●新型コロナ対策で派遣される米国の病院船のミッション

COVID-19(いわゆる新型コロナウイルス肺炎)の感染拡大が続いている中、日本の朝野では「病院船が必要」という声が上がっているようである。大規模災害が発生する度にこの種の話が出てくるようにも思えるが、そもそも、「病院船」というものについて正しい理解はされているのだろうか。

○米海軍の病院船はCODVID-19感染者を受け入れない

現時点で、「病院船」に分類される船を保有・運用しているのは、基本的に政府機関、なかんずく海軍に限られる。米海軍のマーシー級もそれだ。

最近、米海軍は米国内におけるCOVID-19の感染拡大を受けて、そのマーシー級病院船も出動させることにした。西海岸に1番艦のマーシー、東海岸に2番艦のコンフォートが配備されており、両方とも出すという。そこで、注目していただきたいのが、米国防総省がリリースした以下の記事だ。

USNS Mercy to Care for Non-COVID-19 Patients in Los Angeles

サンディエゴ海軍基地の桟橋に停泊している病院船「マーシー」 写真:米国国防総省


病院船「マーシー」に、ヘリコプター「MH-60S」が着陸しようとしている様子 写真:米国国防総省


記事のタイトルには「Non-COVID-19」とある。このことからすると、COVID-19に感染した患者以外をマーシーで受け入れて市中の医療機関の負担を減らし、その分だけCOVID-19に感染した患者に専念できるようにする、ということである。それを裏付けるのが、先の記事で冒頭の段落にある、以下の記述だ。

“to help lift the burden from local medical treatment facilities that need to focus their resources on patients affected by the coronavirus pandemic”

(地元医療施設の負担を軽減して、コロナウイルス患者の治療に専念できるようにする)

というわけで、「COVID-19感染者を受け入れるために病院船を派遣する」という話ではないということがわかる。では、どうして病院船にCOVID-19感染者を受け入れるという話にならないのか。

○軍の病院船は外科がメイン

そもそも、軍事組織が病院船を保有するのは、なんのためなのかということを考えてみて欲しい。もちろん、一義的には戦傷者を受け入れるためであり、それを平時に民生支援や災害派遣にも使いますよ、という話である。そして戦傷者といえば大半は負傷者であり、それは外科の領域である。呼吸器科や内科ではない。

これは病院船に限らず、揚陸艦が備えている医療施設も同様。水陸両用戦はさまざまな戦闘形態の中でも苛烈な部類に属するものであり、それだけ死傷者が発生しやすい。だから、できるだけ多くの兵士の生命を救うために、現場のすぐ近くにいる揚陸艦に医療施設を設ける。その場合にもやはり、主役は外科である。

病院船「マーシー」で、死傷者への対応を訓練している様子 写真:米国国防総省


つまり、軍の病院船はもともと、感染症患者の受け入れを主な任務として想定していないのである。それに、感染症の患者を受け入れるためには、相応の重装備が必要になる。そのことは、結核専門病棟を備えた病院のことを考えれば理解しやすい。

肺結核はCOVID-19以上に感染が広がりやすい疾患である。それだからこそ、感染・発症したら専門病棟を備えた病院に送り込まれて、所定の条件を満たさなければ退院させてもらえない。

そこは、他の病棟とは独立した区画(またはフロア)であり、換気系統にはHEPAフィルターを設けて、中の空気がそのまま外に出ないようにしている。もちろん窓は固定式。自由に開けられたら意味がなくなる。そして患者はそこから外に出られないから、虫歯の治療も売店の販売も、外から病棟内にやってくる。

客船「ダイヤモンド・プリンセス」の一件に際して、「船内での動線分離」が問題になった理由を思い起こしてみてほしい。

結核専門病棟の具体的な施設内容や医療スタッフの保護に興味がある方は、結核予防会がリリースしている

「結核院内(施設内)感染対策の手引き 平成26年版」の13ページ以降が参考になるだろう。

話を元に戻すと。病院船にしろ揚陸艦の医療施設にしろ、もともと外科医療に重点を置いたものだから、こんな装備にはなっていないのである。筆者が知っているところだと、海上自衛隊のヘリコプター護衛艦「いずも」型には医療施設区画の一角に感染症患者を隔離するための専用病室があるが、これはごくごく小規模なものである。

ではマーシー級はというと、艦内には隔離区画がひとつあるだけで、感染症患者の大規模な隔離には対応しがたい。

●病院船を運用する上で生じる課題とは?

