2012年に入ってからの、建築老舗雑誌『建築知識』の表紙がおかしい。思わずふらふら吸い寄せられてしまいそうな9月号の初音ミク表紙号は、初音ミクの記事は一切なし。しかしここに『建築知識』が変わりつつある理由がある。

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ふと建築関係の雑誌の棚を眺めていて、仰天したんですよ。
基本的に建築雑誌って表紙が家の写真だったりするわけです。
ところがそこに、真っ黒な表紙に浮かび上がるマイ・アイドル初音ミクさんの姿が!
えっなにそれ、建築……建築なの? あまりに美麗な絵だったので、買ってきてしまいました。
先に書いておきますが、この本には初音ミク特集は一切ありません。
そりゃそうだ、建築雑誌でミク特集してもしゃーない。
しかし、ぼくは「だまされた!」とは思いませんでした。
内容を読んで、なぜミクが起用されたのか理解できたからです。

『建築知識』はエクスナレッジから出ている建築専門雑誌。
1959年から続いている由緒正しき雑誌です。
書かれている内容も、「床材にはどんな木材が適しているのか」「建築基準法を学ぶ」「マンションの給排水設備改修」「設備の確認申請」など、当然のように真面目な建築の実践的なもの。メインターゲット層は、建築に携わっている人です。今まではおよそぼくのような素人が読んでもわからないし、興味を持たないものばかりでした。
表紙も、他の建築雑誌同様、建築物の写真や、幾何学模様のデザイン、内容のロゴデザインが中心でした。役場によくおいてあるような雑誌、と言えばアバウトですがイメージは伝わるでしょうか。下記に写真も載せてみます。これなら「ああ、建築雑誌っぽい」って思うでしょう。

ところが、2012年に入ってからの『建築知識』は仰天するほどガラリと変わりました。
表紙が一変してマンガ・アニメキャラに! ゲゲゲの鬼太郎、ゴルゴ31、キン肉マン、宇宙戦艦ヤマト、まことちゃん、ブラック・ジャック。
えっなにそれ、どういうことなの。ルパン三世とか建築的にいえば対極のキャラだよ、盗みに入ったり破壊したりするほうだよ。
チョイスがまた、30代以上向けなのが面白いです。最近のマンガ、例えばワンピースとかじゃないのですよ。オタク狙いでもない、妙なチョイス。
しかしこれは、めっちゃくちゃ建築雑誌棚で目立つんです。背景がシンプルに白か黒で、キャラだけ浮き立つから「なんだこれ!?」と思わず手にとってしまいます。
これには驚いた人も多かったらしく、公式Twitterでは「中の人は私含め全員正気です!変なキノコを食べたりもしていません!」との弁明までありました。確かにびっくりします、どうしちゃったの?と。

じゃあ内容は変わったのかというと、いいえ一切変わっていません。
バックナンバーチェックしてみましたが、基本的に2012年からの号も今までと変わらず、極めてまじめに建築についての実践知識が盛り込まれています。一応巻頭に1Pグラビアがありますが、別にキン肉ハウスや妖怪屋敷を作るノウハウが載ってるわけではないです。
この波は別冊『建築知識ビルダーズ』にも及びます。こちらではウルトラマンを表紙に使って「デザインリフォームウルトラテクニック」、キン肉マンを使って「優秀工務店の必殺技を大公開」と洒落も効いています。
ただ、『建築知識』は表紙とグラビアだけにマンガキャラが起用されているだけなのには変わりないです。目は引くけど、果たしてこれで売れるのだろうか?

この手の専門誌は特に「硬派であるべき」という雰囲気がどうしてもあります。
無論、メインターゲット層は実践している建築家の人たちなのでそれで正しいのですが、果たしてそれだけでいいんだろうか。
例えば……ぼくのような全く建築に興味のない人が、建築に興味を持たないまま終わってもいいんだろうか。

初音ミク表紙の『建築知識9月号』は、ミク部分は確かに表紙とグラビアだけです。
しかし、そこには今までなかった、設計士服部一晃のコラムがそっと添えられていたのです。
彼は趣味で10年前に録音したギターのメロディに、9年後初音ミクの声を重ねてアップロード。再生数は1700とわずかだったけれども、顔も知らない誰かがそれを「歌ってました」と送ってきたそうです。それをミキシングして、全く新しい曲として命が吹き込まれた。
初音ミクというツールは、いうなれば建築のCADの一つのプラグインのようなもの。そんなソフトが誰かの「楽しい」を他の人に伝えて、さらに新しい連鎖が起きる。
建築だって同じじゃないか。「好き」や「楽しい」の連鎖が家を、街を作っていくのではないか。
彼は「初音ミクとは、新たな創造のあり方の象徴であり、作品を介した人と人との出会いを祝福する女神である」とまで述べています。そしてミクと連鎖の話をしながら「そういうふうに街をつくってみたい」と語ります。
タイトルが「ミクと建築のミライ」とミライがカタカナなあたり、この方かなりミク通だと思われます。

