間がかかるらしく、同じ飛行機で待機をしている人が10人くらいいましたが、結果を聞く前に帰っている人も。電車やバスを利用せずレンタカーを使ったり、家族が迎えに来るのなら、帰ってもOKという指示はあったそうです。連絡先を書かせるので、結果は後から連絡するような方式でした。ただ、それにしても、日本の検疫はユルいなぁと感じていました。
検疫後の待機部屋。お茶屋軽食、毛布も用意されたそう
結局、翌日の結果をその場で待っていたのは私たち夫婦だけ。無事、陰性でした。
その後の行動について検疫官に尋ねたら、「陰性だったので、移動されて結構です」と言われたので、そのままホテルを取ってひっそり過ごしました。その間も様子見で2週間、毎日体温を保健所に報告していましたね。幸いにも症状がでることはなかったので、今は夫の実家に身を寄せています。とはいえ、まだ油断は禁物ですね。帰国して3週間が過ぎた現在も体温計測定は続けています。
●コロナで断念することになった世界への旅。でも命より大切なことはない
――せっかくの世界一周旅行がまさかのコロナで予定より早く終わってしまったのは心残りはありませんか?
もちろんまだまだ行きたいところはあったし、日本一周もしてみたかったです。でも、旅って思い通りにいかないことも多いので、こういうことも想定外の事態もあるって割りきっている自分もいます。
コロナで旅が強制終了されてしまったぶん、旅の思い出はコロナによる世間の混乱がいちばん強烈でした。夫婦ともに生まれて初めて露骨な差別というものを身をもって体験したから。
中国人と間違えられて差別を受けたときは、「私は中国人じゃないし!」って抵抗感はあったものの、自分自身も中国人の旅行客を見かけると、「まだ旅行してるの? 早く国に帰ればいいのに」って思ったりして、自分が差別を受けると同時に、自分自身も差別する気持ちを持っているんじゃないかとハッと気づくこともありました。
複雑な状況の中、多くのことに気づけただけでも貴重な経験だったと思います。
旅の最初にそろえた荷物。重くて結局1日目の夜に減らすハメに
――旅を通じて、夫婦間での変化はありましたか?
私たちの場合いわゆる貧乏旅で、1日500円の宿とかを回っていたので、そんなにキラキラした旅行って感じではないんです。持ち物もお互い一つずつのリュックだけ。3着くらいの服を手で洗濯しながら着まわしていました。日本とは違って衛生面ではやっぱり無理って思う人も多数いるでしょうけど、私たちは慣れてしまいました。
言葉の壁があったり、予想外のトラブルが生じたりして、夫婦間でのひどい喧嘩はしょっちゅうしていました。でも、それを乗り越えていくたびに、お互いに「思いやり」や「妥協」を覚えたと思います。
あとは、電車の切符もスムーズに買えないのが当たり前の海外で、物事って思い通りにいかないことを知った分、気も長くなりましたね(笑)。
2020年の年越しはインドにて。字が間違っているのはご愛敬
――こういう危機的状況で、「コロナ離婚」というキーワードもありますが、その心配はなさそうですね。
お互い頑固者でもともと喧嘩も多かったので、夫も旅を通じて相性が合わなければ離婚するのかなと心配になっていたみたいなんですが、それを乗り越えてきたので、旅を経験した今となっては「結婚してよかった」と夫は思ってくれているみたいです。言いたいことをため込まず伝えることも大事だってわかったし、絆は深まったと思います。世界での「あの怖さ」をお互いに体験した今となっては、なんとかやっていけるような気がしています。
――日本も緊急事態宣言が出て、しばらくは張り詰めなければいけない状況が続くと思いますが、今後のことはどうお考えですか?
今回の旅行資金は250万だったんですが、使った金額は120万円ほど。かなり安く抑えられたので、しばらくはやっていけるかな…と考えています。コロナに対してはとくに憎んでいることもないです。プラスに考えると、旅に集中していたぶん、夫が腰を据えて料理する時間をもてなかったから、この自粛期間中を料理のリハビリの時間にじっくりあてられると。もちろん、経済的面の不安は考えたら尽きませんが、まずは夫婦が無事に帰ってこられたことに感謝をしながら今後のことを考えていきたいです。
<取材/ESSEonline編集部 写真/Mさん提供>