「三匹が斬る!」の“千石”が当たり役も時代劇に安住なかった【役所広司論/金澤誠】
【役所広司論】#3
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役所広司は、「親戚たち」(1985年・フジテレビ系)で初めて現代劇の連続ドラマに主演した。これは彼の故郷・長崎県諫早市を舞台にした群像劇で、脚本を書いたのは役所広司の兄と学校の同級生だったという同郷の市川森一。
このドラマをたまたま見ていたのが伊丹十三で、彼は監督第2作「タンポポ」(85年)に、食通でギャング風の“白服の男”役で役所を起用する。さびれたラーメン屋を山崎努扮するトラック運転手が人気店に変えていくというメインストーリーの間に、さまざまな「食と欲望」に関するエピソードをちりばめたこの映画で、狂言回しのように時々現れる白服の男は、彼の情婦を演じた黒田福美との間で行われる「卵黄口移し」シーンのエロチシズムと合わせて、強いインパクトを残した。
ただこれで役所広司が時代劇俳優のイメージから脱したかといえばそうでもなくて、87年からテレビ朝日系で始まった「三匹が斬る!」では高橋英樹、春風亭小朝と共に主役の一人、“千石”の愛称を持つ素浪人・久慈慎之介を演じた。旅の道中でそれぞれ武芸の達人である3人の浪人が、土地の悪を倒していくこの痛快娯楽時代劇は好評を博し、95年まで計7シリーズが作られる。役所は第6シリーズこそ初回スペシャルだけの出演だったが、他はレギュラーで豪快な殺陣を披露し、時代劇俳優の印象を一層強くした。
一方では、普通の女性が選挙に立候補する大竹しのぶ主演の「モナリザたちの冒険」(87年・TBS系)でヒロインの恋人を演じたり、30代半ばのサラリーマンたちが自分たちの隠れ家を作るコメディー「男たちの運動会」(89年・NHK)に主演したりと現代劇にも出演したが、「三匹が斬る!」の“千石”を超える当たり役にはならなかった。
思えば役所広司は「徳川家康」の織田信長役でチャンスをつかんだ時が27歳で、注目され出したのが30代である。そのため、キャリア的には新人でも、演じる役では大人の男性を求められた。ドラマに出ても最初の頃は、ただセリフを覚えてしゃべるので精いっぱいだったと彼は言うが、現代劇では役柄的に大人の落ち着きや人生の年輪が必要だった。そのギャップがこの時期の彼には感じられる。
山下耕作監督による映画の初主演作「アナザー・ウェイ D機関情報」(88年)にしても、第2次世界大戦末期のヨーロッパを舞台に、米軍の特務機関の陰謀に巻き込まれる海軍中佐役という、大作の主演を背負うには、まだキャリア不足だった感が否めない。だからこそ、女好きで蛇が嫌いという強いだけではない素浪人を楽しそうに演じた「三匹が斬る!」がより目立つのだが、ここで時代劇に安住の地を見つけてその枠の中で活躍していたら、後の名優・役所広司は生まれなかった。この時期彼は、現代劇でも自分が自由に表現できる場を模索していた気がする。そして90年代に入って、彼は一人のドラマ演出家と出会う。それが鶴橋康夫だった。
(映画ライター・金澤誠)