翻訳を行う際に避けては通れない大きな壁に、「言語的な意味としては訳せるが、文化的な違いから意味合いが変わってしまう」という問題があります。そんな文化の違いから、「I love you」を「愛してる」とするのは誤訳であり、日本語には「I love you」にあたる言葉はないのだと、日本人とアメリカ人のハーフのエッセイスト・Nina Li Coomes(クームス仁奈)さんが自身の体験とともにコラムに記しています。

Catapult | 愛してる (Aishiteru): How to Say “I Love You” When the Language Doesn’t Exist | Nina Li Coomes

https://catapult.co/stories/mistranslate-column-aishiteru-how-to-say-i-love-you-when-the-language-doesnt-exist

クームスさんがパートナーのジャックさんに「“I love you” は日本語でどういうのか」と尋ねられた時、「愛してる(Aishiteru)」だと答えたそうです。しかしクームスさんは、この訳は言語学的には正しくも、文化的には誤訳だと述べています。ジャックさんが「I love you」の代わりに「Aishiteru」と表現してくれる時に、クームスさんは温かさと同時にフレーズのぎこちなさへ寒気を感じたそうです。



その訳には「I love you」に含まれる「I」や「you」にあたる部分が存在しません。日本語では「I(愛している主体)」および「you(愛されている対象)」が明言されないため、2人の間にボンヤリとした感情が存在すると感じるほか、まるで積極的な義務として愛を伝えているように聞こえるとクームスさんは指摘します。

翻訳の際には、言語的な違いとは別に、大きな文化的な違いが誤訳を引き起こします。アメリカのロマンスの中には「I love you」があふれているのに対し、日本人はこのフレーズを日常的には用いません。メロドラマなどでは「愛してる」というフレーズが使われますが、その言葉を耳にするとどうしようもなくぎこちなさが残るという人も少なくないはず。

これは、日本語には愛を伝える方法がないということではありません。日本語には愛を伝えるための手段が何百とありますが、慣れ親しんだ「おふくろの味」を母の愛として言及したり、感情に縛られるよりも「運命の赤い糸」につながれることを好んだり、バレンタインデーやホワイトデーに贈り物をし合うことで気持ちを確かめたりと、その多くが非言語的なのです。



コラムでは「七夕」を祝うことも例としてあげられています。 天の川によって分かたれた2人の愛を祝う記念日では、2人の献身的な愛は「言葉を交わすこと」ではなく、ラブストーリーによって示されています。日本人は愛を語るのではなく行動に重きを置いているとクームスさんは考えているとのこと。



by Sendai Blog

言語は愛の営みであるとクームスさんは記しています。お互いを理解し合おうと耳を傾け、意図を正確に伝えようと話すことは、言語が異なっていても同じ言語を共有していても変わらず、愛のなせる行為です。愛してるという感情を誰かに伝えるためには、配慮と努力が必要です。表現された愛を受け止めるためにも、同様の配慮と努力が必要です。「I love you」を「愛してる」とするのは誤訳だと言えますが、愛自体を誤解しているものではなく、少し熱意のこもりすぎた表現やフレーズを用いているだけだと結論付けています。

最後に、クームスさんは「I love you」を日本語で言う時のよりふさわしい表現は「大好き」ないし「Daisuki」であり、「love」から「like」に格下げされたようにも感じるかも知れませんが、これが素直な気持ちを伝える最良の方法であると補足しています。