元大物Jリーガーも!親子3代でプロ選手の「スーパー一家」9つ
先日ミランのファンにとってはなんとも大きな出来事があった。クラブと関係が深い家族が、歴史的な偉業を成し遂げたのだ…。
今回は、このサッカー界で「親子三代プロ選手としてプレー」した主な家族を特集しよう。
ペレ
祖父:ドンジーニョ
子供:エジーニョ
世界最高のサッカー選手と名高いペレ。父親は1917年に生まれたドンジーニョというFWで、アトレティコ・ミネイロでデビュー直後に大きな怪我をして引退したという経歴を持つ。
息子はサントス、サンカエターノ、ポンチ・プレタなどでプレーしたGKエジーニョだ。指導者となってからもサントスで長くアシスタントを務めるなど仕事を得ているが、その一方で2005年にマネーロンダリングと麻薬密売の容疑で逮捕され、裁判の末2017年から刑務所で服役した。
マルコス・アロンソ
祖父:マルコス・アロンソ(マルキートス)
父:マルコス・アロンソ・ペーニャ
祖父は1933年生まれでディフェンダーとしてプレー。ラシン・サンタンデールやレアル・マドリーなどでプレーしたスペイン代表だった。
父親は1959年生まれでバルセロナやアトレティコ・マドリーでプレーしたFWマルコス・アロンソ。1984年の欧州選手権に出場経験があり、引退後も指導者としてさまざまなクラブを率いた。
ダニエル・マルディーニ
祖父:チェーザレ・マルディーニ
父:パオロ・マルディーニ
ついにミランでデビューしたマルディーニ一家の息子。親子三代で同じクラブでデビューというのは前人未到かもしれない。
なお兄のクリスティアンもミランに所属していたが2014年に退団。その後は下部リーグのクラブを渡り歩いており、23歳の現在はプロ・セストというセリエDのクラブに所属している。
ディエゴ・フォルラン
祖父:フアン・カルロス・コラッソ
父:パブロ・フォルラン
セレッソ大阪でプレーしたことでも知られるディエゴ・フォルラン。彼の祖父は1907年生まれのサッカー選手、フアン・カルロス・コラッソだ。1962年ワールドカップではウルグアイ代表の監督も務めた。
そして、フアン・カルロス・コラッソの義理の息子に当たるのがディエゴ・フォルランの父パブロ・フォルラン。ウルグアイ代表17試合出場のディフェンダーだった。
チチャリート
祖父:トマーシュ・バルカサル
父:ハビエル・エルナンデス・グティエレス
メキシコの伝説的なFWであるトマーシュ・バルカサル。チーバスで300試合以上に出場した。彼の義理の息子に当たるのが、ハビエル・エルナンデス・グティエレスだ。
ハビエル・エルナンデス・グティエレスは1986年のW杯でメキシコ代表としてプレーしたMFで、引退後はチーバスで指導者を行っていたものの、息子のW杯の試合を見に行くためにその仕事を辞めたという「親ばか」である。
ジャスティン・クライファート
祖父:ケネス・クライファート
父:パトリック・クライファート
アヤックス育ちでローマに所属しているジャスティン・クライファートは、オランダ代表の名選手パトリック・クライファートの息子だ。
そしてパトリックの父親は1941年生まれの元スリナム代表FWケネス・クライファート。サッカー選手としての晩年にオランダへ移住し、第3子となるパトリックを授かっている。
オアン・ジョルカエフ
祖父:ジャン・ジョルカエフ
父:ユーリ・ジョルカエフ
セント・ミレンでプレーするイタリア人MFオアン・ジョルカエフは、あのフランス代表の名司令塔ユーリ・ジョルカエフの息子に当たる。また、ユーリの父親はフランス代表として48試合に出場した名DFジャン・ジョルカエフである。
なお、ユーリには6歳年下の弟ミシャ・ジョルカエフがおり、彼もインテルにも所属したことがあるプロ選手だった。
スティーヴン・ヘンダーソン
祖父:パディ・ヘンダーソン
父:スティーヴン・ヘンダーソン
まさに「ゴールキーパー一家」。クリスタル・パレスに所属する31歳のGKスティーヴン・ヘンダーソンの父親は、アイルランド国内で長くプレーした同名のゴールキーパーだった。
その兄弟であるデイヴ・ヘンダーソンとウェイン・ヘンダーソンもともにゴールキーパーであり、後者はアイルランド代表の経験も持っている名選手だ。
スティーヴン、デイヴ、ウェインの父親はパディ・ヘンダーソン。シャムロック・ローヴァーズの伝説的な守護神だ。親族全員がプロのGKという、神に恵まれた家族だ。
ウラジミール・ヴァイス
祖父:ウラジミール・ヴァイス
父:ウラジミール・ヴァイス
三世代で全員同じ名前という珍しい一家。祖父はチェコスロバキア時代に3試合代表で出場したセンターバック。1964年の東京五輪で銀メダルを獲得したが、決勝では彼がオウンゴールをして敗れている。
父のウラジミールはスロバキア代表12capを持つMFだった。監督としてスロバキア代表を率いたこともあり、息子を重用して2010年W杯でベスト16進出を果たしている。現在はジョージア代表監督。