東京都足立区鹿浜、最寄り駅から徒歩30分。へんぴな場所にあるにも関わらず、焼き肉店「スタミナ苑」は、開店3時間前から行列ができる。この店には、「総理大臣であっても予約を受け付けない」という絶対のルールがあるからだ。なぜそんなルールができたのか。ホルモン一筋45年の豊島雅信さんが「繁盛哲学」を語り下ろす――。(第1回)

※本稿は、豊島雅信『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

スタミナ苑の開店前は常に行列ができる。

■半世紀続く「スタミナ苑」

実家は肉屋をやっていたんだけど、おふくろの弟、つまり僕のおじさんから「これからは焼き肉屋がいいらしいぞ」って勧められたのがオープンのきっかけだったみたいだ。

おふくろは8人兄弟で、そのおじさんはヤクザみたいな風体だったことを覚えているけど、身内には優しかったね。子供の頃はよく海に連れて行ってくれたり、遊んでくれたな。あとから聞いたら、「海に連れて行くからいくらかよこせ」って金を徴収されていたらしい(笑)。昔の人って面白いよね。

スタミナ苑がオープンしたのは僕が10歳くらいの頃。手伝いをするのは嫌いじゃなかった。商売が好きだったんだよね。手伝いをすると客が褒めてくれるのがうれしかったのかもしれない。根が単純なんだよ。

昔から焼き肉は精がつく料理の代名詞だった。そんなに安い食べ物じゃなかったと思うよ。頻繁には食べれなかったもん。

特に関東は豚を食べることが多かったし、牛は高級品だった。関西は昔から牛の文化だよね。トンカツだって、関西に行ったら牛カツだしさ。

■オープン当時からそこそこの客

うちの屋号はずっと「スタミナ苑」。わかりやすくていい名前だよね。店名はさっきとは別のおじさんが命名したんだ。その人は不動産屋をやっていて商売上手。昔は随分と儲けたみたいだよ。近所にはいくつかおじさんの持ち物だったマンションもあった。

「スタミナ苑」はオープン当時からそこそこ客が入ったんじゃないかな。でも、我が家は裕福ではなかったよ。真面目に商売をやってればさ、なんとか食っていけるって時代だったから、贅沢さえしなければ食いっぱぐれることはなかった。

うちは肉屋だから恩恵にあずかることも多かった。煮込みが食べたい、って言えばおやじがありものを使って作ってくれたもんだね。

いやぁ、あれは本当にうまかった。

今の煮込みと比べたら雲泥の差だよ。味わいなんて今の煮込みは半分以下だね。なぜかって。それはね、狂牛病の影響なんだ。

2001年の狂牛病問題があって以降、日本でも牛の脳みそと脊髄は廃棄されることになった。牛の脊髄って中が豆腐みたいになっているんだよ。それを煮込みに入れるとトロトロになって、とにかくうまいんだ。

■行列店に並びたい人などいない

狂牛病の前は食肉処理場に行くと、肉を処理した後に廃棄された脊髄が簡単に手に
入ったもんだ。「どうせ捨てるんだから好きなだけ持って行け」って感じだった。

でも、今はすべて保健所の獣医が廃棄してしまう。

困ったのは、眼医者の卵だってさ。解剖の授業で牛の目を使いたいんだけど、もらえなくなっちゃった(編注・現在は豚の目玉を使用している)。

昔は、スタミナ苑から自転車で行ける範囲に、4軒くらい焼き肉屋があったんじゃないかな。でも、気がついたらうち以外全部なくなってた。

祝い事や給料日なんかには、近所に焼き肉屋があれば足を運んだもんだ。でも、今は違うんだろう。ある程度おいしくないとお客は来てくれない。日本という国が豊かになったんだ。

焼き肉屋はもちろん、他のお店がどんどんやめていったのは、この辺りの商店街から客足が遠のいたのが大きいね。近くにでかいスーパーができて、そっちを使う人が増えたんだ。そして商店街から人がいなくなった。

こんなへんぴなところにもだんだん建売住宅が増えて、住む人は増えてるみたいだ。だけど、近くに住む人はうちのお客にはあまりなってくれない。いくら家の近くでも、毎日行列ができてる店に並びたいなんて思わないだろ。僕だって、「いつかまた来ればいいかな」って思うもん。

