可能性は「ある」には1%〜100%の幅がある。答えになっているようでなっていない誤解を招きやすく、ミスリードしやすい日本語である。「ある」はともすると「高い」と捉えがち。本心では「低い」と思っても、そう言わずに済む、自分の居場所を都合がよい場所に置き換えられる日本語だ。前回、僕は「ある」にまつわるそんな話を書いた。

新聞や雑誌をチェックしていると、そうした思わず突っ込みたくなる、ちょっと嘘臭い日本語表現が時々目に止まる。

ある代表選手のコメントは、本番への課題についてこんなことを言っていた。
「走りの質を高めていくことが大切です」

そこで僕はふと思う。それは誰の課題なのか。それを高める努力をするのは誰なのか、と。
選手に聞こえる。実際に走るのは選手だからだ。しかし、選手の努力にも限界がある。走りの質は、他の選手の走りと関わってくる。

1人では解決できない問題だ。2人でも解決できないし、3人でも解決できない。4人でも、5人でもダメだ。他の9人すべて、さらに言えば相手との関係性が問われてくる。

サッカーは個人プレイではない。チームプレイだ。チーム対チームの対戦だ。質とは、すなわちフィールドプレイヤー10人の効率性の問題になる。「走りの質を高めていくことが大切です」は、個人の課題というよりチームの課題になるが、うっかりしているとそうは聞こえない。個人の課題に聞こえる。

フィールドプレイヤー10人が効率よく走るためには「設定」が不可欠になる。設定の善し悪しが、カギになる。設定をするのは選手ではない。監督だ。

確かに岡田ジャパンの面々はよく走る。世界水準より上だろう。だが、前述の選手は「質」を課題に挙げた。質に問題ありと見ているからだろう。まだまだ無駄が多いと感じているからだろう。

岡田サンは「ボールを奪われたら高い位置からチェックに行け!」と言う。プレッシングサッカーを目指しているのだろうが、申し訳ないけれど、プレスの掛かりは非常に甘い。「質を高めていくことが大切です」と、選手は言うのだろうが、一方で選手は実際によく走っている。努力が報われていないのだ。その結果、質は悪いものになっている。非効率サッカーに陥っている。監督の設定が甘いからだ。

設定とは選手のポジショニング。プレッシングサッカーを目指すなら、ボールを奪われた瞬間の10人のポジショニングこそが一番のキーポイントになる。だが、僕の目には、岡田ジャパンの最大の問題に見える。

4−2−3−1の布陣はその瞬間、4−2−3−1の体をまるでなしていないのだ。4−2−3−1の布陣は、その直前も大きく乱れていることになる。つまり、4−2−3−1は攻撃の際にも乱れている。

岡田サンがその点に拘っている様子はない。
その手の発言はこれまで一切出てきてない。

布陣は何のために存在するのか。何がしたいから4−2−3−1を選択しているのか。

日本には、まだポジションに選手を当てはめる感覚が浸透していない。自由な動きを肯定する習慣が残っている。だがその考えは、相手ボールになった瞬間、攻守が切り替わり、ボールを追いかける動作が求められた瞬間、効率性の悪さを生む。チームとして追いかける体勢が整っていないからだ。だから走る。だが、その心の中は「やばい」とか「しまった」というネガティブな気持ちでいっぱいだ。走りがバタついて見える原因である。奪えるとの確信に基づいていれば、小動物を追いかけるライオン風の走りができるはずだ。

プレッシングを標榜するなら、相手ボールになった瞬間、より強そうに見えなければいけないが岡田ジャパンはその反対。必要以上に弱いチームに見える。ボールを奪う姿勢にたくましさがない。

付け加えれば、相手からのプレッシングにも弱い。「プレスを掛けられると日本は行き場を失う」と言ったのはカタール代表のブルーノ・メッツ監督だが、まさにご指摘通りである。中盤に選手がゴチャゴチャ固まってしまうので、相手はプレスを掛けやすい。

質の問題は選手の責任にはあらず。監督にあり。「走りの質を高めていくことが大切です」を、僕は、監督批判だと捉えている。

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