都立校の健闘と躍進で面白くなったが、私立校圧倒の勢力図は変わらず(東京都)
早稲田実時代の斎藤 佑樹(写真提供=手束仁)
学生スポーツの歴史をたどると、早慶の関わりは避けて通れない。まして、東京はそのお膝元といっていい。慶応はやがて神奈川へ移転するが、早稲田は東京の雄として存在し続けている。高校野球でいえばその役は早稲田実業が引き受けている。21世紀になって新宿区早稲田(グラウンドは武蔵関)から国分寺(グラウンドは南大沢)へ移転し、区分も東東京から西東京への移動になったのは、東京都の高校野球地図としては多少の影響があったのは確かだ。
早稲田実業といえば世界の本塁打王・王貞治(読売、現ソフトバンク会長)の母校であり、王投手で57年春に全国制覇して、甲子園でも「WASEDA」の力を見せつける。さらに、早稲田実業が注目を浴びたのは、荒木大輔(ヤクルト→横浜)が1年生投手で活躍して準優勝を果たした78年夏である。以降、「早実フィーバー」で甲子園に女性ファンを増加させたとも言われた。これで、甲子園のファンには確実に早実の早稲田スタイルのアルプススタンドの応援雰囲気ともども定着させた。そして06年夏は斎藤 佑樹(早大→日本ハム)が登場して全国制覇。一躍ヒーローとなり、話題の中心となっていった。
同じ西東京では東京を代表する名門としては日大三が、選手の質、環境、近年の実績すべてで完全にリーダーとなっている。
62年春には倍賞明などで準優勝を果たしている。これが日大三の最初の存在感を示す活躍となるが、71年、72年と春に連続して決勝進出して、優勝、準優勝と実績を積み上げていく。そして01年に近藤一樹投手(近鉄→オリックス)らで全国優勝して、通算最高打率を残して「打棒の日大三」も印象づけた。さらに、2010年春に準優勝して、翌年夏には二度目の全国制覇を果たす。この時も、圧倒的な打撃力が看板となっていた。
この春は、この両校が揃ってセンバツ甲子園に出場した。
早稲田実業が荒木大輔で準優勝した年の春には、帝京が準優勝を果たす。その2年前に初めて甲子園に登場した帝京だが、やがて全国でも屈指の強豪となっていく。帝京が早稲田実業を下して夏の甲子園に姿を現すことになるのは83年だ。一度壁を打破して以来、帝京は毎年毎年チーム力を蓄え、いつしか東京都では一番の素質軍団となる。甲子園でも、夏2回、春1回の全国優勝を果たす。
帝京高校時代の杉谷 拳士(写真提供=手束仁)
帝京の活躍に刺激を受けてか、84年春には岩倉がPL学園を倒し、初出場初優勝の快挙を果たす。相前後して二松学舎大附、関東一といった甲子園でのキャリアが浅い学校も準優勝をするようになる。
このあたりから、東京代表は比較的春のセンバツに強いということが定着してきた。それは、一つには少年野球の好素材の選手が入ってきて、素材のよさがそのまま生きる秋季大会から春のセンバツにかけてチームがピークになるということもあるのではないかとも考えられた。
東京都のレベルが向上した要素としては、時代の流れとともに都会にリトルリーグを中心とした少年野球が普及してきたことも大きい。少年野球と一口にいっても範囲は広い。その中で、一番注目されるのは調布や現在は武蔵府中や世田谷などに代表されたリトル・シニアリーグだった。私立校で野球部を強化している学校は、こうした中学時代から硬式球に親しんでいる選手たちの存在が大きく影響していた。こうして東京都の高校野球は、とくに少年野球の情報はチーム強化に欠かせない要素にもなっていっている。
2015年夏には、そんな選手たちの活躍で東東京の関東一、西東京の早稲田実業の両校が甲子園でベスト4に進出している。強い東京勢の存在を、改めて全国に示すこととなった。
都立の躍進も私立の圧倒的強さ変わらず夏の甲子園に2度出場の実績を持つ都立城東東京の高校野球は圧倒的に私立校が強いというのが現状だ。
