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腸と脳が情報のやり取りをして、お互いの機能を調整している<脳腸相関>と呼ばれるメカニズムが、いま注目されています。東京大学大学院総合文化研究科の坪井貴司教授いわく、「腸内環境の乱れは、腸疾患だけでなく、記憶力の低下、不眠、うつ、肥満、高血圧、糖尿病……と、全身のあらゆる不調に関わることがわかってきている」とのこと。そこで今回は、坪井教授の著書『「腸と脳」の科学 脳と体を整える、腸の知られざるはたらき』から、腸と脳の密接な関わりについて一部ご紹介します。

【書影】最新研究で見えてきた、腸と脳の驚きのしくみを解説。坪井貴司『「腸と脳」の科学 脳と体を整える、腸の知られざるはたらき』

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同じ甘さでも、人工甘味料より砂糖が好まれる

ニューロポッド細胞(一つの細胞から、ホルモンと神経伝達物質を同時に分泌し、腸管腔内でスクロースやグルコースを摂取した情報を脳へ伝達するための特殊な細胞)は、なぜ腸管腔内の情報をシナプス結合している求心性迷走神経を介して脳に伝えているのでしょうか?

私たちヒトは、砂糖(スクロースが主成分)や人工甘味料(スクラロース)を口にすると甘いと感じます。

同じ甘味にもかかわらず、ヒトやマウスなどでは、スクラロースよりもカロリーのあるスクロースを好んで摂取します。それはなぜでしょうか?

舌の味細胞に存在する味覚受容体がひょっとすると、カロリーのあるスクロースを好んで摂取することに重要な役割をしているのではないかと考えられました。

そこで、遺伝子操作をして味覚受容体を持たないマウスが作られ、次のような実験が行われました。

スクロースが溶けている水、スクラロースが溶けている水、そしてただの水を、味覚受容体を持たないマウスに与えました。すると、味覚受容体を持たないにもかかわらず、マウスはスクロースが溶けている水を好んで摂取したのです(1-1)。

しかし、マウスの舌の味細胞には味覚受容体がないのになぜスクロースと人工甘味料のスクラロースを区別できるのかについては、不明でした。

ただし、マウスでもヒトでも甘味受容体は、味細胞だけでなく腸内分泌細胞にも発現していることがわかっています。

ひょっとすると、この腸内分泌細胞に発現している味覚受容体が、スクロースとスクラロースを区別しているのではないか? という可能性が考えられました。

腸内分泌細胞では違いを区別するのか?

私たちヒトの場合で考えると、スクロースの入った清涼飲料水と人工甘味料のスクラロースの入った清涼飲料水は、両方とも甘く、舌でその違いを明確に区別することは簡単ではありません。

けれども、腸内分泌細胞ではその違いを区別することができ、その情報を脳へ伝達しているのではないかと考えられるのです。

そのことを確認するために、マウスの腸内分泌細胞(I細胞)にスクロースやスクラロースを投与したところ、求心性迷走神経が活性化しました。

スクロースは、腸内でグルコースとフルクトース(果糖)に分解されます。

グルコースは、1型ナトリウム依存性グルコース輸送体(SGLT−1)と呼ばれるトランスポーターを介してニューロポッド細胞に取り込まれ、細胞の興奮を引き起こし、グルタミン酸の分泌を引き起こします。

一方、スクラロースは、甘味受容体を介してニューロポッド細胞を興奮させ、ATP(アデノシン三リン酸)の分泌を引き起こすことがわかりました。

ATPは、私たちの体内のあらゆる細胞で使用されるエネルギー分子として知られていますが、じつは、重要な生体情報を細胞から細胞へと伝達する伝達物質としての役割もあります。

例えば、筋肉の収縮と弛緩の調節や、ニューロンから筋肉への情報の伝達にATPが用いられています。味や音などの感覚や痛みなどもATPによって情報が伝達されています。

つまり、ニューロポッド細胞は、グルタミン酸だけでなくATPも神経伝達物質として用いていて、スクラロースなどの人工甘味料の情報を腸内で区別して脳へと伝達していたのです(1-2)。

