「奴隷制と映画──南北戦争時代の奴隷の苦しみは、誰によって語られるべきなのか?」の写真・リンク付きの記事はこちら

米国における黒人問題を扱うTwitter上のコミュニティ「Black Twitter」。インターネットカルチャーの主要なインキュベイターのひとつである、このコミュニティーで話題になっている作品がある。アマゾンスタジオが2017年8月1日に発表した歴史改変SFドラマの新シリーズ「Black America」だ。

番組を制作したのは、米国文化や人権問題に関する社会風刺アニメ「ブーンドックス」の原作者アーロン・マッグルーダーとプロデューサーのウィル・パッカーである。テレビ番組であれ、劇場で上映される映画であれ、歴史改変SFは概してディストピアを大前提としてつくられる。だが彼らは、絶妙なタイトルを冠したこのシリーズを、ユートピアと融合させた。

エンタメサイト「Deadline」によると「Black America」は、元奴隷たちが損害賠償としてルイジアナ州、ミシシッピー州、アラバマ州を手に入れて「ニュー・コローニア」(新たな居住地)と呼び、「その土地で自由に自らの運命を決していく」というストーリーだ。マッグルーダーとパッカーというクリエイターの手で奇抜な発想のドラマができるというニュースは、観るものの期待を膨らませた。

一方、その数日前には、米ケーブルテレビHBOが発表した新作SFドラマ「Confederate」の発表内容に、不安の声が上がっていた。南北戦争当時にユニオン(北部諸州)から脱退した南部の州で奴隷が優勢を誇るという設定の歴史改変SFだが、ドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のショーランナーであるD.B.ワイスとデイヴィッド・ベニオフが制作指揮を執ると発表されたのだ。

制作チームを発表したプレス声明には、怒りと驚きの声が上がった。多くの人が、白人が描く奴隷制度の単なるサイドストーリーにすぎなくなるだろうと考えたのだ。他人の苦しみ、とりわけ奴隷の苦難を誰が語るのかという問題は、依然としてくすぶるばかりか、重要さを増しつつある。

社会の好奇心とのぞき見趣味の対象

黒人の苦難を描いた映画やドラマは何十年にもわたり、白人クリエイターが片手間で描くような作品として、社会の好奇心とのぞき見趣味の対象となってきた。D.W.グリフィス監督は1915年に、奴隷制度に関する叙事詩的超大作の無声映画『國民の創生』を制作し、白人の視点から非現実的で歪曲された対立を描いた。それと同じことが、表向きには公正な解釈の下で制作された映画でも繰り返されている。

たとえば、南北戦争において実在した北軍の黒人部隊をエドワード・ズウィック監督が描いた1989年の『グローリー』や、クエンティン・タランティーノ監督による、黒人奴隷が生き別れた妻を取り戻す2012年の西部劇『ジャンゴ 繋がれざる者』といった突飛な解釈の作品だ。英作家のゼイディー・スミスが書いているように、芸術は「政治的にも歴史的にも中立であったことは一度もない」のだ。

また、黒人の苦難を通じて現代の問題点が議論されてきたのは、歴史改変SFシリーズを巡る激しいやり取りだけでない。

1967年にデトロイトで発生し、死者43人に上った黒人暴動を取り上げたキャスリン・ビグロー監督の最新作『デトロイト/DETROIT』は、「グロテスクで若干搾取的でさえある」と指摘されている。登場する黒人キャラクターたちに深みを与えようとせず、代わりに彼らに向けられた暴力を楽しんでいるというのだ。

ビグロー監督はその点に気づいた様子をほとんど見せず、次のように答えている。「自分はこのストーリーを語る上で最適な人間か、と考えればそうではありません。けれども、このストーリーを語ることはできます」。ひょっとしたら、評論家の意見が見事に分かれていることが、映画で描写されていることをよりはっきりと反映しているのではないだろうか。この作品の分析においては、白人評論家の方がはるかに寛大だ。

