宇宙航空研究開発機構(JAXA)は2016年4月15日、通信途絶中のX線天文衛星「ひとみ」のトラブル原因について、有力な可能性を発表した。それによると、姿勢制御機能の異常でまず18時間で1回転というゆっくりとした回転を起こしたあと、緊急時の安全モードの設定ミスにより急激に回転、分解に至ったというものだ。


カーナビが「ぽん」と急に変わる瞬間



JAXAの推定シナリオを、順を追って見ていこう。3月26日、「ひとみ」はそれまで観測していた「かに星雲」から「活動銀河核」へ、望遠鏡の向き(姿勢)を衛星ごと変更した。3時22分、計画通り姿勢変更に成功したと思われる。「ひとみ」には慣性基準装置(IRU)というものが搭載されており、姿勢を測定している。IRUの原理は、スマートホンの傾きを知るセンサーとだいたい同じだ。


4時9分、「ひとみ」に搭載されている「スタートラッカ(STT)」という装置が作動したと思われる。STTは星空を見て衛星の向きを正確に測定する装置だ。この時刻までSTTの視野は地球に遮られていたのだが、「ひとみ」が地球の周りを回ってきたことで星空が見えるようになったのだ。4時10分、STTが「ひとみ」の姿勢を正確に測定したと思われる。


さて、IRUは多少の誤差があり、姿勢変更中には誤差が増えるので、STTを使って補正する必要がある。4時10分にSTTが算出した姿勢は、直前にIRUが算出した値とは違っているので、見かけ上、「ひとみ」が突然回転したようになっているはずだ。この現象は、カーナビを使っていてトンネルを通過したときを思い起こすといいだろう。トンネルを通過中はGPSが使えないので、速度センサーだけで現在地を表示しているので誤差が大きい。ところがトンネルを出た瞬間、GPSで測定した位置に「ぽん」と飛ぶことがある。これと同じことが起きたのだ。


急に動いたように見えても、実際には動いていない。STTが繰り返し姿勢データを算出すると、だんだん「やっぱり回転していないみたいだ」とわかってくる。通常はこれで安定するはずだが、今回は違っていた。


なぜかスタートラッカがリセット



STTが誤差を補正し始めた直後、なぜかSTTがリセットしてしまったようだ。ようだ、というのはリセットしたことを確認できるデータがないからなのだが、そう考えるとこのあとの辻褄が合う。


STTは星空を見て衛星の姿勢を知る装置なので、まず自分が見ている星がどの星なのか、星座表と見比べて確認しなければいけないのだ。それをしている間は当然、姿勢がわからない。STTがリセットされたことで姿勢データが入らなくなってしまった。


このとき、直前のデータから「ひとみ」が計算したのは、「ひとみ」が1時間に21.7度というゆっくりした速度で回転しているということだ。しかしこれは先程の「ぽん」と動いたときのデータの名残なので、実際にはほとんど回転していない。回転していないのに、回転していると思い込んでしまった。そこで姿勢制御コンピューターは「ひとみ」を逆向きに、毎時21.7度の速さで回した。この結果、本当にその速度で回転し始めてしまったのだが、コンピューターは今度は回転していないと思い込んでいる。


4時14分、STTが星空を確認し直して姿勢を算出した。IRUは「ひとみ」が止まっていると思い込んでいるが、実際は約3分で1度回っていたので、IRUのデータとSTのデータが1度以上ずれた。IRUは複数の装置がお互いにチェックしているので、誤差はあっても故障は考えにくい(あればチェックで気付く)。コンピューターはSTTが故障していると考えて、以後はSTTを無視することに決めてしまった。


止まっているつもり、止めているつもり


IRUは回転速度を毎時21.7度、勘違いしたまま作動を続けている。このため「ひとみ」は毎時21.7度、ゆっくりと回り続けたが、コンピューターはそのことに気付いていない。止まっていると思っているのだ。


ところで人工衛星は地球の重力の関係で、軌道上では自然に「直立」してしまうような力が働く。「ひとみ」の望遠鏡を目的の天体に向け続けるには、「直立」しないように踏ん張り続けなければならない。そのために2つの装置が使われる。


ひとつは、内部のコマを回すようにしてその反動で衛星全体を回す、「リアクションホイール」(RW)だ。これを使って「踏ん張る」と、だんだんコマの回転が速くなって限界に達してしまう。もうひとつは、地球の磁気を利用する「磁気トルカ」(MTQ)だ。こちらは電磁石に通電するだけなので、限界がない。そこで、MTQを使って踏ん張る。


