がん悪液質は治療できるか?(shutterstock.com)

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 最期の病と呼ばれる悪液質(cachexia;カヘキシー)は、「悪い状態」という意味の医学用語だ。重症の結核、糖尿病、心臓病、エイズなど、がん以外の疾患にも見られ、心不全患者の16〜42%、慢性閉塞性肺疾患患者の30%、腎疾患患者の60%が悪液質になる。

 がんが原因で起きるがん悪液質は、進行がん患者の80%がかかるとされる。進行がんの末期患者は基礎疾患に伴うさまざまな代謝異常によって筋肉量が著しく減少し、痩せて衰弱する。

 特定非営利活動法人・日本緩和医療学会によれば、「悪液質は、栄養療法で改善することが困難な疾患、機能障害をもたらす複合的な栄養不良の代謝異常症候群、栄養摂取量の減少と代謝異常によるタンパク質やエネルギーの喪失状態」と定義している。食欲不振に陥るので、食欲不振悪液質症候群とも呼ぶ。

 がん悪液質は、がんの進行に伴う慢性炎症が脳神経系・内分泌系・代謝系・免疫系の異常を誘発し、身体の衰弱・消耗、がんの急速な増大・転移につながる。2400年前のギリシャの医学者ヒポクラテスも認識していた代謝異常症候群だが、現在も明瞭な治療法がない。

がん悪液質は治せるかもしれない!?

 だが、今年4月、「がん悪液質は治せるかもしれない」という朗報が世界に流れた。

 スペイン国立がんセンターの研究グループは、「がん悪液質は、白色脂肪組織から褐色脂肪組織のスイッチによるエネルギー浪費が関わっている(A switch from white to brown fat increases energy expenditure in cancer-associated cahexia)」と題する論文を生命医学専門誌『セル・メタボリズム』に発表。がん悪液質が白色脂肪組織から褐色脂肪組織への急速な移行が原因である根拠を示している。詳しく見てみよう。

 食事によって体内に吸収された脂肪は、肝臓や脂肪組織に蓄えられる。脂肪組織は、脂肪をためる白色脂肪組織(white adipose tissue:WAT) と、脂肪を燃やす褐色脂肪組織(Brown adipose tissue、BAT)に分れる。

 白色脂肪細胞は、体内に吸収された余分なカロリーを中性脂肪に変換し、下腹部、臀部、大腿部、背中、上腕部、内臓周囲などに蓄積する。一方、褐色脂肪細胞は、体温を維持し、余分なエネルギーを燃やしつつ、肩甲骨、腋の下、後頭部、心臓周囲、腎臓周囲に蓄積する。

 褐色脂肪細胞の働きが活発ならば、エネルギーの消費量(基礎代謝量)が大きくなるため、肥満化しにくい。活発でなければ、エネルギーの消費量(基礎代謝量)が小さくなるため、肥満化しやすい。

 つまり、褐色脂肪細胞は、エネルギーの消費量(基礎代謝量)を増大させ、脂肪を燃やすので、メタボの人には好ましい存在になる。ところが、がん悪液質にかかった患者のエネルギー消費の状況はまったく違う。

がん悪液質は白色脂肪組織のエネルギー浪費(褐色脂肪組織化)が原因

 スペイン国立がんセンターの研究グループの発表によれば、がん悪液質は、白色脂肪組織のエネルギー浪費(褐色脂肪組織化)が原因である根拠を示した。

 研究グループは、まずマウスにがん細胞を移植し、がん悪液質の状態にしたところ、マウスの白色脂肪組織が急速に褐色脂肪組織化を始めた。さらに、がん細胞の移植後、褐色脂肪組織の中に、肥満化を促すUCP1というタンパク質が増加し、ミトコンドリアの内膜で脂肪を熱に変換する発熱現象を確認した。

 UCP1は、褐色脂肪細胞のβ3受容体とノルアドレナリンが結合すると生成されるタンパク質で、ミトコンドリアの内膜に熱を産生する。たとえば、運動をしなくても熱を産生できるクマの冬眠が好例だ。

 このような脂肪の燃焼は、健康体には好ましい現象だ。だが、がん悪液質の患者の場合は、脂肪が燃焼すると、発熱が加速するため、全身の炎症がますます悪化し、悪液質の悪循環につながるリスクが高まる。

 研究グループは、全身の炎症が起きると増えるIL-6(インターロイキン-6) と褐色脂肪組織化との関連も分析した。IL-6は、T細胞やマクロファージから産生され、感染に対する免疫反応を制御するタンパク質(サイトカイン)だ。

  その結果、褐色脂肪組織化が起きると、悪液質のマウスも、がん患者もIL-6の量が高まった。一方、IL-6の量が低いマウスは、肥満化を促すUCP1の発現が低く、褐色脂肪組織化も抑えられた。

 つまり、がんが進行していても、全身の炎症を抑制できれば、がん悪液質にかかりにくいため、体重も減らない事実が確かめられたことになる。

 さらに、研究グループは、心拍や発汗をコントロールする自律神経の興奮状態を抑えると、炎症を抑制したのと同様にUPC1の上昇と褐色脂肪組織化の抑制につながる事実も掴んでいる。

栄養療法、薬物療法、リハビリテーションのコラボで、がん悪液質を克服する

 このような褐色脂肪組織化とUCP1やIL-6の分析から、がん患者の褐色脂肪組織化による炎症を未然に阻止する機序や、ホメオスタシス(生体恒常性)を維持する仕組みがさらに解明されれば、がん悪液質の治療が実現する可能性が一気に強まるだろう。

 幸いにも、がん悪液質の治療に関わる研究も進み、エビデンスも蓄積されてきている。

 たとえば、患者の栄養管理研究の第一人者で知られる藤田保健衛生大学病院 外科・緩和医療学講座の東口郄志教授が取り組み、全国約2000の医療施設で稼働しているNST(全科型栄養サポートチーム)の活動だ。

 東口教授らの研究グループは、TNF(腫瘍壊死因子)αやIL-6に対する抗サイトカインの治療では生存期間は延びないことから、適切な代謝制御と栄養療法によって悪液質の症状を抑えながら、終末期がん患者の予後も、寝たきりによる褥瘡発生率も改善できることを実証している。

 その他、モノクローナル抗体を活用する抗体医薬、サイトカインとサイトカイン受容体のシグナル伝達をブロックする低分子医薬などの薬物療法、理学療法士の指導によるリハビリテーションなど、がん悪液質を克服するチャレンジは続いている。

 食欲を減退させない。体重を減量しない。QOL(生活の質)を悪化させない。栄養療法、薬物療法、リハビリテーションを主軸に、がんの増大・転移を抑制しながら、全身の炎症をコントロールできれば、最期の病、がん悪液質を完治も夢ではないかもしれない。
(文=編集部)