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三笠宮妃百合子さま。皇室最高齢となる101歳で老衰のため15日朝、亡くなられました。その生涯を振り返ります。

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大正・昭和・平成・令和と4つの時代を過ごされたただ一人の皇族である、三笠宮妃百合子さま。

昭和天皇の弟である三笠宮崇仁さまの妻であり、天皇陛下の大叔母にあたります。「ヒゲの殿下」として親しまれた長男・𥶡仁さまをはじめ三男二女の5人のお子様を育てられました。

誕生されたのは、1923年。現在の学習院女子中・高等科の前身である女子学習院を卒業後、18歳で昭和天皇の弟・三笠宮崇仁さまと結婚されました。

母と子の健康・福祉の課題に取り組む母子愛育会の総裁を60年以上務めるなど公務にも励まれました。

「健康で明るい地域づくりを推進されますよう、いっそうのご活躍を希望いたします」(2010年、当時86歳)

孫やひ孫にも恵まれた百合子さま。

妃殿下として、母として。三笠宮さまとともに歩まれてきました。しかし、百合子さまは男のお子様3人を亡くされています。2002年に三男・高円宮さま、2012年に長男・𥶡仁さま、2014年に二男・桂宮さまです。

そして、2016年には、100歳を迎えた三笠宮さまを亡くされました。

家族に先立たれながらも、皇室最高齢となる101歳まで国民に寄り添い続けられていました。去年、100歳を迎えた際はお気持ちをつづられました。

「結婚後は私自身の皇族としての公務を果たしながら、宮様をお支え申し上げる日々を送っておりました。現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております」

去年、孫の彬子さまは、日本テレビのインタビューで百合子さまについて、次のように話されていました。

「時々ぽろっとおっしゃることがすごく面白かったりですとか、何事も楽しく感じられていることが、長生きの秘けつなのかなと思ったりもいたしますし」
「栗がお好きなので、私が気に入っておりますモンブランをお届けしたときも、結構大きかったので、きっとお残しになるだろうなと思っていたんですけれども、ぺろりと召し上がったのでよかったと思って」

百合子さまとの語らいは「宝物のような時間」と話された彬子さま。百合子さまは、目標となる方だったといいます。

「いつも本当に穏やかで、戦時中のお話もいろいろお伺いいたしますけれど、すべてを素直に受け止めてこられて。妃殿下が何事も素直に受け止めてこられたから、戦時中という暗い時代も乗り越えてこられたんだなということを強く感じますし、あのような年の重ね方を私もしていけたらいいなと思う目標になる方でございます」

今年3月から入院されていた百合子さま。15日朝、孫の彬子さまとともに赤坂御用地にある三笠宮邸に戻られました。

15日正午すぎには、天皇皇后両陛下が弔問のため三笠宮邸を訪問されました。その後、長女の愛子さまも午後1時半すぎにお一人で弔問のため訪問されました。また、上皇ご夫妻や秋篠宮ご一家も弔問されたということです。

宮内庁は、16日から赤坂御用地の三笠宮邸内で一般の人向けに弔問記帳所を設けると発表しています。