ところが、「ひとみ」のコンピューターは「ひとみ」が止まっていると思い込んでいるが、実際には回っているから、だんだん向きが変わっていく。MTQは地磁気の作用で向きを変えるから、自分の向きが逆になると地磁気の向きも逆になり、「ひとみ」を踏ん張って支えるどころか、逆に回してしまう方向に作用し始めた。


コンピューターはRWを使って「ひとみ」を止めようとするが、MTQの力に逆らわなければならないので、じきに回転数が限界に達してしまった。10時ごろの通信には、RWが限界に近いことを示すデータが含まれていた。


安全モードに入ったのに、第2のトラブル



RWが限界に達すると、「ひとみ」は正常な姿勢制御ができなくなる。非常事態だ。こうなると衛星は安全モードである「セーフホールドモード」を自ら選択し、天文観測はひとまず中断して、太陽電池を太陽に向けることに専念する。「お手上げです、どうしていいか教えて下さい」というわけだ。


RWの異常が起きているので、RWを使わない「RCSセーフホールドモード」になった。RCSとはスラスタ(小型ロケットエンジン)を使って衛星の向きを変えるシステムのことで、「ひとみ」は通常は使用しない。前回に使用したのは打ち上げ直後で、ロケットから分離した「ひとみ」の姿勢を安定させた。このときの動作は正常だった。


しかし今回は正常に動作しなかった。その原因は2月28日に行われた設定変更だったことが確認された。「ひとみ」は打ち上げられたあと、X線観測機器を載せたマストを伸ばすので、回したときの回り方が変わる。そこで、打ち上げ直後とは回し方を変えるよう、スラスタ噴射のパラメタ(動作量の設定値)を調整したのだが、このパラメタに間違いが見つかった。そして、間違ったパラメタでスラスタを噴射すると、「ひとみ」が分解するほどの高速で回転してしまう場合があることがわかったのだ。


地上からの観測で、「ひとみ」の分解は10時42分前後だったと推定されている。これでシナリオは繋がった。JAXAはこのシナリオを中心に、さらに確認を進めていくつもりだ。


何が問題だったのか


ここからは筆者の論評だ。JAXAのシナリオが正しいと考えると、何が問題だったのだろうか。


根本的にはどうしても、セーフホールドモードでのスラスター噴射パラメタの間違いが最大の問題と言わざるを得ない。その前に起きた姿勢制御異常も含め、衛星の姿勢が異常になることを想定して設けられているのがセーフホールドモードだ。なのに、セーフホールドモードの動作で衛星を壊してしまったというのでは意味がない。


2月28日に送信したパラメタがどうして間違っていたのかは、調査中だ。通常、こういったデータは企業とJAXAが協力して作成し、チェックする。その体制も含めて調査を進めているという。


それ以前のSTTの異常と、そこからの動作も筆者には疑問が浮かぶ。STTの誤差が増大し、故障の可能性があると判定して無視されていた段階で地上から適切な指示を送っていれば、問題は回避できたかもしれない。しかし今回、そういったチェックを行うのは最初のトラブルの約20時間後、日本の内之浦の上空を行うときを予定していたため、衛星の分解から13時間も後のことだった。


今後、事故原因を分析するうえで、こういった再発防止策も議論されることだろう。


復活の望みは



今回は「ひとみ」のトラブル原因の推定であって、「ひとみ」の状態は依然として不明だ。しかし筆者は、復活の望みは少しだけ増えたと考える。それは、異常回転の原因がわかれば対処方法も検討できるからだ。


パラメタは間違いが明確なので、正しいパラメタを送り直せば良い。STTの異常の原因は不明だが、STTに異常があっても今回のような異常回転を起こさないようにプログラムを変更することは可能だろう。こういった宇宙でのプログラム変更は過去にも何度も行われており、異常を起こした衛星や探査機を復旧させている。


問題は、回転によって「ひとみ」がどの程度壊れているかだ。長く突き出した伸展マストは、硬X線望遠鏡の撮像機ごと千切れてしまった可能性が高い。太陽電池の一部も失っているだろう。


一方、衛星の胴体に搭載された軟X線望遠鏡、軟X線分光検出器、軟ガンマ線検出器は正常の可能性もある。軟X線分光検出器の液体ヘリウムは電源がないと4週間ほどで蒸発してしまうが、先代X線天文衛星「すざく」の教訓から液体ヘリウムなしでも観測が可能な設計になっている。


「ひとみ」の破損状況が判明するにはまだ時間が掛かると思われるが、JAXAでは原因究明と、復旧へ向けた衛星追跡を続ける模様だ。


 


Image Credit: 池下章裕、JAXA