自分の考えていることを修正できている人と、できずに自己強化していく人で二極化する(撮影:今井康一)

若者と接する場面では、「なぜそんな行動をとるのか」「なぜそんな受け取り方をするのか」など理解しがたいことが多々起きる。

企業組織を研究する経営学者の舟津昌平氏は、新刊『Z世代化する社会』の中で、それは単に若者が悪いとかおかしいという問題ではなく、もっと違う原因――たとえば入社までを過ごす学校や大学の在り方、就活や会社をはじめビジネスの在り方、そして社会の在り方が影響した結果であると主張する。

本記事では、著者の舟津昌平氏と組織開発コンサルタントの勅使川原真衣氏が、Z世代を通して見えてくる社会の構造について論じ合う。

すぐに結論を出さない誠実な態度

勅使川原:『Z世代化する社会』は、Z世代を通して社会を読み解いた本で、中には若者をディスっているところはありますが、それは先に社会の構造があって、その中で合理的な判断をした結果だということを論じていますよね。若者が悪いと断定せずに、なぜそんな言動をするのかをまず問う。その丁寧なひもときが、僭越な表現ですが、秀逸でした。と同時に、研究者の方らしいなとも思いました。


舟津:ありがとうございます。ディスるのと、きちんと観察することは別なんですよね。ある同業者の方からは、「学生の生活世界を誠実に見ようとしている」と評価していただきました。

すごくうれしいと同時に、仮に私が少しでもそうできていたとしたら、やっぱり自分が誠実でないことがわかっているからだと思うんです。わざとらしいほどに不誠実であることを自覚して誠実にやろうとしないと、不誠実になってしまう。

勅使川原:大学の先生は、いろんな意味で特権階級ですもんね。

舟津:そうなんだと思います。私も含めて多くの人は誰かを悪者にしたがるし、傷つけたくなる。われわれはつねに自覚なく、何らかの差別をしていると思います。だからこそ、そのことに気をつけてつけすぎることはない。若者のことは何も知らない、だから知ろうとするんだ、と。若者論の多くは、わかった感が出すぎているように思います。もちろんそれはセールストークだということを前提としても、いかにも私は若者をわかっていますよ、という売り方をされるじゃないですか。

勅使川原:その瞬間に、理解から離れてしまっているのに。

舟津:そうなんですよ。勅使川原さんの問題意識でいえば、「能力とはこういうことで、このテストで完璧にスコア化できますよ」と言った瞬間、能力とは別のものになっているし、理解を離れているんですよね。そういうツールにはもちろん意味もありますけど、完璧でないことを理解しないと、それを絶対視する傾向が強まってしまう。


舟津 昌平(ふなつ しょうへい)/経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。

勅使川原:ご著書でも、現代社会に対する処方箋を出されてはいますが、ないよりはましだから書きました、ってただし書きがありますね。そこの潔さが特にかっこいいと思いました。

舟津:その点はすごく悩みました。現代はYouTubeやTikTokに象徴されるように、強い効果音と刺激的なサムネイルで引きつける「アテンション・エコノミー」がますます強まっています。強くてわかりやすい答えが要求される。だから本書でもやはり何らかの「答え」を示す必要はあると思ってはいて、ときに強い言葉を使わないといけない。「三行でまとめてくれ」という人にもこれがポイントだ、とわかるように。

ただ、そうすると「何々が重要という話『しか』書いていない」と受け止められることもある。読者の要望すべてには応えられないのです。だからこそ、ある読者の方に「小さな子どもが見ているYouTubeのように刺激的な映像で伝えるのではなく、丁寧に畳みかけてくる」と言っていただけたのがとても嬉しかったです。

ファストに伝わらない「知の形」のよさ

勅使川原:若者を論じた本って、「今の若者はこう」「だから、こう接するべき」みたいにさっさと結論を出すことが期待されるジャンルだと思うんですよ。逆に、丁寧に畳みかけているという感想は、きちんと読まないと絶対に出てこない。そういうふうにじっくり読んでくれる人がいらっしゃるのは、希望が持てますね。それに、発売から結構時間が経っていると思いますが、いまだに売れている印象です。

