花咲徳栄高等学校(埼玉)「徳栄投手メソッドの原点」【vol.3】

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■第1回「選手を『育成』しつつ『勝利』も呼び込む二刀流理論 徳栄メソッドの正体」■第2回「非日常な状況で勝てる投手になるには」

 最終回は岩井 隆監督はなぜ今の指導スタイルになったのか、その原点に迫ります。

「夏に勝つ」に至るまで

トレーニングの様子(花咲徳栄)

 岩井 隆監督が「自立」の重要性を説く裏には、花咲徳栄での指導経験が大きく影響している。岩井監督が「恩師」と仰ぎ「偉大すぎる」と尊敬するのが、稲垣 人司前監督だ。2人の出会いは岩井監督がまだ中学生3年生の時。「自分に野球の技術を納得させてくれたのが稲垣さん。最初から“この人に一生ついていかないと”って思わされた」ほど理論的で、選手づくりに関しては職人だった。

 その後、桐光学園、東北福祉大を卒業した岩井青年は、花咲徳栄高校で稲垣監督の下コーチにつく。ともにチームを作っていく中で、プロに進む選手が次々に育つ。だが、なぜか甲子園には出られない。なんとか甲子園にも出たいと考えた岩井コーチは当時、徹底的に選手を鍛え上げるタイプだった。だが、2000年10月、稲垣監督が急逝される。突如チームを引き継ぐことになった岩井監督は、初めての冬を越える前に、当時野球部部長でもあった佐藤 照子校長に呼び出された。「懐かしいなあ」と言いながら当時を振り返る。

「『試合の後半に弱い。どの試合でも後半になるにつれ選手たちの自信がなくっているように見える』と言われて。だったら自信を持つようにもっと練習しましょう、と進言したら『あなたに教わる選手たちがかわいそう!』とガラスが割れるんじゃないかぐらいの勢いで怒られて」

 佐藤部長から下されたのは「毎日走らせなさい」という指令。しぶしぶ受けた岩井新監督だったが、実際やっていくうちにチームの変化を感じ始める。「どうせやるなら苦しい中でも楽しんでやろう、と。みんなで乗り越えていこう、と考えるようになって。そうしたら、本当に試合の後半に強くなったんです」

 一冬越えたチームは埼玉県の春季大会で優勝し、関東大会でも初優勝。その年の夏の県予選は後半の逆転劇もあり、そのままの勢いで甲子園初出場(2001年)を決めた。そして2003年のセンバツにも出場し、当時ダルビッシュ 有がエースだった東北を下してベスト8に進出するなど快進撃を見せる。この時の成功体験は今でも引き継がれ、「我慢強くしぶとくなるため、あと集団性を身に付けるため」チームでの走り込みは必ず行っているという。

 果たして、プロレベルに達する選手を育てるだけでなく、勝てるチームになった。だが、2003年から次の甲子園出場まで7年間の空白があく。「完全な過信です。この野球を続ければ勝てると思い込み、コーチに任せるようになってしまった。この7年間の間に2回くらいは自信のあるチームを作ったんですが、それでも勝てなかった。そこで原点回帰をして、もう一度自分が選手の中に入っていったんです」

 2010年春のセンバツで甲子園復帰を果たすと2011年夏、2013年春にも甲子園へ出場する。だが、今度は甲子園で勝てなくなった。「2010年に1度勝ったきりで、2011年夏、2013年春はともに初戦負け。特に2013年は優勝を狙う勢いだっただけにショックでした。当時は無理やりやって甲子園に行っている感じだった。それでも、特に夏は勝ち切れないイメージが強くて。春は勝てても夏は勝てないその違は何だ、と考えた時に思い浮かんだキーワードが『自立』だったんです」

自立を促すことでもたらされた確かな効果

綱脇 慧選手(花咲徳栄)