■開店3時間前から待つ客も

うちの店は予約を取らない。誰が来たって並んでもらう。有名なタレントだって、政治家だって、誰でもそのルールは変わらない。

ヘタすりゃ開店の3時間前から待っているお客もいる。暑い中でも、雪の日でも待ってくれるお客がいる。ありがたいことだね。だからその期待に応えるようにおいしいものを出さなきゃなって気が引き締まるよ。

なんで予約を取らないのか。それにはちゃんとした理由がある。

それは僕が若い頃の経験からきているんだ。うちの店の前にある薬局の社長は、僕がガキの頃からとてもかわいがってくれてさ、何くれとなく面倒を見てくれてね。この店を手伝うようになって数年経ってからも、よく「マコ、行くぞ」って、フラって店に現れては遊びに連れて行ってくれた恩人なんだ。

大人の遊びも教えてくれた。社長はギャンブルの達人でさ。本当にすごいんだよ。店に来て僕に金を預けて、「おい、マコ。今からこれを持って川口(オートレース場)に行ってこい」って言うわけ。いつも20万くらいはあったんじゃないかな。当時は電話やインターネット投票なんてもんはなかったから、代理で買いにさ。

レース場についたら公衆電話からジーコジーコって社長に電話をして、出走表を見ながら試走タイムを電話口で報告するんだ。試走タイムはレース展開の大きな鍵を握っているけど、それだけを鵜呑みにしたってもちろん当たるはずがない。だけど社長はしばらく悩んだあとに、「よし、これとこれを買っておけ」って買い目を指示してくれる。

■席を遊ばせるのはもったいない

これが毎回連複の一点買いなんだから、驚いちゃうよね。なんだかなぁ、って僕も思うんだけど、その通りに買うと、これが当たる当たる! 持ってきた金があっという間に何倍にもなったりするんだからビックリしたね。

ホルモン一筋45年、スタミナ苑の豊島雅信さん。

競馬で儲けた日は、まあ自分の金じゃないんだけどさ、その金を手にしたご機嫌の社長と浅草の場外馬券売り場から『三浦屋』って店まで歩いて、フグを食わせてもらったな。この店のフグがまたうまいのなんの。当時からフグはごちそうだったしね。いい思いをたくさんさせてもらったよ。

その『三浦屋』が絶対に予約を取らない店だった。聞けば昔からそのスタイルを貫いているという。僕も若かったからさ、こんなに人気だから予約取ればいいのにって疑問に思ったよ。だって客からしたら不便じゃない。

だから、あるとき「なんで予約を取らないの?」って女将さんにストレートに聞いたの。そうしたら女将はこう言った。

「お客なんて予約したって時間通りに来ないし、だいたい1人か2人が遅れてくるから全員が時間通りに揃わないよ。予約のためにその前から席を遊ばせておくなんて勿体無いじゃない。その間に一回転しちゃうよ」ってね。

■秋元康の名言が生まれた瞬間

僕はごもっともだなぁって感心したよ。

その当時、僕は20代前半。スタミナ苑は今とは違って混雑するような店でもなんでもなかったけれど、その言葉が脳みそにこびりついてさ。

「僕の店がいつか人気店になったら、そのときは絶対に予約を取らないぞ」って誓ったんだ。それが現在のスタイルの原点。

芸能人だって、政治家だって関係ない。それだったら、月に何回も来る人を大事にしたほうがいいに決まってるじゃないか。

お店が知られるようになったのは80年代の最後、バブルのちょっと前からだね。放送作家の秋元康さんや作家の林真理子さんをはじめ、タレントや文化人が食べに来るようになった。

「一緒に焼き肉を食べるカップルはできている」って説を秋元さんが閃いたのも、うちで食べていたときだそうだよ。焼き肉って箸を使って、肉をひっくり返すこともあるじゃない。今はうちでもトングがあるけどさ。1度口にした箸を使うってことはさ……これも今や広く知られるようになったよね。