舟津:これは本を出してみての気づきなんですが、知り合いの本だとか、自分がものすごく興味があるという本でない限り、買った本っておそらく1カ月ぐらい経ってから読みますよね。4月に出た本をお盆に読んでいる人もたくさんいるはずです。

勅使川原:たしかに。私もそうです。

舟津:もちろん、すぐに読むこともあると思うんですけど、普通はそうじゃない。だとすると、自分の思ったことが詰め込まれた本が他の人に伝わったり、反響が生まれたりするには、実は最低で2、3カ月はかかるんですよね。全然ファストじゃない。でもそれが、あるべき知の形だとも思うんです。

勅使川原:それ、すごくわかります。私の友人におそらく誰もが聞いたことのある商品や企業のキャッチコピーを考えた人がいるんですけど、5秒で言えるコピーを5秒で考えていると思っている人があまりに多すぎるっておっしゃっていました。本来、書くこと・考えることと同じくらい、ないしはそれ以上に読み取るって大変なことなんですよね。


勅使川原 真衣(てしがわら まい)/組織開発コンサルタント 1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。ボストンコンサルティンググループやヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、独立。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)は2023年紀伊國屋じんぶん大賞第8位に。既著に『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)、最新刊は『職場で傷つく』(大和書房)。

舟津:元々、アウトプットってインプットに長い時間をかけて生まれるものなんですよね。研究論文はその最たる例です。1つの論文を書くのに1、2年は絶対にかかります。国際的にも著名なある先生は、「この論文は9年寝かせた」とおっしゃっていましたし、そういうことってざらにある。だから、何もしていないように見える人が実は悪戦苦闘していて、次の年に2、3本ポンポンと論文を出すことも当然あるんですよ。

という意味では、もちろん性質の違いが当然あるとはいえ、YouTubeは強いサムネイルと派手な効果音で瞬間的に伸びることが重要なコンテンツです。それは理解できるし、そこで勝負している人たちもいる中で、出されてから10年後くらいに「こんなこと言ってた人がいたんやな」って受け取られるメディアや知の形も存在するほうが健全だと思うんです。

勅使川原:ほんとうにそうですね。本書の中にも、アウトプットの価値が過剰に持ち上げられているという指摘がありましたね。わかりやすくガクチカをまとめるみたいなのとか。それって、結局空っぽのコミュニケーションですし、空虚な成長、自己実現もそうなのかなと。

インプットが地味すぎてみんなやりたがらない

舟津:たしかに、アウトプット過多になっている部分があるんですよね。学者はよく「インプットしないとアウトプットなんか出ないよ」と言いますけど、最近は誰にも見えないインプットは地味すぎて、みんなやりたがらない傾向があると感じます。今では、インプットも全部見せるようになっていますね。こんな本を読みました、こんな勉強をしましたって。

勅使川原:本当に。この風潮が続いちゃうと、格差を助長するような気がしてるんですよね。というのが、目に見えるものだけがリアルだと信じすぎている人と、そうじゃないことに気づいている人との差。気づいている人は、とことん影練、影勉しているのかなと。杞憂ですかね。

舟津:いや、わかります。強い言葉を使うと、まともに考えられる人とそうじゃない人の差がものすごく開いていく。これも本を出して気づいたこととして、本や記事のレビューとかコメントとか、最初はチェックしていたんです。読むのしんどいので、もうやってませんが(笑)。そこで気づいたのが、自分の説を補強するためだけに本や記事を読んでいる人がいることです。

勅使川原:えーっ、そうなんだ。1人、2人じゃなく。それはコメントで読み取れたんですか。

舟津:ええ。そういう人は少なくない印象を受けました。私の本に限らず、ですね。たとえば、会社を変革するうえで「社内の抵抗を和らげてやりくりする」という本に対して、「抵抗を無視しないと変革はできない」と信じる人たちは、その本に低評価をつけるんです。

