アメリカは多民族的民主主義の創造という課題に直面している(写真:sborisov/PIXTA)

内戦で戦場と化した近未来のアメリカを舞台にした映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』が、このほど日本でも公開される。これに先立つ2023年3月に、世界中で「内戦」が急増している現状とその原因、アメリカでも内戦が勃発する潜在性が高まっている状況について、アメリカを代表する政治学者が分析し警告した『アメリカは内戦に向かうのか』(バーバラ・F・ウォルター著)の邦訳が刊行されている。同書第8章「内戦を阻むために今なすべきこと」から一部を抜粋してお届けする第1回(全2回)。

白人が少数派に

アメリカ建国の父たちは、望むならどのような政治体制でも構築できたに違いない。ジョージ・ワシントンを国王にして貴族制を確立したり、あるいは広大で肥沃な農地を分けて、自身を領主とすることだって。


でも、彼らはそうしなかった。民主主義をつくるとの断固たる決意があったためだ。もちろん民主主義は古代ギリシア人による理念の中や、ヒューム、ロック、ルソーなどの政治哲学的著作の中に存在してはいた。それでも現実のものにはなっていなかった。かくも広範な領土で、かくも多数の人々が自らを統治する民主主義を試みた国は存在しなかった。

『フェデラリスト・ペーパー』の筆者であるマディソン、ハミルトン、ジョン・ジェイ─。州権力と連邦権力、多数派による専制の防止、破壊的党派の脅威など、新国家がやがて直面するに違いないあらゆる局面が検討された。彼らは、この新しい国が、どれほど多事争論、取り扱いが厄介で、かつ対立が日常となるかを十分に予期していた。それでもなお、より良き、より自由な世界を信じて、一歩一歩着実に前進した。

むろん数百万もの人々が信じるもう一方の視点からすれば、それは悪夢にほかならなかっただろう。この国は財産を保有する白人のための国家だ。建国者自らが奴隷所有者であって、奴隷が権利や自由を手にしうるなど考えもしなかった。実際、彼らは奴隷を完全な人間とは見なしていなかった。あるいは、土地を所有しない白人労働者が公職に就くなどとんでもないことだった。寛容ではあったのかもしれないが、あくまでも当時の基準でのことだ。

たとえ彼らが「あらゆる男性と女性は平等につくられている」との考えを再確認しうるだけの先見性に恵まれていたとしても、アメリカがやがて直面する無数の変化を予測するなどおよそ不可能であったろう。

工業化の波、巨大都市化、自動車の氾濫。未来における国富や軍事力、グローバル化に洗われつつ生起する変化など知りようもなかった。インターネットはどうか。気候変動は。火星旅行。想像だにしえなかったことだ。

多民族的民主主義の創造

現在、アメリカは真の意味で、多民族的民主主義の創造という課題に直面している。

世界規模の移民が人口統計上の数字とアイデンティティを形成し続ける中、存続発展する国家を創成するという途方もない課題である。

1700年代後半から世界は劇的な変化を遂げた。民主主義とは、もはや白人農場所有者の専売特許ではない。女性、農村部、褐色人種、混血あるいはその間にいるあらゆる層が包含されるようになった。

私たちはすべての人々を必要としている。移民を阻止する国は、人口減少の中で緩慢に滅亡していくだろう。われわれの民主主義は小集団の権利を守るとともに、国家としてのアイデンティティを1つのもとに据える必要がある。多民族的民主主義へのシフトが平和裏に、しかも発展を阻害することなく遂行していく様を世界に示していくことである。

アメリカは、白人が市民の多数派的地位を喪失する最初の民主主義国家となる。それは2045年と予測されているが、他国も続くことになるだろう。2050年あたりには、カナダとニュージーランドで白人は少数派となる。2066年にはイギリス、2100年にはすべての英語圏国で同様の変化が起こる。

これらの国々の極右政党は、白人支配終焉に際して不吉な警告を発しており、その変革に伴う経済・社会・道徳的費用は莫大として、憎悪の火に油を注いでいる。

だが、それはただの神話だ。権力というものをゼロサムでしか理解できない人々による手の込んだ新手のおとぎ話である。すでにいくつもの都市で誤謬は証明されている。

バーミンガムやメンフィスなど、人口の大半を黒人が占める都市では、黒人の市長が誕生し、しかも白人有権者の支持を得ている。黒人による政治権力の掌握は報復とともに、白人の経済的衰退を招くとの懸念は杞憂と知った。生活にさしたる変化は見られず、他方で黒人の生活水準は向上した。多民族政党による政権運営は、幸福な生活にとって脅威とはなりえないと知られるようになった。新たに到達した平和への均衡点だった。

