眠る平田オリザ氏
演劇1 演劇2
監督、製作、撮影、編集:想田和弘
出演:平田オリザ 青年団・こまばアゴラ劇場の人々
10月20日よりシアターイメージフォーラムでロードショー 他全国順次公開
前編はコチラ

演劇人・平田オリザを4年にわたって追ったドキュメンタリー映画「演劇1」「演劇2」はとっても濃密。
演劇イコール虚業のイメージをもつ人も多い気がするが、演劇人平田オリザは、演劇をやってふつうに生活していくことを目指している。だから、演技だけではなく、お金のことも細かく管理している。街の小さな会社のように劇団員が日々コツコツと事務作業もしているのだった。
そんな彼らに不況の波がおそいかかる。
助成が減らされてしまうというピンチを切り抜けようと、劇団の長である平田は海外公演を行ったりロボット演劇を発案したり奔走する。
そんな様子を監督、想田和弘は丹念に追う。
結果、5時間42分の2部作となってしまった大作映画の中には平田オリザのほか、青年団の人々、政治家など魅力的な表情がたくさん。
ロボットや駒場周辺の猫たちも見逃せない。
いや、作為の見える人間たちより、無心のロボットや猫こそ安心するような気がしてきた。
想田はそれをどう思うのだろうか?

政治家は名優でなくてはならない!?

ーー平田オリザさんがお話上手であることがわかる映画です。政治家の方たちとのおつきあいの様子も映っていますが、演劇と政治って似ているところありますよね。
「ある意味、似てますよね」
ーー演出家も政治家もスピーチ上手ですよね。
「そのスキルがないと、演出家にも政治家にもなれない。人前で魅力的に振る舞う、つまり演じることも必須の技能。だから今回は、『ドキュメンタリーのカメラがいったい何を映せるか』がテーマになりました。僕はドキュメンタリーというものは『人間の素を撮るもの』だと思い込んでいたわけですが、次第に、『素なんてものは本当にあるの?』という考えにいきついてしまうわけです。第一、今こういうふうに僕自身インタビューに応えて話しているのも、どこまで素でどこまでパフォーマンスなのかって、よくわからないでしょう。僕にだってよく分からない。と、いう話さえ、実は僕は別のインタビュアーに対して既に何度もしているわけですよ。ハハハ、ハハハ」
ーー取材とはそういうものですものね。
「平田さんが言うように『人間は演じる生き物だ』とつくづく思ってしまう。なんていうのかな、むしろ演技の重層性を身につけていくことが大人になることなのかなと。例えば誰かに何か忠告しなくちゃならない場合にも、大人なら言い方を考えますよね。感情的に言うのではなく、相手がわかるように聞く耳をもつように言い方を考えることだって、ある意味演じることだと思うのですよ。そのバリエーションがいろいろある人ほど、微妙なニュアンスを伝える能力、つまりコミュニケーション能力が高いわけでしょう。僕はこの映画を撮ってからは、日常生活の演劇性を意識するようになりました。何を観ても演劇的に見えちゃう。」
ーー逆に撮る側の想田さんはどういうペルソナでカメラを向けるのですか?
「被写体との関係性によります。今回は非常に『空気』になりやすかったですね。『選挙』という作品を撮った時と、ちょっと似た感じでした。さっき政治って演劇に似ているのではないかと仰っていましたけど、まさにその通りで、政治家の人たちは最初、カメラの前で『え〜、俺どうしたらいいの?』とか仰るんですが、『僕はここにいないので』と説明すると、『あっ、いないんだ』という具合にすぐそのように振る舞ってくれるんですよ。よく考えてみると、政治家の技能のひとつは、いつ誰から見られていてもしっぽを出さないこと。それってひとつの技能じゃないですか。ハハハハ! しっぽを出さないっていうと言葉が悪いな。政治的に正しいふるまいをするためには、24時間、ずっとカメラの前にいるような感覚がたぶん必要だと思うんですよ。そういう意味で、今回の感じと似ていました。一方で、僕の第二作目『精神』は精神科の診療所の患者さんにカメラを向けたものですが、彼らは撮っているとだいたい話しかけてくるんです。『いや、あの、僕はここにいないので』と言っても『でも、想田さん、いるじゃん』と。だから『精神』という映画には、患者さんと僕とのおしゃべりがいっぱい入っています。被写体によって、撮る者と撮られる者の関係性が変わるんですね」
ーー一貫して想田さんの視点にはユーモアを感じます。平田オリザさんの面白いところがたくさん出てきて。
「もともと僕は笑うのが好きなんです。『選挙』もコメディと言われていますし、編集の段階で、どうしても笑える瞬間を選んでしまいますね。自分の好みが反映されるわけです。青年団と平田さんを撮っていても、見ていて思わずニヤニヤしてしまうことが多かったですよ。実際に笑ってしまって、カメラがブレブレになることも多いし」

猫に感情はあるのか?