それでも、都立校では甲子園は夢のまた夢といわれていた時代に、甲子園に向けてひたすら頑張り続けた学校が都立東大和だった。佐藤道輔監督(故人=『甲子園の心を求めて』などの著書も有名)の熱い指導の下、かなりの強力チームになっていて、春季関東大会に出場し、2度までも西東京大会の決勝に残ったこともあった。しかし、あと一歩で結局は甲子園の夢はならなかった。
都立東大和をしても私立校の壁は厚いと多くの人が思い出した矢先の80年、西東京大会で都立国立があれよあれよと決勝戦まで上り詰め、ついでに決勝でも同じく初出場を狙っていた駒大高に2対0で勝って甲子園に届いた。これは、もしかしたら、東京都高校野球始まって以来の大番狂わせでもあり、歴史に残る快挙だった。
ただ、それは一つのきっかけにはなったものの、必ずしも都立校に可能性が芽生えたというふうにはならなかった。やはり、帝京、日大三、早稲田実業、堀越、関東一、修徳、桜美林、日大一、日大二に80年代後半から急速に強くなった国士舘や創価などの壁は厚かった。
都立国立の甲子園から19年、多くの人の記憶もその快挙が片隅に追いやられるようになっていた。私立の強豪といわれる学校も、前述校以外にも國學院久我山、東海大菅生、岩倉、東亜学園、世田谷学園、二松学舎大附、安田学園、日体荏原(現日体大荏原)や日大鶴ヶ丘、日大豊山など中堅以上の力を持つ私立も軒並み増えていた。
しかし、そんな中で確実に甲子園を意識してチームを強化していた都立校が有馬信夫監督率いる都立城東だった。普通の都立校だが、監督と選手の意識は普通ではかった。「強い思いで信じれば必ず夢はかなう」という信念にも似た思いで取り組んで、甲子園出場を掴み取った。確実に新しい波が来ていることを告げるものだった。
都立城東の甲子園出場は多くの都立校の指導者や選手たちに勇気と自信を与えた。
都立の指導者たちを中心として「高校野球研究会」という集まりが組織されている。任意団体ではあるが、熱心な指導者たちが情報交換をしながら切磋琢磨していくことが目的となっている。都立城東の甲子園出場はその一つの大きな成果でもある。その中心メンバーでもある有馬監督は01年から都立保谷に移ったが、代わって都立城東は請われて梨本浩司監督が就任。早々の01年夏に再び甲子園出場を掴み、都立城東はもはや東京の強豪校という位置づけを確かなものとした。指導者の引継ぎもスムーズに流れたいたことの証明にもなった。この年はベスト4に都立江戸川も残った。「都立決勝実現か」と地元マスコミも煽っていた。
その2年後、東東京では都立雪谷も甲子園を実現する。04年夏には西東京で都立昭和と都立国立がベスト4に進出し話題となった。都立日野もベスト8、ベスト4の常連となり、13年には西東京大会決勝にまで進出している。都立日野は16年の秋季東京都大会でもベスト4に進出した。また、都立小山台は14年春に東京都としては初の21世紀枠代表校として甲子園出場も果たした。さらには都立片倉、都立府中工、都立小平、都立文京、都立総合工科、都立紅葉川、都立足立新田などもそれぞれ実績を残してきている。
私学勢も復活を目指す岩倉、日大二、佼成学園、修徳、東亜学園、城西大城西、堀越などがいる。16年夏の悲願の初出場を果たしているのが八王子だ。大学系列校も東海大系列校として唯一甲子園出場がないだけに、悲願を果たしたい東海大高輪台はじめ、“本家早稲田”としての意地を示したい早大学院や青山学院、法政大高、明大中野と明大中野八王子。さらには、都立雪谷を甲子園に導いた相原健志監督が招聘された日体大荏原、過去春に一度甲子園出場を果たしている駒大高に専修大附なども虎視眈々と上位を見据える。そして近年躍進している聖パウロ学園、駿台学園、錦城学園、朋優学院、足立学園、日本ウェルネスなどの存在も侮れない。
各校ともに、指導者が切磋琢磨しあう環境がある。情報交換しながら、お互いのレベルを上げていこうという意識で取り組んでいる。だから、東京都の高校野球は確実に底上げされてきており、強豪校といわれるところでも序盤から安心はできないというようになってきている。
(文:手束 仁)
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