フランス料理が今の形になるまでの変遷とは?
by Juan Pablo González
フランス料理はヨーロッパの中でも最も偉大な料理とされ、数多くの料理や、偉大な料理人を多数輩出し、2010年にはフランス美食学がユネスコ無形文化遺産に登録されたことが示すように、フランス料理はもはや1つの「文化」であるわけです。そんなフランス料理が今日の形になるまでの変遷をライターのウェンデル・スティーヴンソンさんが語っています。
The rise and fall of French cuisine | Food | The Guardian
近代に入るまでのフランス料理史とは、基本的に宮廷料理に関するもので、庶民の食べ物については語られていません。しかし、中世のフランス料理は、肉料理はマスタード味の濃いソースで味付けされ手づかみで食べるもので、パイの皮は食べ物というよりもむしろ食器の代わり。デザートは基本的になかったとのこと。それがひとかどの食文化と言われるようになるまでにはまだまだ距離がありました。
By sonyakamoz
14世紀初頭には後にシャルル5世の下で総料理長を務めるギヨーム・ティレルがフランス料理史に多大な影響を与えたレシピ本「Le Viandier」を著しています。この本では、肉・魚・ソース・デザートなどの作り方に加えて、染料を使ってソースを着色したり、ローストされた肉を金色や銀色の葉で覆ったりする「料理の見せ方」も解説されており、フランス人がこの時代からすでに「料理の見た目」を気にしていたことがうかがえます。当時使われていた食材は季節に大きく影響を受け、晩春や夏、秋には食材が豊富である一方、冬は基本的に養殖の魚・肉の塩漬けや燻製、塩漬けのキュウリ、防腐のために蜂蜜で煮られた果物・ナッツ・根菜がメインだったそうです。
By Alex9500
フランス料理文化が本格的に花開いたといえるのは、15世紀後半からフランス革命までのアンシャン・レジームの時代といえます。イタリアで興ったルネサンスが宗教上の理由などで下火になり、むしろフランスで栄え始めます。フィレンツェで生まれたダ・ヴィンチが、晩年にはフランスに移ってモナ・リザを完成させたのも、それを示す例の1つ。1533年にイタリアの名門メディチ家のカテリーナがアンリ2世に嫁ぎ、多くの料理人らをフランスへ引き連れていくなどすると、イタリアからフランスの食文化にナイフやフォークが輸入されました。16世紀と17世紀にかけてクリストファー・コロンブスなどの探検家が新世界から持ち帰ってきた食材がフランスに入ってきたことも、当時のフランス料理の発展に寄与しました。
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17世紀におけるフランス料理文化発展ぶりを示す証拠の1つが料理本。1651年にラ・ヴァレンヌが著した「Le Cuisinierfrançois」は、中世のフランス宮廷料理で蔓延していたサフラン・シナモンクミン・ナツメグ・カルダモンなどの高級調味料を廃して「食材の本来の味を生かす」という点と、甘さと塩味を等分に混ぜるというイタリア由来の味付けを廃したという2点が特筆されており、当時のフランス料理がイタリアの影響から脱却していたことがわかります。
By dolgachov
また、Le Cuisinierfrançoisには2つの章があり、1つは通常の宮廷料理、もう1つは断食のための章となっており、ジャム入りパイやデザート、菓子などより軽食に近い料理のレシピも多数掲載されていたそうです。1691年に発表されたフランシス・マシャロットの料理本「Le cuisinier roïal et bourgeois」は料理人向けの料理本で、「スープにワインを入れて煮込む」という調理法がすでに存在していたことがわかります。
By Bundo Kim
1789年に起きたフランス革命はフランス料理史におけるターニングポイントの1つ。フランス革命以前は豚肉は豚肉屋、パンはパン屋などの職分が別たれていましたが、フランス革命によってそれらの古い秩序は撤廃。誰もが望めば料理を売ることができるようになりました。王侯貴族に仕えていた宮廷料理人が革命によって職を失った結果、彼らはフランス各地でレストランを開くことを選びました。これによって、革命以前では特権階級しか食べられなかったような料理でもお金を出せば食べられるようになったわけです。また、戦禍により食べ物の需要が高かったこともレストラン産業の追い風となりました。
この時代を代表する料理人がアントナン・カレームです。カレームはフランスの外務大臣タレーランに仕えた料理人で、1814年に開催されたウィーン会議でその料理の腕を振るい、タレーランの外交手腕とともに有名になりました。カレームのハーブに野菜、そしてその他数種の材料しか使わないというシンプルなソースはウィーン会議に出席した外交官を魅了し、味の趣味まで変えさせたという伝説が残されているほど。カレームはフランス料理の改善も行い、特にフォンと呼ばれるスープを複数の料理のベース使う点が特徴でした。カレームはさらに複雑な料理の体系を単純化し、「L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle」を始めとするさまざまな料理本でその技術を世に残しました。
By Le Grand Véfour
カレームによってヨーロッパ中にその地位を確立したフランス料理を本格的に大衆化したのが20世紀に現れたオーギュスト・エスコフィエです。エスコフィエの業績ははカレームの料理をさらに単純化し、5000種類以上のレシピが収録された「Le Guide Culinaire」の出版や、1人の料理人が全ての料理人を担当することをやめて、焼き物担当の「ロティスリー」スープ専門の「ソーシエ」、デザート担当の「パティシエ」という「料理の種類ごとの職人」の概念を作り出した人物。エスコフィエは「近代フランス料理の父」と呼ばれ、「天皇の料理番」として小説やドラマの主人公にもなった秋山徳蔵はエスコフィエの教えを受けたことで知られています。
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第二次世界大戦後には「ヌーベルキュイジーヌ(新しい料理)」と呼ばれる料理スタイルが生まれ、さらにそのヌーベルキュイジーヌから古典主義に回帰する動きも見られるなどフランス料理界は絶えず変化し続けており、「フレンチの皇帝」と呼ばれたジョエル・ロブション、史上最年少のミシュラン3つ星獲得者にして異なる国で3つ星を獲得したアラン・デュカス、新鋭スタイルのフランス料理・ヌーベルキュイジーヌなど、現代でもフランス料理界には新たなる料理人や料理文化が登場しています。
By Le Chocolat Alain Ducas
しかし、スティーブンソンさんによると、近年はフランス国外の料理がブームになるというフランス料理の危機が訪れているそうで、「今のパリは、オーストラリア人がカプチーノを提供するイタリア風カフェや、ライムジュースモヒートを提供するカフェが大人気です。アジアの食べ物も大受けで、テーブルではなく座席が全てカウンター式のラーメン屋も増えました。そして何より、かのアラン・デュカスは『理想的な昼食』としてフランス料理ではなく東京の冷たい蕎麦を挙げているのです」とフランス料理の影響力の低下について語っています。