7月1日にヘリパッドへの進入路等の補強工事が始まりゲート前で抗議する市民 (c)沖縄タイムス/共同通信イメージズ

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 その日、沖縄北部に広がる“やんばるの森”は静寂を取り戻したかに見えた。1年前の7月22日、国は米軍北部訓練場(沖縄県東村、国頭村)に作るヘリパッドの建設工事を強行した。人口150人ほどの高江に数百名の機動隊を全国から投入。抗議の座り込みをする住民らに強制排除を繰り返し、強権でねじ伏せたのだ。

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 新たなヘリパッドは昨年12月に「完成」、北部訓練場の過半の返還を記念する式典も開かれたが、今年7月1日、通称N1地区のゲート前から資材が運び込まれ工事を「再開」した。その目的を沖縄防衛局は「舗装、排水路の整備、ガードレールの設置等の補強工事」と説明する。だが、これまでに雨により2か所で“のり面”が崩落、補修したほか、赤土の海洋流出といった問題が噴出。自衛隊ヘリに重機を運ばせてまで工事を急ぐ必要があったのか。

 N1ゲート前には、現在も制服を着込んだ20名〜30名の男性が立ち並ぶ。ただし機動隊ではなく、民間警備会社の警備員。『沖縄タイムス』の報道によれば、高江での警備費に1日あたり1800万円が出されているという。私たちの税金からだ。

 米軍は7月11日、新設されたヘリパッドでオスプレイの運用を開始した。名護市の間島孝彦さん(64)は「ここは県民の水がめがある場所。5つのダムは地下水路でつながっているので、どこかにオスプレイが墜落したらすべて汚染される」

 と懸念し、こう続ける。

「高江のほか、伊江島や辺野古でも訓練が行われるようになる。今でさえうるさいのに、どうなるのか」

 高江住民の清水有生さん(34)もオスプレイの騒音に悩まされるひとりだ。

「いちばん酷かったのが昨年6月ごろ。オスプレイが2機3機と連なって、自宅の上を夜11時ぐらいまで何度も飛んでいました。子どもが生まれて間もなかったから本当に大変で。飛ぶ音や、内臓まで揺さぶられるような低周波を感じて、子どもはちっとも寝てくれない。夜も授乳で睡眠不足だったし、子どもと2人、40度の熱で寝込んだこともありました」

 引っ越しを迫られた住民もいる。

 安次嶺雪音さん(46)は4月、夫や4人の子どもたちと隣の国頭村へ「避難」した。森の中で子育てをしたい─、その夢を叶えるため’03年から高江で暮らし始めたが、「ひどい訓練が続いて、もう限界と思ったんです。昼でも夜でも、超低空で飛ぶ。騒音はもちろんだけど、いつ落ちてくるかわからない恐怖と不安に耐えられなかった。探し回って見つけた大好きな理想の場所なのに」と悔しさを隠さない。

 昨年6月、高江で離着陸を繰り返していた際に測定された騒音は、電車通過時のガード下に相当する100デシベル級だった。日米両政府が合意した航空機騒音規制措置(騒音防止協定)では、午後10時から翌6時まで、米軍機の飛行は制限されているものの、規制は有名無実化している。

 そもそもヘリパッド建設の工事開始以前から、住民の生活への影響はまったく考慮されていない。

 どういう機種が、どのくらいの頻度で、どんなルートを飛ぶのか? 暮らしにどんな影響が出るのか? いちばん知りたい問いに対して、沖縄防衛局も、防衛省も「軍事機密だから答えられない」の一点張りだった、と安次嶺さん。

「いきなりヘリパッドを作るとしか知らされず、もう決まったこと、なんて言われたら、私たち、座り込みをするしか手段がなくなってしまった。説明してください、話し合いましょうと言うための座り込みだったんです」(安次嶺さん)

 安次嶺さんらヘリパッド建設に反対する高江住民は『「ヘリパッドいらない」住民の会』を結成、抗議活動は今年6月で10年を迎えた。基地を作らせない、使わせないための粘り強い抵抗は今も続いている。

共謀罪の前から市民監視

 7月に施行された「共謀罪」法によって、基地反対などの市民運動は、捜査当局の監視や取り締まりが強化されるのではないかと危惧されている。

 那覇出身で、現在は福岡から抗議に駆けつける仲村渠政彦さん(68)が言う。

「国が住民を通行妨害で訴えた“スラップ裁判”のとき、防衛局員は高江区民の家族構成を調べて回っていました。だから心理的な意味で、すでに共謀罪を経験している。警察も最近は、われわれを規制するときに“おまえたち共謀罪だぞ”と言って恫喝しています」

 仲村渠さんの発言を受けて、スラップ裁判の際、現場にいなかった当時7歳の娘までも告訴された経験を持つ安次嶺さんの夫・現達さん(58)がこう続ける。

「見せしめです。反対運動をしたら、あなたたちもこうなるよ、と。それでも高江に住んでいる人たちは声をあげているほうだけど、声をあげさせず、あきらめさせるシステムを、国は、共謀罪のできる前から長い時間をかけて作っている」

 しかし高江でも辺野古でも、基地建設に反対し、抗議する人々の姿が絶えることはない。

「やっぱり、みなさん戦争は嫌ですから。だから基地反対。沖縄全島から高江に来ますし、本土からも来ます。ひるまずにやっていくしかない」(仲村渠さん)

 安次嶺さんは最近、世界での連帯に目を向けるようになった。米軍駐留国・地域の女性たちが集まり、基地問題の解決に向けて情報交換する『軍事主義を許さない国際女性ネットワーク会議』が6月下旬に沖縄で開催、それに伴い来日したグアム、フィリピンなどの女性たちと交流する機会を得たのだ。

 それ以来、こんな希望を見いだしている。

「話を聞いてみると高江とまったく同じ状況で、米軍基地があることで苦しめられている人が世界にはいっぱいいた。戦争は嫌だ、自然を守りたい、基地はいらない。沖縄の人たちは何度も、選挙結果でもそう言っているのに無視して、力ずくで基地を作るのは人権侵害。同じ思いをしている世界の人たちとつながり、声をあげていきたい。そうできる時代だと思っています」