ああ、そうか。
『建築知識』は建築家の本でありつつ、興味を持って「楽しい」と思った人に建築を伝えたい、とシフトチェンジし始めているんだ。
大きな転機になったのは2010年12月号。この号は「マンガで分かる!建築基準法再入門」と題して、学習まんがが大々的に掲載されています。
「再」なあたり、まだ実際に関わっている人達向けです。ゼロからじゃないんですよね。絵柄も大友克洋風で、まだ思い切って飛び出し切れていない感がありますが、それでも歴史ある『建築知識』としては挑戦だったと思います。
そこからしばらくまた元に戻るのですが、2012年1月号でとんでもないホームランをかっ飛ばします。
「萌える!建築基準法 もし女子高生が家を設計したら」
表紙も完全な萌え絵。あまりの変貌っぷりに度肝を抜かれました。萌え解説本どストレートです。

これがマンガとしての出来が尋常じゃなくよい上に、2010年12月号と比べても明らかにわかりやすくなっているんです。なんせ主人公が女子高生、完全なる「ゼロから」。ぼくは建築の知識なんて皆無ですが、それでもわかったんですから相当なもんですよこれ。
ヒロインはアホで暴走する子、真面目なメガネっ子、「けいおん!」のムギちゃんみたいなお嬢様とこれまたよくわかっておられる。マンガ自体もちゃんとオチがあるので普通に楽しんで読めますし、お嬢様がお金あるからみんなで遊ぶ家を建てるというむちゃくちゃな設定も、リアルな建築基準法の話と照らし合わせることできっちり把握できるようになっている。
例えば「敷地は接道(道路に接していること)していないと家を建てられない」「地域には住居系、商業系、工業系などがあり、住居系地域は建ぺい率(敷地にどのくらいびっしり建物があるか)制限が厳しい」などなど。
かなり初歩の基礎基本も丁寧に解説されている上に、「えっそうなの?」という普通は知らない話も、本当に女子高生でもわかるよう簡単に解説。描いた作家さんすごいですよ。
普段『建築知識』を買っている建築家の人達にしたら買いづらい一冊だったかもしれませんが、これは文句なしに誰にでも薦めたい号です。建築なんて難しい、と思っていた自分の目からウロコボロボロ落ちるくらいわかりやすい。
読んだあと街に出たら建物一つ一つの見え方変わりますよ。ああこれはそういう理由でこうなっているんだ、と。
まさに、先ほどの設計士さんの「楽しい」が伝わった状態を味わいました。

その後またしばらく普通の内容に戻るんですが、ミクの載っている9月号でも「最強の木造現場 マンガ×写真図鑑」と題して学習まんがが載っています。
今回は今まで二回を足して2で割ったような、読みやすさ重視の解説マンガになっています。新人設計者はるかが、所長のひろきに現場で調査しておくべきことを設計者目線で解説。設計者が現場に行かないとわからない、陥りがちな「あるある」ネタを集めた、比較的実践向けなマンガです。
初心者向けではないですが、読んで全くわからないということはない、むしろ「そうだったのか……」という発見の多い号です。

建築専門誌『建築知識』は、色々加減の調整をしながら、「今までの読者が必要な知識の提供」をしながら「新しい読者へ手を差し伸べる努力」をしているように見えました。
2010年12月号、2012年1月号、2012年9月号と大きな転機を経て、次に何を見せてくれるんだろう。
少なくともぼくは、絶対興味を持たないであろうジャンルである「建築」に興味が湧きました。そして面白かったから、誰かに伝えたいと思いました。
それが伝染していったら、もしかしたらどこかで何かが生まれるかもしれない、街ができるかもしれない。
とりあえず興味が湧いた方は2012年1月号を強くオススメします。
読んだら誰かに「この建物のここって、こういう理由でこうなってるんだぜ」と誰かに言いたくなることまちがいなし。
建築に携わっている方には2012年3月号がオススメ。アホみたいにぶあついルパンの号なんですが、建築法令集がまるまる一冊格安な値段でついてきます。

さて、9月20日発売の2012年10月号はというと、表紙は「テルマエ・ロマエ」。
どういうチョイスだ!と突っ込みつつ、30代オーバー狙い表紙からの脱却でもあるのでこれはちょっと楽しみですよ?

(たまごまご)