自由で個性的な進学校・麻布学園の教育の本質にせまるルポタージュ。企画段階での仮タイトルは『麻布って変』だったという。

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「謎」の進学校を描いたルポタージュが話題になっています。

『「謎」の進学校 麻布の教え』(集英社新書・神田憲行著)。麻布学園(麻布中学校・麻布高等学校の総称。以下「麻布」)と言えば、開成、武蔵と並んで中学受験の御三家と称され、戦後に新学制に移行してから50年以上も東大合格者数のトップ10から一度も外れたことのない唯一の学校という超有名進学校。その麻布のどこが「謎」なのでしょう? また名門校とはいえ、過去3年の東大合格者数のランキングは3位、4位、4位と特筆すべき程のものでもありません。それにも関わらずこの麻布本がさまざまな書評で取り上げられるなど、注目を浴びているのはなぜなのでしょう?

著者の神田憲行さんは、元日本マイクロソフト社長で現慶応義塾大学教授の古川亨さん、歯に衣着せぬ鋭い舌鋒(ぜっぽう)で人気の社会学者・宮台真司さん、脱原発宣言をして話題になった城南信用金庫理事長の吉原毅さんなど、ユニークな人材に麻布の出身者が多いことに気づいて興味を持ち始めたといいます。
「ここもまた麻布かよ、変な人が多いな、という印象でした。最終学歴が東大でも一皮剥けば麻布、というようなことがよくありました」(神田さん)

実際麻布は多岐にわたる分野で多くの人材を輩出していることでもよく知られています。進学校らしくOBには、橋本龍太郎元首相、福田康夫元首相をはじめ、谷垣禎一衆議院議員、平沼赳夫衆議院議員、与謝野馨元衆議院議員など 多くの重鎮政治家を擁しており、財界にも石田礼助元国鉄総裁、堤義明元西武グループ総裁、佐藤康博みずほフィナンシャル・グループCEOなどそうそうたる顔ぶれがいます。

しかしいわゆるエリートだけにはとどまらないのが麻布OBの特徴です。元経産省の“脱藩官僚”古賀茂明氏、中東問題に詳しい東京新聞ジャーナリストの田原牧氏、作家の北杜夫氏、吉行淳之介氏、山口瞳氏、脚本家の倉本聰氏、ジャズミュージシャンの山下洋輔氏、俳優の小沢昭一氏、フランキー堺氏、元松本ハウスの加賀谷くん、漫画家の黒田硫黄氏など一筋縄にはいかない顔ぶれが揃っているのです。

進学校でありながら、変な人揃いの麻布のことを「謎」に思って神田さんの取材は始まりました。中学受験を経験しておらず、私立進学校に関する知識の全くない神田さんが出口の見えないまま始めた取材は足掛け4年にも及んだといいます。その取材をまとめた本書では、受験難関校としての側面、生徒に対する多面的なインタビュー、教師から見た側面など立体的な麻布の姿が浮かび上がっています。

思考プロセスを重視した入試問題、受験にとらわれない名物講義・教養総合の授業、文化祭・体育祭の多額の予算を生徒だけで管理する自治の文化、金髪はおろか七色に髪を染めても何も言われないいささか自由すぎる校風。

そこに描かれている麻布は、確かに“エリート進学校”という語感から得られるイメージとはかなりかけ離れています。初めてその実態を知った人にとっては驚くような内容もたくさんあるかも知れません。

しかし自由で個性的な進学校を紹介している本というだけでは、ここまで多くの人に読まれていることを説明しきれません。本書が多くの人に届いたのは、神田さんが取材を通じて抱いた強い「憤り」が根底にあったからでしょう。

「取材を進めていくうちに、先生たちの中に通じている思想ともいえる教育の理念のようなものを感じるようになったんです。それが『自由に生きよ』というものでした」

神田さんは高校時代「人に迷惑をかけるな」と教わって育ってきました。一見耳障りのいい言葉ではありますが、既成の価値観を疑わずに従順に生きろという、教師にとって都合のいい論理だとも言えると神田さんは言います。未来の無限の可能性に向かって羽ばたいていくべき若者を、管理する側の論理で抑えつけてきた日本の教育のあり方に強い憤りを感じたのです。そして麻布のように優秀な生徒が集まる進学校じゃなくても『自由に生きよ』という教育はできるはずなのに、学校や先生が安易な道を選び、若者の可能性を潰してしまっていることに対する苛立ちが本書を書き上げる一つのモチベーションになったのです。

「僕は20年以上高校野球の取材をしてきたのですが、その優秀な指導者たちと、麻布の先生たちの間の共通点を見つけました。それは生徒に対する好奇心が旺盛であるということです。自由にさせていても、放ったらかしにせずちゃんと見守っているんです」

自由に好き勝手する生徒を見守るよりも、規則でがんじがらめにした方がよほど管理はしやすい。しかしこれまでの常識がどんどん崩れてきている時代、枠にはめた教育を受けて育つことは若者にとって幸せなことなのだろうかという問いかけが聞こえてきます。

本書クライマックスには麻布の名物校長が退任直前の終業式で行ったスピーチの書き起こしが掲載されています。このスピーチには、麻布が若者の人格形成において学校教育をどのようなものと捉えているのか、教育者としてどう生徒たちと対峙しているのかがよく表れており、本書の白眉といえるでしょう。

「生徒たちはすぐにはピンと来ない内容だったかも知れません。しかし卒業して振り返ったらジワッとくるような内容だったので、後世に記録を残すのを使命のように感じ掲載しました。麻布のOBからそうでない人まで、多くの方からとても評判がいいですね」

そのような麻布でも2012年には受験者数が激減するという事態に直面しています。

「結局、偏差値という入り口と大学合格実績という出口の数字でしか学校を判断できない親が増えてきているのでしょう。麻布の教育はむしろその間の期間を大切にしているのに、そこに目が行かない。保護者たちの教育観が問われる時代だと思います」(神田さん)
 (鶴賀太郎)