 夏の独特なプレシャーを乗り越え、勝ち切るために必要なのは、自分たちだけで最高のプレーを発揮する自立性。そう感じた岩井監督は、ヒントを得られそうな書物はマンガから神話まで触れ、講演会にも積極的に参加し知見を深め、指導に持ち込んだ。「そうすると不思議なもので、プロに進む選手も増えてきただけでなく、プロでの在籍期間も伸びてきたんです」

 岩井監督は「遺伝子と生い立ちは変えられない」と言う。野球に出る性格やタイプは高校に来るまでの家庭環境や家族構成から大きな影響を受けている。「それらを越えるぐらいの指導ができないといけない」と考えた時、何をするか。特に重視したのは「野球以外の時間の過ごし方」だ。「アスリートにとって大事なのは、競技以外の時間の過ごし方だと思うんです。授業態度、寮生活。そこに本性が出る。授業を聞かないでクラスをまとめられない人物が、甲子園の何万人もの観衆の中で堂々とパフォーマンスを発揮できるかって、できるわけないですよね」

 教えは生活全般に及び、もはや道徳の域だ。そのことは岩井監督も分かっている。部員全員の授業態度をチェックし、時には授業中の教室を巡ることもあるという。そして、直接言うことはギリギリまで我慢し、アドバイスにとどめて本人の気付きを待つ。どうしても言わなければいけないのは、その選手に対して自分の中で危機感を感じた時だ。「そこで大事なのは、呼び出されたら嘘は通じない、隠し事はできない、と感じさせること。加えてこちらの意見を押し付けるのではなく、相手の意見を引き出させるように会話を進めることです」

 選手たちに本音を引き出させるためには「常に見られている感覚」と「威厳」を与え続けることが大事だという。取材時も、ずっと質問に答えつつグラウンドを眺め続け、なにかあったら一言だけ言っていた。

 その眼力は本物だと、前出の綱脇 慧投手が証言する。「よく質問されます。試合でよくなかった時も、言われるのではなくて理由を聞かれます。その答えを考えてノートに書いたり、試合中にまとめて報告するんです。間違っていることの方が多いですけど、考えさせられているのは間違いありません。ピッチングを終えて先生に報告に行くと、感じていた通りのことを指摘される。痛いところを突かれるといいますか、図星といいますか…だから納得せざるを得ないんです」

 とっかかりが難しく、効果が出るまでの時間も読めず、具体的な方法も見つけづらい「自立」を促す方法。だが、手探りながらも続けたところ、2015年夏(ベスト8)、2016年春(1回戦)、夏(3回戦)と甲子園を席巻し、同時に高校球界トップクラスの投手の育成も果たした。勝って選手も育つ二刀流指導の正体は、投手育成理論だけでなく、特別な選手育成理論だけでなく、「自立」を中心に進められた人づくりだったのだ。そう考えれば、どのポジションからもプロ選手が生まれている事実にも納得がいく。時系列だけ追うと、稲垣前監督の選手育成理論に岩井監督理論が積み上げられたように見えるが、実際は真逆。稲垣前監督の選手育成理論をさらに掘り下げたのが岩井監督理論である。

「『花咲野球』とか、『岩井野球』とか、考えたことがなくて。座右の銘もないし…自分はいい加減だと思うので」

「考え続けても自分の中で答えが出ない」と笑う岩井監督はまだ理想の指導法を追い求めている途中なのか。だが、一つだけ実感していることがあった。「花咲徳栄にいなければ今のような考え方にはならなかったかも。やっぱり『徳』が『栄える』ことを第一義としている学校だから」

 であれば、稲垣前監督の選手育成理論をさらに掘り下げた岩井監督理論、この総合理論を「徳栄メソッド」と言ってみてはどうか。けっこう真意をついていると思うのだが――。

【動画】花咲徳栄の練習・トレーニングの様子

 最後に花咲徳栄のトレーニングの様子を動画で紹介!第1回「選手を『育成』しつつ『勝利』も呼び込む二刀流理論 徳栄メソッドの正体」で紹介したチューブトレーニングの様子が見られるぞ!

(取材・文=伊藤 亮)

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