人気の育児・教育ジャーナリストおおたとしまさ氏。受験ジャーナリスト的に目されることもある氏だが、本書自体がまさにリベラル・アーツを体現しており、代表作の一つになることは間違いない。

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名門校。
子どもを持つ人でその教育に興味を抱く人は少なくないだろう。いや子どもがいなくても、名門校とやらの実態に野次馬根性的に関心を寄せる人もいるはずだ。かくも魅力的な響きを持ち、誰にも馴染みのある言葉でありながら、「名門校とは何か?」と問われてすっきりと説明できる人は多くないだろう。

入試の倍率が数十倍に及ぶ難関校なら名門なのか? 毎年東大合格者数のランキング上位に入っていれば名門なのか?お嬢様校と呼ばれていれば名門なのか? 100年以上の歴史があれば名門なのか?

どれも一面の真実を突いていそうだが、「名門校」という言葉の必要十分条件を満たしているようには思えない。この難解な問いかけに真正面から取り組んだ本が売れている。

その名もずばり『名門校とは何か?人生を変える学舎の条件』(朝日新書)。発売直後から売り切れ続出となったこの本の著者は教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏。

歯切れのいい明瞭な語り口が人気で、メディア露出も多いおおた氏はこれまで特に中学受験や中高一貫校についてのスペシャリストとしてのイメージが強かった。事実著書には『中学受験という選択』『間違いだらけの中学受験』『男子校という選択』など、中学受験の参考になるものが多い。
本作は単なる学校選びの参考資料にとどまらぬ、学校教育の本質にまで切り込む意欲作となっている。

取材した学校は実に29校にも及び、開成、灘というお馴染みの私立進学校だけでなく、県立の浦和、伸長著しい海城、毎朝の裁縫「運針」で有名な豊島岡 など多様な顔ぶれが並んでいる 。

「藩校からの系譜、専門学校・師範学校からの系譜、女学校からの系譜、戦後生まれの星というようにいくつかのカテゴリーにわけて紹介しています。東京の私立校だけでなく、できるだけ全国からいろいろな学校を選んでいます。どれも本当に素晴らしいところばかりです」

素晴らしい学校とはいえ、本書の目的はもちろんそれらの学校の広報ではない。多くの学校の多様な教育を紹介すること自体が一つの教育論になっている。

「偏差値の高い学校と低い学校の生徒を町で見かけた時に、前者を勝ち組、後者を落ちこぼれという目で見てしまう大人がいます。でも本書を読んでもらえればわかりますが、 教育といっても多様で数値化できるものではなく、偏差値で比較することはナンセンスです」

実際、取り上げている学校は必ずしもその地区で一番の進学実績を誇っているとは限らない。広島の修道や熊本の済々黌(せいせいこう)は進学実績においては県下では二番手であるものの、その歴史の古さや建学の精神のユニークさなどから取り上げられている。

偏差値偏重の色眼鏡で学校を見る人々に対して揺さぶりをかけたかったのが執筆の動機と語るおおた氏は 、同時に名門校と呼ばれる学校の教育の素晴らしさも強調する。

「名門校というと、ガリ勉スパルタというイメージを持たれがちですし、実際単に学歴が欲しくてそういう学校を目指す人もいます。でも実際には名門校と呼ばれる学校は大学進学実績がいいだけではなく、素晴らしい教育をしています」

個別の教育の中身の紹介については本書に任せたいが、29校の個性的な様子を読み進め、それぞれに対して感想を抱くこと自体が読者自身の教育観を浮き彫りにする作用を及ぼすのも面白い。

いい学校は足を踏み入れただけでわかるというおおた氏は、しばしば学校を味噌や醤油の蔵元や酒蔵に例える。「家付き酵母」によって独特の風味が醸成されるのと同じように、名門校の生徒やOB・OGはその学校独特の雰囲気をまとうようになるというのだ。

日本全国にそうした素晴らしい教育をしている個性的な学校が沢山あるのに、教育現場に単一の指標で判断する市場原理を持ち込もうとする昨今の風潮におおた氏が強烈な危機感を抱いているのが本書からは強く読み取れる。

「名門校とは何か?」
この問いを通じて教育とは何かを真摯に考えることは、未来の社会のあり方を作り上げていくことでもある。一度偏差値や進学実績を離れたところで教育についてゆっくり考えてみる必要があるのではないだろうか。おおた氏の抱く危惧を現実のものにしてはいけない。

(鶴賀太郎)