潔白だった我那覇、病状口外を望まなかったオシム――、総括と反省なきJリーグ
『悪者見参』(集英社)、『オシムの言葉』(集英社インターナショナル)などで知られるジャーナリスト木村元彦氏が、昨年末『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル)を上梓した。
現在FC琉球でプレーする、元日本代表FW我那覇和樹のドーピング冤罪事件の真相を克明に描いたノンフィクションだ。木村氏がこの本を通して伝えたいこと、伝えなければならないこととは何か。スペシャルインタビューの後編をお届けする。前編はこちら (聞き手 刈部謙一)
刈部 この事件は、サンケイスポーツの記者が、正当な行為であるはずの点滴治療をよく理解せずに「にんにく注射」と書いてしまったことが発端でした。本書の中でその誤報を追求すべきではなかったとの声もあったようですが。
木村 これについてはいろいろなことを考えましたが、そこを突くことによってこの問題の本質が矮小化されてしまうのではないかと危惧した結果、抑えることにしました。というのも、CASの裁定が「シロ」だというふうに出たときに、「そもそも悪いのはJリーグじゃなくてサンケイスポーツの記者じゃないか」という言説が一部から流布されました。Jリーグを擁護することで日本サッカー協会の権力者に媚びる言説です。本来ジャーナリズムが担うべき権力の監視ではなく、権力の番犬に堕しています。腹が立って仕方が無かったのですが、これはすごく巧妙に、論理をすりかえている。こんな理屈が流通するようでは日本のスポーツジャーナリズムはあまりに幼稚です。ならば、ではJリーグの事情聴取は何のためだったのか。聴取の音声データを聞けば、行なったのは治療行為でワンショットのにんにく注射でないことが分かるし、川崎の後藤ドクターはきっちりと事実を述べて反論している。聴取で事実が報道と違うことが分かればJリーグはサンケイスポーツを呼び出して「きちんと取材しろ」と叱責してそれでおしまいだったんです。それが最初から処罰ありきで動いた。後になって有罪にした理由を「治療に緊急性が無かったこと」と挙げている青木DC委員長はこの最初の事情聴取ではしっかりと「今年から(WADA規程で)緊急性の文言は無くなった」と発言しているから、本当は我那覇はシロなのが分かっていたのに確信犯で有罪にしたとさえ言われています。事件を語るときに間違っていけないのは、ドーピング違反と裁いたのはサンケイスポーツではなくてJリーグだったということ。裁判官と検事が分離していない制度で裁判をして、反論の権利があるのにその機会も本人に教えなかった。例えば一般社会で冤罪が起こったときに司法に「有罪にしたその根拠は?」と質したときに、「だって新聞がそう書いてたんだから悪いのは新聞じゃん!」って言いますか? こんな理屈で免罪されると思っていたら逆にサッカー界が呆れられます。サンケイスポーツを叱責しなくていけない立場にあるJリーグが逆にサンスポの誤報に責任転換するのは全く話しにならない。
刈部 僕も、あそこでサンスポを突かなかったのは大正解だと思いました。もしその誤報を追求していたら、本質がぼやけてしまうというか、問題がすりかわってしまいます。
木村 もちろん、誤報は弾劾されるべきですが。それともう一つは、そのサンスポの記者は我那覇に直接謝っているんですね。Jリーグはいまだに謝罪すらしていないわけですから、それに比べたらまだマシなわけです。実は2009年のプロ野球のクライマックスシリーズで、中日ドラゴンズの吉見というピッチャーが、点滴治療をした際にお膝元である東京中日スポーツに、「疲労回復ににんにく注射を打った」って書かれたことがあったんですね。おそらくその記者も何も知らなかったんでしょう。それで、その記事を見た対戦相手のジャイアンツが、それはドーピングじゃないかと言って、NPBは吉見を事情聴取したんです。事情聴取の結果、NPBはカルテも見て正当な治療だったと理解して放免になったのです。これが本来の機構のあり方です。この部分ではまだプロ野球のほうがマシなんですよ。中スポの記者は球団に相当しぼられたと思いますが(笑)
刈部 本書を書くにあたり、一番苦労した点はどんなところですか?