気持ちはわかるし、実際に反対派を排除してうまくいくこともあるとは思うんですよ。でも、その人自身の信念は絶対に揺らがないので、信念に合う本ならいい本だと言うし、合わなければダメだと言うわけです。読書の手間をかけて、思い込みに近いことをただひたすら強化している。

勅使川原:違う視点を取り入れていないんですね。セルフエコーチェンバーだ。

舟津:まさしく。自給自足でエコーチェンバーできるという。信念を強化するためだけに読書をしている。読書って賢くなるためにするものなのに、まったく賢くなれていない。

かつ、やっぱりエコーチェンバーという言葉がこれだけ浸透するように、SNSやネットメディアって、もう自己強化の場になってるじゃないですか。車に例えるなら、車輪が歪んでいて、歪んだままに自己強化を重ねて現実の路線からずれていく車と、フィードバックできてまっすぐ走れている車とで、二極化が起きるというか。つまり、自分の考えていることを修正できている人と、できずに自己強化していく人との二極化。

われわれは都合のいい欲望を肯定してほしい

勅使川原:うわー、ほんとそうだ。ディストピアですね。もちろん、書き手側の努力も必要だとは思いますが、レビューを見ていると、わかんない部分は飛ばして、わかったところだけを都合よくつなげて理解している人もいるように思うんですよね。これもファスト化の影響かもしれませんが。

舟津:そうですね。以前、鳥羽和久さんとの対談で、われわれは都合のいい欲望をかなえたがるようになった、という話をしました。世の中はますます、あなたの都合のいい欲望を認めてあげますよ、というビジネスであふれているので。

勅使川原:ああ、そうか。共感とかまでいやらしく言わなくても、肯定されたいんだ。あなたは間違っていない、頑張ってると。

舟津:そうです。気持ちはわかるんですよね。やっぱり自分の考えを否定されるのって誰でも嫌ですし、逆に、そのとおり、あなたは真理に気づいていますね、って言われるとすごく気持ちがいいです。もちろんそれを支えるロジックが雑すぎると、さすがに嬉しいとはならないかもしれませんが、都合よく、あなたは正しくて他の人が間違っている、みたいな本がより好まれている。

勅使川原:なるほどなあ。ご著書で書かれていた、「楽しい仕事に就くことを目的にするのではなく、楽しさを見つけるように生きることで、われわれは簡単に消費されない楽しさを享受することができる。教育とは、楽しさを発見する過程を支えるためにあるものだ」というところにとても共感したんですけど、今のお話だとかなり難しいことだと感じますね。

学校へ行っても、もしかすると、10歳ぐらいでも自説を強化するために先生のインプットを受けているかもしれない。私の息子も12歳ですけど、いい/悪いをはっきり決める傾向にあるんですよね。親としては、なんとかしたいと思ってしまうんですけど。

舟津:根本的に人にはそういう性質があるんだと思います。たとえば、学歴こそが唯一の価値だと思っている人は、それを肯定する事実に触れるたびに嬉しくなって自己強化していく。でも逆に、明らかにすごいなと思う人が実はあまり学歴のない人だったりしたら、フィードバックが起きて考えを修正する機会がうまれる。少なくとも、学歴は大事だけど絶対ではないね、くらいには思えるようになるはず。それこそが多様性の意味ですよね。

「Aでもあり、Bでもある」を受け入れる難しさ

勅使川原:そうですよね。私は組織コンサルタントをやっているので、「結局、どっちなんですか」みたいな、何かを二項対立的に配置したうえで、唯一解を提示するように求められるような質問をよく受けるんですが、それに通ずるところがありそうです。1つに答えを決めたがる反応がなんでこんなに多いんだろうと思っていたので。ただそれが人間の性だとわかりつつも、性を超えたいですよね。性って超えちゃいけないのかな。

