フランス代表で17試合に出場し、ジダンの“影武者”的な存在だったMF、ジョアン・ミクー(35)がひっそりと現役引退を決めた。18日のレキップ紙が報じている。

 ミクーは昨シーズンの残り2試合という終盤に、契約を更新しないことをクラブから通告された。ブラン監督が予告もなしにいきなり“戦力外”を伝えたやり方にショックを受け、1週間は落ち込んだという。「できればいっしょに決めたかった。少なくとも話し合いがほしかった」と語るミクー。あらためて監督に会いに行き、「激しい議論」を交わしたが、最終的には「男同士の話し合い」で納得ができた。

 昨シーズンが開幕する時点で本人も引退は覚悟していた。「頭の中では9割方これが最後のシーズンになるだろうと思っていた」。ボルドー退団が決まった後は、リーグ・アンの2つのクラブから誘いを受けたが、「6月になって、もう自分に熱意がないのを感じた」ことを理由にトップレベルでのプレーをあきらめた。オフにアラブ首長国や米国からのオファーがあれば検討する気でいたが、どうやらそれもなかったようだ。

 ミクーはジダンが抜けて2部に降格したカンヌでデビュー。新しい司令塔を得たチームは翌シーズンに1部復帰を果たす。96年にボルドーに移籍したときも、ユベントスに移ったジダンの穴を埋める役目を負った。99年には司令塔としてリーグ優勝の原動力となった。

 2000年に移籍したパルマでは中田英寿とのポジション争いで日本にも広く名前を知られたはずだ。02年からはブレーメンに移り、翌シーズンにリーグ優勝、名門復活の中心的役割を担った。

 06年に惜しまれながらブレーメンを去ったのは、古巣のボルドーで現役最後を飾りたいとの思いがあったのだろう。一時はチーム内での孤立が取り沙汰されたり、サポーターから厳しいブーイングを浴びたりすることもあったが、昨シーズン2位の躍進に大きく貢献したのは間違いない。

 代表ではユーロ2000の優勝メンバー(ただし1試合に出場したのみ)に名を連ね、おもにジダンを欠く試合で司令塔として活躍したが、それも04年3月まで。ユーロ2004の代表に落選し、ドメネク監督になってからは一度も招集を受けずに終わった。華やかさとはつねに無縁の男だったが、“いぶし銀”の存在感が多くのファンの記憶に残るだろう。