木村 あとがきにも書きましたが、本当にドクター間の権力闘争ならすぐに取材を止めるつもりでしたから、まず、公正に客観資料を集めることですね。一次情報を得るために、いろんなところと信頼関係を作らなければなりません。Jリーグの議事録をそのまま転載という形にすると、著作権はJリーグにあるので、そっちで問題になるのと、文字だと途中で議事録が改ざんされているという疑惑まで出てきた。だから議事録じゃなくて、元の音声データを独自に入手して、テープを起こして書かなければなりませんでした。この本に出ている会話は、言った言わないでなく、すべて音声が元になっていますよ。鬼武さんがJFAハウスに我那覇の冤罪を晴らすために立ち上がったサンフレッチェとレッズのチームドクターを2人呼んで「僕は気に食わない」と恫喝するところも、ちゃんと音のデータがあります。
刈部 それは読めばわかりましたし、ちゃんと伝わってきました。まさにジャーナリズムというものの有り様をしっかりと示しているなと。だからこそ、当事者たちにはしっかりと向き合ってほしいと思うのですが、やっぱり権力に近づいちゃうと、人はそれを手放したくなくなってしまうということなのですかね。
木村 今回の件も、偉い人たちがそこにしがみつきたかったということだと思いますが、だからといってそのしわ寄せを選手に押し付けるのは許されざることです。しかも最終的にJFAに登録した日本の全サッカー選手がとんでもないドーピング規程に縛られて潜在的なドーピング違反者にされていたという事実。競技団体が何のために存在するかというと選手の健康と人権を守るためですよね。保身のために選手の健康と人権を害したわけですから、その罪は重いです。
刈部 ほんとにとんでもないですよね。あの一件のせいで我那覇選手は、ある種違う方向に行かされてしまった。本書の冒頭にもあったように、せっかく日本代表になって、いざっていうときに。本当に口惜しいし残念ですね。
木村 特に当時はオシム監督でしたから、平等にチャンスを与えていましたし、我那覇選手は万能型のFWとしてあのチームの中ですごく可能性を持っていた。本当にもったいない。
刈部 オシム監督のリタイアについても、すごくあいまいにされていますよね。川淵さんが、突然記者会見でうさんくさい涙を見せて、有無を言わさず交代の流れに持っていった。強制退去と言ってもいいかもしれない。
木村 川淵会長は家族が病状については誰にも言ってほしくないって言ったにもかかわらず、オシムを見舞った直後のご自身の講演会で、脳が異常に腫れてるとか話してしまった。「オシムって言っちゃったね」失言で監督にして、最後は家族の意向を無視して症状を口外した。日本サッカーのために命をかけてくれた監督や代表選手にリスペクトが無いですね。ドーピング問題のときも勝手に自分で量刑まで記者に話してしまって後に引けなくなった。
刈部 やっぱり権力を持った人の最期っていうか、終着感がいろんな歪みとして表れていますよね。こと我那覇選手の一件に関して言えば、間違いを認めたからといって彼らがけん責されるわけじゃないですか。悪かった、こちらが間違っていた、お金もちゃんと返すと、言えばいいのに。
木村 本書の終盤にもありますけど、CASはドーピングだったかどうかというところまで踏み込んでいないと、Jリーグ側は主張します。そういうことを言ってくれる弁護士事務所をわざわざ探し出して理事会で報告していたことを三ツ谷洋子理事(当時)が「Jリーグの最後の酷い悪あがきだった」と語ってくれました。三ツ谷さんのように組織の中にいても毅然とおかしいことはおかしいと声をあげる理事もいたんです。それこそが真にJリーグを愛し、より良き方向に導こうとした理事だと思います。
刈部 間違っちゃったって言えばいいことだし、それが普通の人間のありようだと思うんですけどね。だから、あとがきの最後にゲーテの言葉を持ってきているじゃないですか。「財産をなくしたら、また働けばよい。名誉を失ったら、挽回すればよい。しかし、勇気を失えば、生まれてきた価値がない」と。あれを読んで思いましたけど、本当に彼らに言いたいことは、「もっとちゃんと生きようよ」と。逆に言うとそういう言い方しかありえないくらい、残念でしたね。
木村 一つの法があって、その前に人々は平等であるはず。しかし、この事件を取材して分かったのは、これはおかしいと声を上げた人たちに対して偉い人たちは、堂々と仲裁を受けようとせず、ただ先輩、後輩の関係で縛ろうとする力が働いた。こういう部分は自浄装置を持たないといけないですね。
刈部 ほんとにしょうがないですね。最後になりますが、いろんな反響があってよかっただろうし、問題点も残すことができたのですから、現時点でも成果はあったと思うんですけれど、木村さん的にもう少し望むことがあるとしたらどんなことですか?