舟津:どっちか選べという2択に帰結していくのは、根深い問題ですね。2という数字がカギでしょうか。アマゾンのピラハ族という部族には、数の数え方が1、2、たくさん、しかない、という論文が2004年に発表されて、話題になったそうです。

勅使川原:エジプトの壁画みたいな話ですけど、面白いですね(笑)。

舟津:そうなんです(笑)。ちなみに2008年に、その研究が間違っていたことが発表されて、実際はピラハ族の言語には正確に数を表す概念がなかったそうです。何が言いたいのかというと、たぶん3から急に認知が複雑になっていくんですよね。専門家に怒られそうな雑な話ですけど、数学でも三次方程式から急に複雑になる。つまり、二元論を超えること、3以上の可能性を考慮することは相当難しいんですよ。

勅使川原:うん、そうだ。でも、複雑性は大事なテーマですよね。一度受け入れるカラクリとして1つに決めることが有効だとしても、複雑さを受け入れないとどうしようもないところもある。

舟津:おっしゃるように、シンプルにすることで、たとえば組織のスローガンをはっきり言い切ることで、みんなが団結できることはある。ただ、それ以外の可能性をちゃんと踏まえていないと、それはリスクになりうる。

勅使川原:そういう意味では、『Z世代化する社会』はすごく現実的な本だなと思いました。Z世代の映えとか、ハレの日のようなものではなく、ごくふつうの日常に徹底的にこだわっているように読み取れました。そこから出てくる結論は、もしかすると理想論じゃないか、と言う人もいるのかもしれないけど、そうした反応ってものすごく現実的なものを見せられたときのものなんじゃないかなと思うんです。

舟津:たしかに、現実的であることはかなり意識しました。学生たちや若者は、基本的に私に気を遣って演技する部分があると思うんです。でも、そうじゃない素の部分も見たい。演技されると、いろいろな誤解を招きますから。

たとえば、若者がものすごくお行儀よくしていると、若者の未来は明るいと思い込むし、逆に無能を演じて相手を上機嫌にさせることもできます。そういう意味では若者は賢いし、演技ができるんですよ。だから、「最近の若いやつはダメだ」と決めつけるのもフィクションなんです。私は、できるだけそのフィクションを剥いで、真実の姿を書きたかった。

「先生がいると、学生は正直に答えないですよ」

勅使川原:その姿勢はすごく表れていると思います。目次で言うと、私が一番好きなのは、「面接で猫を抱く」というところですね。わかりやすさを重視すると、このエピソードを抜いてしまう人もいると思います。若者のしたたかも含めて多角的に描くと、ぶれるとか、わかりにくくなるとか言われることもありますが、それをちゃんと拾っているところに舟津先生の意志というか、覚悟のようなものを感じました。


舟津:実はこの話、卒業した学生たちの卒論がベースで、本人らの協力と許諾を得て私が論文にまとめ直したものが出典なんです。で、調査する際に私が直接聞き取りしようかと言ったら、学生たちは嫌がったんですよ。先生が来るとみんな正直に答えないんじゃないかって。それで友だちに聞くような感じで、素のままを引き出したんです。そしたら、猫を抱いていたとか、友だちが部屋にいたとか、そういうリアルなエピソードが出てきました。

勅使川原:それは稀有な調査になりましたね。

舟津:真の若者像は一種類だけしかなくて、その一種類を自己強化するように、エビデンスがありました、やっぱりそうでした、とは書けないと思ってて。だからこそ、突然ニュアンスの違った話も入れたんですよね。人によっては、わかりにくいからやめてくれとか、どっちなんだって聞きたくなるような話を。

勅使川原:でも、どっちもなんですよね。

舟津:本当にそうなんです。どっちも事実である。

※ピラハ族の出典:MIT News「https://news.mit.edu/2008/language-0624」

(8月28日公開予定の第2回に続く)

(勅使川原 真衣 : 組織開発コンサルタント)
(舟津 昌平 : 経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師)