ーー政治家の方たちとお話されているところも面白いことがたくさんありました。政治家の方と話している時と、俳優たちと稽古している時はやっぱり表情が違うなあと思ったり。
「各場面の平田さんの表情については、100人見たら100人が違う見方、感じ方をすると思います」
ーーそれって平田さんのロボット演劇で、ロボットに感情がないのにあるように観客は見てしまうのと同じですよね。平田さんは確実に感情があるはずですが本心はわからないし。映画の中で猫がたくさん出てきます。猫が猫を追いかけていくシーンが良かったです。
「すごいでしょう、あのシーン。演劇の一場面のようでしょう。あのシーンは至極のシーンだと思います」
ーーええ、ほんとにいい瞬間です。猫、お好きですか?
「はい、好きです。『Peace』 は猫が主役でしたし。でも猫アレルギーで、今も目がしばしばしていますが」
ーーええ???
「ハハハ 実家に猫が6匹もいるんですよ。昨日まで帰ってたんで」
ーー猫みつけるのが得意なのだなあと思いました。
「すごい得意です。猫アンテナがあります。青年団の方も映画を見て『このへんにあんなに猫いました? 見たことない』と仰るので、『いますよー、なに言ってんですか』って(笑)」
ーー猫を撮るのも才能ですよね。猫が人とすれ違った瞬間ハッと目をむく瞬間も良かった。
「面白いとこ見てますね(笑)」
ーーロボットに感情あるように見えたでしょうっていうのと同じで、猫、心ないだろうにあるように見えて。
「(大きな声で)ありますよ、心!」
ーーえ。ありますか。
「もちろんありますよ!(笑)」
ーーじゃあ、想田さんは猫の感情をちゃんと感じて撮っている。
「そうですよー」
ーー猫のあとを猫がくっついていく時の感情は?
「そこはわからないな。でもあのショット、すごく演劇的でしょ。チンピラ猫が大ボス猫を尾行しているような、ヤクザ映画のような雰囲気もある。カミさんいわく、本作のベストショットだそうで(笑)。猫がどの程度カメラを意識しているのかとか、猫は演技するのかとか、いろんなことを考えちゃいます。今回、街の映像を差し挟んだインサートショットには、僕が演劇的に感じるものをどんどん入れていきました。あの大ボス風の猫がカメラに向かって歩いてくる時も、一瞬、僕のキューに反応して歩いて来ているように見えるのですよ。注意して見てもらうとわかると思いますが『あ、キューだ』みたいなタイミングなのです」
ーーおかしい(笑)。
「しかもトコトコ歩いていく、コーナーを曲がる、曲がった後、別の猫がフレームに突然入ってくる。これなんか、完全に演劇の“出はけ”ですよ」
ーー絶妙な。
「というか、この映画を撮っている時、あらゆるものが演劇的に見えてきて。それは演劇を撮っているからなのですが」
ーーそう言われたら猫も相手によって演じる動物ですね。野良猫はいろんな人のところにいろんな顔をして出入りする。
「実際演じますよ。実家にいる6匹の猫も、人間にどうして欲しいのかによって、もう声が違いますもん。子供の頃からずっと猫と一緒に育っているので、猫がお腹すいたとか、遊んでほしいとか、すぐにわかりますよ」

