西田敏行さんが憧れ続けた「伝説の喜劇人」 ついに叶わなかった“共演”のチャンスは2回あった
実はあの役で……
西田敏行(76)の訃報が流れた時に、某テレビ局が紹介したのは、彼がいかに映画「男はつらいよ」に出演したかったか、その思いを語った映像だった。
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西田は出るには出た。ただ、シリーズ50作の総上映時間は30万5100秒に及ぶが、西田の出番はそのうちの1シーン、たった10秒だった。
出演したのは93年の第46作「寅次郎の縁談」。それは何の脈絡もないものだった。草だんご屋の老舗・とらやの前の参道を、映画「釣りバカ日誌」シリーズの主人公・ハマちゃんに扮した西田が、釣り竿を担いで通り過ぎる。
「こんちわ」と、店にいたおいちゃん(下條正巳)とおばちゃん(三崎千恵子)に声をかけ、「雨の日はこんなでかいのが釣れるんだけど、全然ダメ」と手を振りながらフェードアウトする。その間10秒。西田の突然の登場に、公開時の映画館で笑いが沸き起こったのを記憶している。
実は、西田が「男はつらいよ」シリーズに、メインの役どころで出演するチャンスは2回あった。
同シリーズで知られる山田洋次監督だが、名作「幸福の黄色いハンカチ」も忘れ難い(77年公開)。刑務所帰りの高倉健が、妻の倍賞知恵子が待つ夕張に帰るロードムービーだ。高倉と一緒に夕張まで旅をする行きずりのカップルを、武田鉄矢と桃井かおりが演じた。
実はキャスティングの段階で、武田の役には西田の名前が上がっていたという。
筆者は、寅さんの妹・さくらの夫を演じた前田吟さんに、「男はつらいよ」を語ってもらう連載(日刊ゲンダイ)を続けているが、前田さんがその中で「幸福の〜」のキャスティングについてこんなエピソードを明かしてくれた。
「あの時は鉄ちゃんの役はいろんな人が候補にあがったの。西田敏行とか中村雅俊とか。山田監督も渥美さんにだれがいいか訊いていたみたいです。僕は渥美さんに西やんのことを訊かれた。『面白いし、いい役者だと思います』と答えた記憶があります。だから、てっきり西やんに決まるだろうと思ってました。ところが、蓋を開けたら鉄ちゃんだった」
武田は「幸福の黄色いハンカチ」が公開された翌78年、シリーズ第21作「寅次郎我が道をゆく」に出演、翌79年には桃井が第23作「翔んでる寅次郎」にマドンナとして出演している。この流れから考えれば、もし西田が「幸せの黄色いハンカチ」に出ていたら、「男はつらいよ」に出演という、念願が叶っていたに違いない。
幻の「男はつらいよ」第49作
二回目のチャンスは96年だった。渥美は95年に肝臓がんと肺への転移のためこの世を去った。95年公開の第48作「寅次郎紅の花」が遺作になったが、松竹は次回の第49作として「寅次郎花へんろ」の製作も決めて発表していた。山田監督は渥美を慮りながら、構想を練った。渥美の体調不良を目の当たりにして、出番を減らし、極力負担をかけない方法はないか……。そこで行きついたのが西田と、第30作「花も嵐も寅次郎」でマドンナを演じた田中裕子の起用だった。
「花へんろ」は寅さんとさくら、それとは別にもう一組の兄妹ものという設定だったという。吉村英夫著『「男はつらいよ」の世界』から引用する。
〈やくざっぽい兄とその妹の、愛するが故の乱暴なののしりあいの大喧嘩になっていくのが見せ場です。渥美さんにその乱暴な兄貴的なものはもう無理だ、だから西田敏行さんにその役を考えていた〉
山田監督の言葉だ。冒頭で紹介したテレビ映像の中で、西田が悔しそうに語っていたのはこのことだった。
渥美の死去で「男はつらいよ」の第49作は、浅丘ルリ子がマドンナの「寅次郎ハイビスカスの花 特別編」(97年)に、「花へんろ」は山田監督、西田主演で、「花へんろ」の出演者がそのまま移行する形で「虹をつかむ男」として、96年と97年に2作公開された。
渥美の死により、西田の「男はつらいよ」への出演は完全になくなってしまう。
西田と渥美の接点は、寅さんにつながるTBSのドラマ「泣いてたまるか」。西田が青年座養成所に入る前、まだ19歳の67年4月に放送された「先生早とちりする」の回で共演したのが最初だ。ちなみに、前田さんの初共演も同ドラマの最終回「男はつらい」だった。
共演したいと願い続け……
「男はつらいよ」への出演はたった10秒で終わったが、当時の西田は「釣りバカ日誌」シリーズがスタートし、日の出の勢いだった。寅さんの向こうを張る形で、同じ松竹がシリーズをスタートさせた88年には、「男はつらいよ」と同時上映された。同時上映は7本。動員も配収も寅さんと肩を並べるほどに成長し、松竹の二枚看板として屋台骨を支える人気シリーズになった。
10秒出演は今風にいえば、「寅さんと釣りバカのコラボ」だが、そんな中でも、西田の胸の内は憧れの偉大な喜劇人、渥美清と「男はつらいよ」で共演したいと、ずっと思い続けていたのだ。
西田には一度だけインタビューを受けてもらったたことがある。テレビ朝日で13年に放送された伊集院静原作の「いねむり先生」で、彼が小説のモデルの作家・阿佐田哲也を演じた時だ。酒席の話がテーマだった。若い頃は酔って議論するのが大好きで、浴びるほど飲んでしまい、何度も倒れかけた。
「そんなのはロクな飲み方じゃない! 吐くなら飲むな。酒がもったいない」
と、先輩に怒られたという。それからは酒とのいい付き合いができるようになった。
渥美と共演してうまい酒を飲みたかったか。いや、渥美は劇中ではグラスを煽るが、若い時に肺を病んでから、酒を口にしなかった。共に芸達者な渥美と西田のこと。共演が実現していたら、どんな芝居を見せてくれただろうか。
峯田 淳/コラムニスト
デイリー新潮編集部