○所要の人員を確保するという課題

以前の拙稿でも指摘していたかと思うが、病院船というのは、出動命令を下せば直ちに出動できる、というほど簡単なモノではない。まず、そこに乗り込む医療要員に招集をかけなければならない。マーシーは1,000名あまりの収容が可能な巨大船だから、そこに乗り組む医療要員の数も膨大で、800名あまりになるという。

ただし、先にも述べたように、マーシー級はCOVID-19に感染した患者を直接扱うわけではない。先に紹介した米国防総省の記事には、以下のような記述がある。

“The Mercy normally handles combat casualty care, and its crew will not treat patients with the coronavirus, the admiral said. The ship and its staff will offer a broad range of medical and surgical support, with the exceptions of obstetrics and pediatrics.”

(マーシーは通常、戦傷者を治療するものであり、[今回の出動でも - 井上注]コロナウイルス患者の治療は行わない。この艦とスタッフは医療・外科医療関係者への支援を行うが、産科と小児科は除く)

軍の病院船が抱えている機能的な制約が、この文章にしっかり現れている。軍の病院船が外科医療にフォーカスしている以上、そこに乗り組むスタッフも同様に、外科医療にフォーカスした陣容にならざるを得ない。なにしろ、戦傷者治療の現場に産科や小児科は縁がないのだから、それが対象外になるのは当然である。

それに、単に「医師」や「看護師」の肩書があるだけでなく、平素から実務経験を積んでいなければ仕事にならない世界だ。病院船が常にどこかに出動しているわけではないから、医師や看護師は市中から招集しなければならない(米軍の場合、予備役の医師や看護師がいるから、まずはそこから招集することになるのだが)。すると当然ながら、市中の医療機関からその分だけの人が減る。その問題をどう解決するのか。

これは、病院船を誰が保有・運用していようが、同様について回る問題である。

新型コロナウイルスの感染が急拡大しているニューヨークに派遣される病院船「マーシー」 写真:米国海軍


○病院船に対して夢を見すぎていませんか

こうした事情を正しく理解しておらず、ただ単に「病院船」という名前から「洋上を自由に移動できる総合病院」ぐらいのものを連想しているのが、「病院船導入論者」の実態ではないだろうか。

少なくとも、現時点で存在する病院船の実態は先に述べた通りであり、感染症対策における「銀の弾丸」にはなり得ない。それと同じものを配備したところで問題の解決にならない。

かといって、感染症患者を隔離するための大規模な専門施設を備えた病院船をこしらえたところで、平素にそれをどう維持するかという問題がついて回る。そうした船に日常的に出番があるようでは、それはそれで大問題だ。

そして、常に出番があるわけではない病院船というアセットについて、船と設備、そしてそこで働くスタッフの確保と技量維持をどうするか、という課題がついて回るのは、先にも述べた通り。「病院船導入論者」のうちどれだけが、そこまで考えているだろうか。

「それなら、通常の病室をそのまま使って、後で消毒すれば?」という声が上がるかもしれない。しかし、それはそれで大変な手間がかかる作業だ。船ではなく飛行機の話だが、ちょうどエティハド航空が「機内をこんな風に消毒しています」という動画をリリースしているので、見ていただきたい。旅客機・1機でもこうなのだから、大きな船の中をまるごととなったら、どれだけの手間がかかるだろうか。

著者プロフィール

○井上孝司

鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。

マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。