映画には儀式と芸術のふたつがある

ーー駒場の街に暮らす人たちのいい風景もたくさん映っていました。
「駒場再発見、みたいなね」
ーーリアルに普通の生活者たちと、リアルに演技している俳優たちの対比が面白かったです。
「なるほど」
ーーそれは想田さんの意図したものとは違うのですかね。
「意図したわけではないですけど、僕の意図は正解ではないんです。そういうふうにご覧になったと聞くと、なるほどって思うし、それが自分が意図したことでなくても、そのほうがむしろ僕にとっては面白い。僕は基本、『自分にはこんなふうに世界が見えた』ってことを映画を通じて主観的に描いてるだけなんですよ。で、それを観客が100人いたら100様の主観で見る。映画って見た人の心の中で合成されるものだと思うんですね。ひとりひとりの心の状態とか蓄積とか経験とか知識とかが違うわけですし、映画を観る10分前に何をしていたか、なんてことも映画の見え方にすごく影響を及ぼす。僕がよく使う例えが、作り手の僕がピッチャーだとしたら、観客はキャッチャーじゃなくてバッターだと。つまり僕が放ったボールを打ち返してほしいんです。打った球がどのへんに飛ぶかが面白いから」
ーーそういう作品が少なくなっているところに芸術の衰退が。
「そうですねえ」
ーー「泣ける」「絆が大事」って答えが全部同じ。もちろん絆は大事ですが。
「その手の映画は、芸術ではなくて儀式なのですよ。人間にとって儀式も必要だと思うので否定するつもりはないですが、僕の作りたいものとは違います。僕は宗教学をやっていたのでこういう見方をするのかもしれませんが、儀式とは、既にある支配的な価値観をみんなで集って確認し合うことです。みんなで映画館に行って泣ける映画を見るのは『こういうのって悲しいよね』と確認するための儀式です。ハリウッド映画でハッピーエンドが多いのは、がんばれば必ずハッピーになれることをみんなで確認に行くのですよ。でも、芸術は違う。既にある価値観を壊すというか、別の視点からこの世の中を見ることが、芸術の役割ですよね」
ーー儀式と芸術、両輪でいったほうがいいですね。
「両方あったほうがいいと思います。ただ、僕は儀式を作ることに興味はない。価値観をひっくり返したいのです。こう見えているが実はこうじゃないかっていうほうが、僕には合っています。たぶん生まれつきの性向だと思うんですが、僕には常に多数派の人々とは世界が違ってみえているので」
ーー今、ネットを使って市民記者が動画をアップできるようになってきていますが、意外な事実を提示する可能性がある一方で、無責任に撮って流してしまうおそれもあるように思うのですが、想田さんはどう思われますか?
「映像のリテラシーは、自分で映像を作ると一番身に付くものです。デジタル革命はある意味、映像の大衆化であり民主化である。僕なんかも、その流れで出て来た作家です」
ーー期待はできるということで。
「そう思います。まあ、あんまりライバルが増えると困りますけどね(笑)」

知られざる平田オリザがここに!
 
ーー撮ってつなげたものを映っている人に確認するのですか?
「撮影時に約束していたので、平田さんには全部見てもらっていますが、これはダメっていうものはいっさいなかったです。個人情報が映っている、数秒の履歴書のショット以外は」
ーー寝ているのもOK。
「もちろん(笑)。稽古中によく寝ますよ、平田さん。稽古中に立つのは眠さをこらえるためだったことを今回はじめて知ったと、俳優の松田弘子さんが言っていました。『私はオリザがああやって立つのは、芝居に入り込んでいる時だと思っていたのに違った』って(爆笑)」
ーー今回、ついに平田オリザの秘密が暴かれた(笑)。
「僕はすぐに気づきましたけどね。平田さんは、眠い時はまずガムを食べるんです。刺激が強いガムをいつも持っていて、それを食べ始めたなと思うと、僕は平田さんにカメラを向ける(爆笑)」
ーー眠いのをこらえているまぶたの奥の眼球の動きみたいなものまでアップで映っていて想田さんイジワルだなあと思いました(笑)。
「アハハハ。試写会をご覧になった方に『私は平田さんの作品全部見ていますが、最後のクレジットにいびきの音をわざわざ入れないでほしかったです!』と怒られました。『平田さんの気持ちを考えると胸が痛む、できればカットして欲しい』って(笑)」
ーー音楽をつけない主義の想田さんがあえてつけた音。
「あれはジョークですよ! ハハハ」
ーー大変意義のあるドキュメンタリーですけど、ある種のエンターテインメントのようでもあり。
「映画ですから。さっきも行った通り、僕は常々、ドキュメンタリーとは虚構と現実の間をフラフラするものだって言っているんですよ。非常に曖昧な領域だと思うんですよね。曖昧だから危険でもあるし、スリリングで面白い。僕にとっては、それが最高のエンターテインメント(笑)」

(木俣冬)