最初はみんな穴場や隠れ家的な感じで面白がってくれたかな。だんだん名前が知られるようになって、有名人がたくさん来てくれるようになった。

林真理子さんはうちの店を舞台に小説を書いてくれた。『四歳の雌牛』って短編はスタミナ苑が舞台だよ。

■ジャニーズも2時間並んで入店

あの人が食べにくる日は、人より先にきて、オープン前に中に入って奥の部屋で原稿を書いてた。林さんはうちの長男が生まれたときに花を送ってくれたり、ずっと懇意にしてもらっている。最初に来た頃は、絶賛売り出し中の勢いある若手の1人だったんじゃないかな。それからずっと贔屓にしてくれてるんだからうれしいよね。

スタミナ苑の塩味のミックスホルモン。

そういえば、松田優作が来たこともあったね。僕はテレビをあまり見ないからそんなに詳しくないんだけど、あの日はデカイのが店内の電話で誰かと話していたんだ。

当時は携帯電話なんてない時代だ。奥さんに電話をかけていたようだけど、なんだか聞いたことがある声だから厨房から覗いたら「あ、松田優作だ」って。

いやあ、背が高かったね。だってこの梁に当たりそうになってたからなあ。あれは確か病気で亡くなる数年前だったと思う。

先週はジャニーズの背の高い子が来てた。ルールを守ってずっと静かに待ってたよ。暑い中を2時間平気で並ぶんだから大したもんだ。

総理大臣だった小渕さんも並んで待ってた。うちの息子は小渕さんからかわいがってもらってね、お小遣いをもらったこともあるんだよ。

■小渕首相が大好きだった肉

小渕さんは本当によくしてくれたね。食ってる最中に「小渕さんですよね!」ってしょっちゅう話しかけられてたな。そういう時、小渕さんは「似てるでしょ。よく間違われるんだよね」って笑ってた。そして、結局はみんなと握手して帰って行くんだ。

お客は現役の総理大臣と握手して喜んでたよ。食べている最中は、レジのところにSPが立ちっぱなしだ(笑)。

小渕さんが亡くなったときはさみしかったね。僕は先生が大好きだった肉を焼いて、自宅まで焼き肉弁当を持っていった。先生の自宅は王子にあったからさ、そこまで届けたんだ。奥さんはとても喜んでくれたね。

安倍(晋三)さんも来たよ。最初は奥さんと来たみたいだけど、あまりに人が並んでたからその行列を見て帰っちゃったらしい。

そういえば、うちの店は全員が並ぶ必要はない。1人で並んでもオッケー。時間が来たときにメンバーが全員揃ってなければ店には入れないってだけ。1人でも揃っていないと入れない。

バイトの子が見たらしいけど、この前来た大女優はさ、待っている間にロケバスの中でシャンパン飲んでたって(笑)。その女優さんとも帰り際に喋ったけど、オーラがすごかった。だけど気さくでいい姉ちゃんだったな。

■「食べ上手」は得をする

スタミナ苑の塩味の煮込み。

最近の芸能人は昔と比べて気取ってないと思うね。昔からそうだけど、偉そうな客はダメだよ。飲食店では知ったかぶりしてもダメ。いいことなんて、なにもないよ。

豊島雅信(著)『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学−うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀−』(ワニブックス)

逆に言うとさ、一般のお客さんより芸能人のほうが総じて腰が低いようにも思う。今の芸能人って普通になってきたんじゃないかな。気取らないのはいいことだと思うよ。

芸能人は昔から変わらず食通が多いね。そういう人は焼き方も上手だ。やはり料理は温かいうちに食べないとさ。肉を焼いた後に冷ましちゃダメだ。

肉は出されたらすぐに食べるのがいい。そりゃそうだ、こっちはベストの状態で出しているんだから。食べるのが下手なやつらにはいいもんは出さない。どうせこいつらに出してもわからないだろって気になる。

食通は食べ上手。いろんな意味で得をしていると思うよ。

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豊島雅信(とよしま・まさのぶ)
スタミナ苑
1958年、東京都生まれ。兄の久博さんが母親とはじめた「スタミナ苑」に15歳で加わり、肉修行をスタート。以来、ホルモン一筋45年。1999年アメリカ生まれのグルメガイド『ザガットサーベイ』日本版で、総合1位を獲得。2018年『食べログアワード2018ゴールド』受賞。著書に『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学 うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀』(ワニブックス)。

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(スタミナ苑 豊島 雅信)