慶應義塾大学野球部 大久保秀昭監督の捕手論「強さも上手さも『知る』ことから」【Vol.1】

写真拡大 (全2枚)

 野球において、キャッチャーに求められる役割は多い。では上達したいと思った時、まずどこから手をつければいいのか。学生野球からプロ野球まで捕手、監督として渡り歩いてきた大久保秀昭・現慶應大野球部監督は、まず「知る」点を強調する。気付けた者のみが入り込める成長のスパイラル。そのヒントがここにある。

会心のゲームの裏にキャッチャーの活躍あり

大久保秀昭・現慶應大野球部監督

 1996年8月1日。アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム。アトランタ五輪野球競技準決勝。日本代表は、勝てばメダルが確定する重要な試合に臨んでいた。相手は予選リーグで5-15と屈辱の7回コールド負けを喫しているアメリカ。「もうどうしたらいいかっていうぐらい力の差がありました。アメリカには直前の練習試合から大敗していましたし、完全アウェー。日本は打線こそ良かったものの、ピッチャー陣は故障もあり本調子ではなく不安がありました。当初から内に速いボール、外に緩いボールという定番の配球というプランだったのですが投げ切れない状況。でも試合前に『相手がアメリカであるとか関係なく、インコースにあまりこだわらなくてもいいのでは?』というアドバイスもあり、国際ストライクゾーンを有効に使った外中心の配球に変えたのです。そうしたら打順一回り目からはまって」

 当時はまだプロ野球選手が五輪には出られない時代。試合では金属バットが使用されていた。日本代表チームの構成は社会人16人、大学生4人。それでも、福留孝介、松中信彦、今岡誠、井口資仁、谷佳知など、後にプロ野球で大活躍する選手たちの奮闘もあって、日本はこの大一番に11-2と大勝し、銀メダル以上を確定させた。当時のエースで、現在は高校野球解説でもおなじみの「ミスターアマ野球」杉浦正則氏がケガから復帰してきたことも大きかった。

「勝った時より負けた時の方が印象に残っているのですが、この試合はいい思い出です」と語るのは、この時キャッチャーとして日本投手陣を牽引した、現・慶應義塾大学野球部監督の大久保秀昭監督である。

「8割の確率で負ける」と感じていたアメリカを相手に抑え込んだ手ごたえがあった。さらに自身もホームランを打ってピッチャーを援護射撃できた。

 「大事な試合ほどキャッチャーのゲームプランが重要になる」という持論を象徴するような試合。決してリード一つで勝った試合ではない。この試合翌日のメディアでとりたてて讃えられたわけではない。だが、周囲に騒がれずとも、地味にそして確実に勝利に貢献するのがキャッチャーの醍醐味であり、楽しみなのだ。

キャッチャーの条件は「野球を知っている」

大久保秀昭・現慶應大野球部監督

 小学校高学年より「体格が大きいから」という理由でキャッチャーになり、その後中学は厚木シニア、高校は桐蔭学園、大学は慶応大学と第一線でプレーしてきた。慶応大学では4番キャッチャーキャプテン。その後日本石油(現・JX-ENEOS)に進み、社会人野球屈指の名捕手となって日本代表に。アトランタ五輪銀メダルの活躍もあって1996年、近鉄バファローズに入団した。プロではケガもありキャッチャーはできなかったが、引退後、コーチなどを経て新日本石油ENEOSの監督に。都市対抗野球で史上最多タイの3度の優勝に導いた。

 そんな華々しい経歴を持つ大久保監督が、キャッチャーとしての資質を問われた時、即答したのが、「野球を知っている」というキーワードだ。

「捕ってからのスローイングが早いですとか、身体が丈夫ですとか、プロになればそういう点も重要ですが、まずは何よりも野球を知っていることが重要です。野球が上手いのと知っているのとではまた別ですから」

 当たり前の話だが、改めて確認しておこう。野球は9人で行うスポーツだ。ホームベースを中心に扇状に広がったフィールドで、9人が各ポジションを守る。その際、8人はホームベースに向かって守る。ただ一人、扇の要に位置するキャッチャーだけがホームベースからフィールド全体を見て守る。つまり、フィールドプレイヤーで一人だけ視点が逆になる。他の8人には見えないものを1人で見渡す、特別なポジションだ。自分のみが得る情報や知る状況。それをどう活かすかで、試合の流れは変わる。そう考えると、キャッチャーがいかに重要なポジションかがよく分かる。

「自分のサイン一つで試合の局面がガラリと変わる。重責を担うポジションであることは間違いありません。よく言われることですが『キャッチャーはグラウンドの中の監督』です。それは実際に監督をしてみるとよく分かります」目の前のピッチャーだけでなく、同時にバッターの様子、仲間の守備位置、ベンチの雰囲気をうかがい、試合展開を感じ、あらゆる情報を頭の中で回転させながら勝つための方法を考え続ける。自然とゲームメイク能力が磨かれていくので、実際に監督になってもチームを動かすことに苦労しないのだ。

「行き当たりばったりも時には必要ですが、基本はきちんと計算して試合を組み立てる。また、ピッチャーの力を実力以上に引き立たせる。そういった『野球を知る』能力は積み重ねによってできあがっていくものです。この点におもしろみを感じられるか、がキャッチャーとして問われる資質。なんでもそうですが、仕方なくやらされるのではなく、キャッチャーというポジションに楽しみを感じられるなら、いくらでも上手くなる可能性はあります」

(文・写真:伊藤 亮)