このようにニューロポッド細胞は、コレシストキニンやグルタミン酸だけでなく、ATPも分泌する多彩な機能を持つ細胞なのです。

脳は砂糖と人工甘味料を区別する

この研究結果は、マウスを用いたものであるため、ヒトでもこのしくみが当てはまるのかを確認するには、今後さらなる研究が必要です。

ただ、想像をたくましくすると、以下のような可能性が考えられます。

私たちヒトは砂糖と人工甘味料の味を舌の味細胞では区別できません。

しかし、腸のニューロポッド細胞では、グルコースを感じた場合はグルタミン酸、スクラロースを感じた場合はATP、と分泌する神経伝達物質を変えて、その情報を区別して脳へ伝達します。

その結果、脳は無意識に砂糖と人工甘味料を区別することができていると考えることができます。

ただ、なぜこのようなしくみが存在するのか、また、なぜグルコースには反応するのに果物に含まれるフルクトースには反応しないのか、といった疑問もまだ残っています。

私たちが糖や脂肪を欲するわけ

私たちは、糖であるグルコースだけでなく、脂質を含む食べ物を食べても美味しいと感じます。

というのも、ヒトだけでなくさまざまな動物にとって糖と脂質は、エネルギーを豊富に含む必須の栄養素であるためです。


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糖と脂質を好んで摂取することを確かめるために、次のような実験が行われました。

マウスに、脂質として大豆油の含まれる溶液(甘さはない)と人工甘味料が含まれる溶液(甘さはあるが糖と脂質は含まない)を自由に飲める状態にして与えます。

すると、実験開始初日は、マウスは甘い人工甘味料液を選択しますが、その後は甘さのない大豆油を選択するようになります。

この大豆油を選択する際に、舌の味覚情報や消化管からの情報が伝えられる延髄の孤束核のニューロンが活性化することがわかりました。

ニューロポッド細胞には、甘味受容体だけでなく、大豆油のような脂質を感じるための脂肪酸受容体も発現していました。

これは、ニューロポッド細胞が脂質の情報を感知し、その情報をシナプス結合している求心性迷走神経を介して延髄の孤束核へ伝達しているためではないかと考えられました。

そこで、求心性迷走神経を手術によって切断すると、予想どおりマウスは大豆油を選ばなくなったのです。

無意識で物をいう臓器

ニューロポッド細胞は、脂質だけでなく、糖(グルコースやスクロース)やタンパク質(アミノ酸)にも反応します。そこで、それぞれの物質を投与したときの延髄の孤束核の反応が解析されました。

その結果、甘味を感じる細胞は、脂質にもアミノ酸にも、つまり三大栄養素すべてに反応しました。

一方で、脂質にだけ反応する細胞も存在することがわかりました。つまり、腸は脳へ、三大栄養素をまとめた情報と脂肪だけの情報を分けて伝達していたのです(1-3)。

これらの研究結果から、マウスだけでなく私たちヒトも、糖分や脂肪分を含む食品を生まれながらに欲するのは、腸が脳と直結して、脳にとって最も即効性のあるエネルギー源である糖分や体内に貯蔵できるエネルギー源である脂肪が補給されている様子を常にモニターしているからだともいえます。

腸は、私たちが思った以上に、無意識で物をいう臓器なのかもしれません。つまり、腸の中にはあなた自身がいるようなものなのです。

・参考文献
1-1 Ren X et al., Journal of Neuroscience 30, 8012-8023, 2010.
1-2 Buchanan KL et al., Nature Neuroscience 25, 191-200, 2022.
1-3 Li M et al., Nature 610, 722-730, 2022.

※本稿は、『「腸と脳」の科学 脳と体を整える、腸の知られざるはたらき』(講談社)の一部を再編集したものです。