木村 Jリーグは20周年を迎えますけれど、この問題があいまいなままだった。それが書こうと思った大きな動機だし、いまだに我那覇選手がドーピングをしていたと誤解している人も多かったわけですから、そうではないというのを伝えたかったわけです。彼はまったく潔白で、それどころかJリーグを救ってくれたというのを知ってもらいたかった。だからJリーグはそこに対する総括と反省をしっかりしたうえで21年目に行かないと。さらに言うと、現実問題として、川崎に対する1000万円の制裁金を返してないわけです。これも返却すべきです。チェアマンは代わりましたけど、個人的に鬼武さんが我那覇君に謝罪するというのではなく、組織として我那覇選手に謝罪すること。我那覇選手はその後の選手たちの健康を救ってくれたわけですよ。それも何千万円もの私財を払って。
刈部 本当にそうですね。今日はどうもありがとうございました。
現在FC琉球でプレーする、元日本代表FW我那覇和樹のドーピング冤罪事件の真相を克明に描いたノンフィクションだ。木村氏がこの本を通して伝えたいこと、伝えなければならないこととは何か。スペシャルインタビューの後編をお届けする。前編はこちら (聞き手 刈部謙一)
木村 これについてはいろいろなことを考えましたが、そこを突くことによってこの問題の本質が矮小化されてしまうのではないかと危惧した結果、抑えることにしました。というのも、CASの裁定が「シロ」だというふうに出たときに、「そもそも悪いのはJリーグじゃなくてサンケイスポーツの記者じゃないか」という言説が一部から流布されました。Jリーグを擁護することで日本サッカー協会の権力者に媚びる言説です。本来ジャーナリズムが担うべき権力の監視ではなく、権力の番犬に堕しています。腹が立って仕方が無かったのですが、これはすごく巧妙に、論理をすりかえている。こんな理屈が流通するようでは日本のスポーツジャーナリズムはあまりに幼稚です。ならば、ではJリーグの事情聴取は何のためだったのか。聴取の音声データを聞けば、行なったのは治療行為でワンショットのにんにく注射でないことが分かるし、川崎の後藤ドクターはきっちりと事実を述べて反論している。聴取で事実が報道と違うことが分かればJリーグはサンケイスポーツを呼び出して「きちんと取材しろ」と叱責してそれでおしまいだったんです。それが最初から処罰ありきで動いた。後になって有罪にした理由を「治療に緊急性が無かったこと」と挙げている青木DC委員長はこの最初の事情聴取ではしっかりと「今年から(WADA規程で)緊急性の文言は無くなった」と発言しているから、本当は我那覇はシロなのが分かっていたのに確信犯で有罪にしたとさえ言われています。事件を語るときに間違っていけないのは、ドーピング違反と裁いたのはサンケイスポーツではなくてJリーグだったということ。裁判官と検事が分離していない制度で裁判をして、反論の権利があるのにその機会も本人に教えなかった。例えば一般社会で冤罪が起こったときに司法に「有罪にしたその根拠は?」と質したときに、「だって新聞がそう書いてたんだから悪いのは新聞じゃん!」って言いますか? こんな理屈で免罪されると思っていたら逆にサッカー界が呆れられます。サンケイスポーツを叱責しなくていけない立場にあるJリーグが逆にサンスポの誤報に責任転換するのは全く話しにならない。
刈部 僕も、あそこでサンスポを突かなかったのは大正解だと思いました。もしその誤報を追求していたら、本質がぼやけてしまうというか、問題がすりかわってしまいます。
木村 もちろん、誤報は弾劾されるべきですが。それともう一つは、そのサンスポの記者は我那覇に直接謝っているんですね。Jリーグはいまだに謝罪すらしていないわけですから、それに比べたらまだマシなわけです。実は2009年のプロ野球のクライマックスシリーズで、中日ドラゴンズの吉見というピッチャーが、点滴治療をした際にお膝元である東京中日スポーツに、「疲労回復ににんにく注射を打った」って書かれたことがあったんですね。おそらくその記者も何も知らなかったんでしょう。それで、その記事を見た対戦相手のジャイアンツが、それはドーピングじゃないかと言って、NPBは吉見を事情聴取したんです。事情聴取の結果、NPBはカルテも見て正当な治療だったと理解して放免になったのです。これが本来の機構のあり方です。この部分ではまだプロ野球のほうがマシなんですよ。中スポの記者は球団に相当しぼられたと思いますが(笑)
刈部 本書を書くにあたり、一番苦労した点はどんなところですか?