カリフォルニア州もまた成功事例の1つである。1998年に白人が少数派になって以来(2004年にテキサス州が続いた)、カリフォルニア州は200%もの経済成長を遂げている。失業率は3%も低下した。1人当たりGDPは52.5%増加した。私がカリフォルニアに移住したのは1996年のことだった。メキシコ国境から北へ40マイルの町に居住し、白人比率わずか21%の大学で教鞭を執っている。日々私は心躍るヴィジョンを目にしている。学生は熱意に溢れ、移民は勤勉だ。

ただし同州の移行にあたっては、燃えるごとき反発を避けえなかった。1994年、未登録の移民が医療や教育など公共サービスの受益を禁ずる「わが州を救え」なる提案187条項を可決したのである。移民阻止、非正規滞在の処罰を目的とする大規模法案を承認した現代初の州法となった。共和党のピート・ウィルソン知事は、移民による越境を大々的にアピールする広告を展開するなど、187条キャンペーンを推進して、再選に成功した。ウィルソンこそがカリフォルニアの民族主義仕掛人だったのだ。白人の心に巣食う恐怖心を利用し、刑事的厳罰政策に踏み切ったのが勝利をもたらした。少数派人口が増加するほどに、白人至上主義への脅威は増していき、白人からの反発は雪だるま式となる。

多から1へ

だが、マイノリティが増加していくと事態は変わっていく。マイノリティのほうが政治力を持つようになると、白人のみならず、黒人や移民にも利益のある政策が採用されるようになるからだ。州内の授業料、不法滞在者への運転免許支給などバラエティ豊かなものとなっていく。教育費の大幅増加や、刑務所数の大幅減少も手伝って、あらゆる住民福祉の満足度が向上した。30年足らずの間に、同州は反移民の看板を捨て去り、移民とインクルージョンの先進政策州へと変貌している。

ただし、カリフォルニア州にいまだ課題は少なくない。ホームレス数は全国の4分の1を占め、所得格差も4番目である。近年アジア系高齢者が襲撃される事件が多発している。ユートピアからはほど遠い。それでも、広く人種を受容するカリフォルニア州の来し方を見るならば、そこには未来への可能性がある。

真の多民族的民主主義実現のためには、国家はいくつもの深刻な危機を乗り越えなければならない。民主主義を強め、アノクラシー・ゾーンを脱し、SNSを適切に規制することで、派閥主義を抑制しなければならない。そうして初めて、第2の南北戦争を回避する曙光が見えてくるだろう。

あるいはもう一つの脅威たる気候変動にも有効な手が打てるかもしれない。地球温暖化は、自然災害の深刻度を増しており、沿岸部諸都市を危険に晒すとともに、熱波、山火事、ハリケーン、干ばつを引き起こしている。南半球から、白人国家が多くを占める北半球への移住も確実な増加を見るであろう。有効な政策を打ち出すのに手をこまねくなら、社会基盤は突き崩されることになるだろう。

私の教室にやってくる学生は課題を十分に理解している。結果、彼らはインスピレーションを受けとめて、何か行動を起こそうという気になる。彼らは、アメリカン・ドリームの新世代である。気が滅入ってくると、私は彼らのことを思い出す。世界を変えようと決意した第1世代の学生たちに満たされた教室。それほどまでに颯爽たる場はちょっと考えられない。

アメリカへの深い敬愛の念

夫のゾリと私は2020年12月にパスポートを更新した。もちろんアメリカを離れようとは思わない。私はよそへ脱出するには、あまりにこの国への深い敬愛の念を捨てきれずにいる。アメリカが世界の牽引役なら、カリフォルニアは全アメリカの牽引役である。私たちはこの場にとどまって転換の助力をなしたいと願う。アメリカは歴史の終局点に立たされているわけではないと信じる。むしろ刮目すべき新時代の始点に立っているのである。

アメリカの国璽“E Pluribus Unum”(多から1へ)を実行に移すうえで、千載一遇の好機に、今私たちは立っている。

(バーバラ・F・ウォルター : カリフォルニア大学サン・ディエゴ校政治学教授)