わたしたちが暮らす世界では、黒人の苦しみが蔓延する一方で、テレビやソーシャルフィードでは気が滅入るような安易さが繰り返されている。

黒人女性作家のブリット・ベネットは「New Republic」でこう書いている。「奴隷制度が悲惨であったことをわたしたちがすでに理解しているのなら、奴隷の憎悪や恐怖についての物語を体験し続けなくてはならないのは、なぜでしょうか?」

おそらく、過去はそういうものであるべきなのかもしれない。昔のことであり、再び体験されるべきものではない、と。

歴史と真実の狭間で折り合いをつける

1年前の2016年8月、ピューリッツァー賞を受賞したシュールレアリスム小説『The Underground Railroad』を出版したばかりの作家コルソン・ホワイトヘッドに筆者はインタヴューを行った。同作品は、黒人奴隷である10代の少女が、「実在した秘密結社“地下鉄道”が実際に北部に向かう地下鉄だったとしたら奴隷解放はどうなっていたか」を描いた奇想天外な物語だ(邦訳は2017年冬に早川書房から出版予定)。

ホワイトヘッドは、『The Underground Railroad』以前に8冊の作品を出版し、広く支持を得ている。彼は、黒人の登場人物を無教養な道化や陳腐な寄せ集めの集団として描くだけにとどまらないよう、常に配慮してきた。彼はインタヴューのなかで、『The Underground Railroad』は「時間やさまざまな歴史的エピソード」を倒錯させており、「できれば歴史そのものが語っているものとは異なる米国の物語を語りたい」と話した。

同書には、歴史的な出来事が織り交ぜられている。しかしホワイトヘッドは、同書は思索的なフィクションであり、米国の過去をつなぎ合わせながらディストピアの要素を盛り込んだ作品だと述べた。

ホワイトヘッドとの会話は、その後も長く頭から離れなかった。そして2017年3月、アマゾンスタジオがこの小説のシリーズドラマ化を決定し、『ムーンライト』のバリー・ジェンキンスが監督を務めると発表されたとき、ホワイトヘッドとの会話、とりわけ次のようなひと言を思い返した。「先進国となった米国に対するわれわれの考え方と、この国の歴史の真実とで、どう折り合いをつければいいのでしょうか?」

『Black America』と『Confederate』はともに、ホワイトヘッドの問いかけに対して、過去を考慮しながら現在形で答えを出そうとしているのだろう。

奴隷制をテーマにしたドラマは、ここ5年で急増してきた。WGNの『Underground』、ヒストリーチャンネルがリメイクした『ルーツ』、AMCの『Hell on Wheels』、CBCの『The Book of Negroes』、物議を醸したネイト・パーカー監督の『バース・オブ・ネイション』(1831年に奴隷反乱を起こしたナット・ターナーを描いた2016年の作品)、スティーヴ・マックイーン監督による恐ろしくも素晴らしい『それでも夜は明ける』。これらの作品はすべて、南北戦争以前の南部を舞台にしている。

すべての作品に共通するのが、歴史を改ざんせずに、黒人たちの苦しみを掘り起こそうとする姿勢だ。それを、共感をもって見事にやり遂げている作品もなかにはある。

とはいえ、その苦しみを振り返ったときに、何が起きるのだろうか。『Confederate』では、白人と人種差別主義的な法律が支配する土地における当然かつ不可避の結果として、強制労働を課された無力の人々が苦痛を抱く姿が描かれる。

一方、興味深いことに、『Black America』のプロデューサーであるパッカーは「Deadline」に対し、同作は南北戦争後の世界から生じた、より現代的な問題を提示するのだと述べ、こう問いかけている。「もし(黒人奴隷に)賠償が与えられたらどうなったでしょうか? もしそうであったなら、歴史が改変されたこの国は現在、どのようなものになっていたでしょうか?」

この問いかけを言い換えればこうなる。ユートピアが生まれる可能性があるのだ。

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