木村 あとがきにも書きましたが、本当にドクター間の権力闘争ならすぐに取材を止めるつもりでしたから、まず、公正に客観資料を集めることですね。一次情報を得るために、いろんなところと信頼関係を作らなければなりません。Jリーグの議事録をそのまま転載という形にすると、著作権はJリーグにあるので、そっちで問題になるのと、文字だと途中で議事録が改ざんされているという疑惑まで出てきた。だから議事録じゃなくて、元の音声データを独自に入手して、テープを起こして書かなければなりませんでした。この本に出ている会話は、言った言わないでなく、すべて音声が元になっていますよ。鬼武さんがJFAハウスに我那覇の冤罪を晴らすために立ち上がったサンフレッチェとレッズのチームドクターを2人呼んで「僕は気に食わない」と恫喝するところも、ちゃんと音のデータがあります。
刈部 それは読めばわかりましたし、ちゃんと伝わってきました。まさにジャーナリズムというものの有り様をしっかりと示しているなと。だからこそ、当事者たちにはしっかりと向き合ってほしいと思うのですが、やっぱり権力に近づいちゃうと、人はそれを手放したくなくなってしまうということなのですかね。
木村 今回の件も、偉い人たちがそこにしがみつきたかったということだと思いますが、だからといってそのしわ寄せを選手に押し付けるのは許されざることです。しかも最終的にJFAに登録した日本の全サッカー選手がとんでもないドーピング規程に縛られて潜在的なドーピング違反者にされていたという事実。競技団体が何のために存在するかというと選手の健康と人権を守るためですよね。保身のために選手の健康と人権を害したわけですから、その罪は重いです。
刈部 ほんとにとんでもないですよね。あの一件のせいで我那覇選手は、ある種違う方向に行かされてしまった。本書の冒頭にもあったように、せっかく日本代表になって、いざっていうときに。本当に口惜しいし残念ですね。
木村 特に当時はオシム監督でしたから、平等にチャンスを与えていましたし、我那覇選手は万能型のFWとしてあのチームの中ですごく可能性を持っていた。本当にもったいない。
刈部 オシム監督のリタイアについても、すごくあいまいにされていますよね。川淵さんが、突然記者会見でうさんくさい涙を見せて、有無を言わさず交代の流れに持っていった。強制退去と言ってもいいかもしれない。
木村 川淵会長は家族が病状については誰にも言ってほしくないって言ったにもかかわらず、オシムを見舞った直後のご自身の講演会で、脳が異常に腫れてるとか話してしまった。「オシムって言っちゃったね」失言で監督にして、最後は家族の意向を無視して症状を口外した。日本サッカーのために命をかけてくれた監督や代表選手にリスペクトが無いですね。ドーピング問題のときも勝手に自分で量刑まで記者に話してしまって後に引けなくなった。
刈部 やっぱり権力を持った人の最期っていうか、終着感がいろんな歪みとして表れていますよね。こと我那覇選手の一件に関して言えば、間違いを認めたからといって彼らがけん責されるわけじゃないですか。悪かった、こちらが間違っていた、お金もちゃんと返すと、言えばいいのに。
木村 本書の終盤にもありますけど、CASはドーピングだったかどうかというところまで踏み込んでいないと、Jリーグ側は主張します。そういうことを言ってくれる弁護士事務所をわざわざ探し出して理事会で報告していたことを三ツ谷洋子理事(当時)が「Jリーグの最後の酷い悪あがきだった」と語ってくれました。三ツ谷さんのように組織の中にいても毅然とおかしいことはおかしいと声をあげる理事もいたんです。それこそが真にJリーグを愛し、より良き方向に導こうとした理事だと思います。
刈部 間違っちゃったって言えばいいことだし、それが普通の人間のありようだと思うんですけどね。だから、あとがきの最後にゲーテの言葉を持ってきているじゃないですか。「財産をなくしたら、また働けばよい。名誉を失ったら、挽回すればよい。しかし、勇気を失えば、生まれてきた価値がない」と。あれを読んで思いましたけど、本当に彼らに言いたいことは、「もっとちゃんと生きようよ」と。逆に言うとそういう言い方しかありえないくらい、残念でしたね。
木村 一つの法があって、その前に人々は平等であるはず。しかし、この事件を取材して分かったのは、これはおかしいと声を上げた人たちに対して偉い人たちは、堂々と仲裁を受けようとせず、ただ先輩、後輩の関係で縛ろうとする力が働いた。こういう部分は自浄装置を持たないといけないですね。
刈部 ほんとにしょうがないですね。最後になりますが、いろんな反響があってよかっただろうし、問題点も残すことができたのですから、現時点でも成果はあったと思うんですけれど、木村さん的にもう少し望むことがあるとしたらどんなことですか?
木村 Jリーグは20周年を迎えますけれど、この問題があいまいなままだった。それが書こうと思った大きな動機だし、いまだに我那覇選手がドーピングをしていたと誤解している人も多かったわけですから、そうではないというのを伝えたかったわけです。彼はまったく潔白で、それどころかJリーグを救ってくれたというのを知ってもらいたかった。だからJリーグはそこに対する総括と反省をしっかりしたうえで21年目に行かないと。さらに言うと、現実問題として、川崎に対する1000万円の制裁金を返してないわけです。これも返却すべきです。チェアマンは代わりましたけど、個人的に鬼武さんが我那覇君に謝罪するというのではなく、組織として我那覇選手に謝罪すること。我那覇選手はその後の選手たちの健康を救ってくれたわけですよ。それも何千万円もの私財を払って。
刈部 本当にそうですね。今日はどうもありがとうございました。
Football Weekly編集長。出版プロデューサーとしてサッカー界以外にもフィールドを持つ。