芸人の「お笑い分析本」が人気で出版続く

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◼️「お笑い分析本」続々出版…ブームを考える

 10月31日発売のNON STYLE・石田明の著書『答え合わせ』(マガジンハウス新書)と、11月8日発売の令和ロマン・髙比良くるまの著書『漫才過剰考察』(辰巳出版)が話題を呼んでいる。

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 お笑い界屈指の理論派として知られるM-1王者の2人が、漫才について考察する似たような趣旨の本をたまたま同じ時期にリリースすることになった。発売前の時点でAmazon本予約ランキングでも上位に入っており、注目度の高さがうかがえる。

 この2冊以前にも、芸人自身によるお笑い分析本がいくつか出版されていた。その流れの先駆けとなったのは2019年に刊行されたナイツ・塙宣之の著書『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』(集英社新書)である。この本がベストセラーになったことで、芸人のお笑い分析本の市場が切り拓かれた。

 2023年には『キングオブコント2013』の王者であるかもめんたる・岩崎う大の著書『偽りなきコントの世界』(KADOKAWA)が出版された。石田と髙比良の著書もこの流れに続くものと位置づけられる。

 書籍という形に限らず、芸人がお笑いについて分析的なことを話すのを聞きたい、というニーズは年々高まっている。『アメトーーク!』『あちこちオードリー』をはじめとするトーク番組でも、芸人がお笑いについて語る機会は多いし、YouTubeでも芸人たちが自身のチャンネル内で積極的にお笑いの専門的な話をしている。特に『M-1グランプリ』『キングオブコント』などの賞レースの時期には、それについて語る動画が大量にアップされる。数あるトピックの中でも、賞レース関連の話題は特に需要が高いからだ。

◼️『M-1グランプリ』の漫才点数付けが視聴者の分析クセを生んだ

 なぜ芸人自身によるお笑い分析がそこまで求められるようになったのか。結論を一言で言うと、お笑いというのはそれ自体が楽しいだけではなく、分析する目線で見るのも楽しい、ということを多くの人が知ってしまったからだ。そのような分析的な見方が世の中に広がるきっかけになったのは『M-1グランプリ』である。

 本来、お笑いに勝ち負けはないし、点数をつけて見るようなものでもない。しかし、『M-1』では、さまざまな演出によって緊張感を高めていき、出場する芸人たちは命を懸けて勝負に臨んでいるという物語を作って、そこに視聴者を巻き込んでいった。

 出場する芸人自身が真剣になるのは当然だが、見る側には本来そこまでの真剣さは必要ない。でも、『M-1』によって人々は「お笑いを真剣に見る」という新たな楽しみ方を身につけた。

 お笑い賞レースを真剣に見るようになると、今度は審査員のつける点数のことが気になってくる。なぜこの審査員はこのネタに高い点数をつけたのか。なぜこのネタは観客にウケていたのに点数が低いのか。審査員の評価が自分の感覚とずれていると不満を感じたり、違和感を持ったりする。

 本来、お笑いは点数をつけるようなものではないし、他人の評価を気にして見るようなものでもない。審査員が高得点をつけたネタを自分が面白いと思えなかったとしても、別に気にするようなことではない。笑いというのは一種の生理的な反応なのだから、自分が感じたことがすべてである。

 しかし、『M-1』以降、それでは済まされなくなってきた。「あの審査員の点数のつけ方はおかしい」「あの人の審査は的確だ」などと、視聴者が審査員を審査するような動きが出てきた。これは明らかに『M-1』で生まれたものだ。

 それまでにもお笑いコンテストやコンテスト形式の番組はいくつも存在していたが、個々の審査員の審査の正当性について議論が起こるようなことはなかった。良くも悪くも、昔のお笑いはそこまで真剣に見るようなものではなかったのだ。

 人々は審査についてあれこれ言うようになった。そして、審査員がどのような基準で審査をしているのか、というのを気にするようになった。審査員のコメントの一語一句を真剣に受け止め、解釈して、ときには言葉の裏の意味までを探ろうとした。SNSなどによってそういう楽しみ方がどんどん広まっていった。

◼️「裏側」もおもしろく語れる芸人が求められる時代

 そんな中で、芸人の側にも変化があった。もともと芸人は、お笑いに関する分析的な話を表では語りたがらない傾向があった。それはマジシャンが手品のタネをばらすようなものであり、職業倫理に反することだと考えられていたのだ。

 しかし、『M-1』以降、お笑いを分析的に見る楽しみ方が広まっていくにつれて、芸人側にもそれが求められるようになり、徐々に芸人もその需要に応えていくようになった。

 芸人の中にも、理詰めでお笑いを語ることを得意とする人と、そうではない人がいる。得意とする人はお笑い語りをますます求められるようになり、それを1つの芸として極めていくようになった。今回、本を出す石田や高比良は、まさに分析的な思考を得意とする芸人である。そういう人の語り口は、一般人から見てもわかりやすくて面白い。だから、分析自体が1つの芸として成立している。

◼️表舞台で語られる「裏」は本当の裏ではない?

 ちなみに、芸人たち自身は「手品のタネをばらす」ようなことをしているという後ろめたさを持っているものなのだろうか。これに関しては、人によって意見が違うと思われるが、ある芸人が以下のような趣旨のことを言っていた。

「裏側を語るなって言われることもあるけど、表で語ってる時点で本当の裏じゃないから。エンタメとしてやってるから」

 個人的にはこの言葉がしっくりきた。実際、芸人が本当の舞台裏でこっそり語っている話と、テレビ・ラジオ・YouTubeで語っている話が同じであるはずはない。

 表に出ている部分は「表に出せる部分」でしかない。どんなことであれ、芸人が表でやっていることはエンタメであり、見る人を楽しませるためのものである。「お笑い分析」も例外ではない。本来は「お笑いを分析している」というネタとして楽しむべきものなのだ。

 お笑いを真剣に語ることすら、広い意味での「お笑い」になってしまうというところに、お笑い文化の奥深さがある。芸人のお笑い分析は今後もどんどん行われて、お笑い文化の裾野を広げていくことになるだろう。

(文=ラリー遠田)