性的マイノリティについての描写に賛否が集まった朝ドラ『虎に翼』第21週(画像:NHK『虎に翼』公式サイトより)

8月19日の週に放送された『虎に翼』が波紋を呼んでいる。物語の中に挿入される、性的マイノリティの登場人物たちのエピソードが賛否両論を生んでいるのだ。だが、これは世界的な潮流でもある。

本稿では、その世界的な潮流や、日本でのこの20年の性的マイノリティのドラマ・映画での描かれ方にも触れながら、描くときにとるべきバランスについて考えていきたい。

性的マイノリティのエピソードは世界的な潮流

NHKの朝ドラ『虎に翼』の第21週・101回では、主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)の友人である轟太一(戸塚純貴)が自身の“お付き合いしているお方”として、同性の遠藤時雄(和田正人)を紹介。寅子が少なからず動揺する場面がある。

103回では、性転換手術を受けた人物として山田(中村中)や、同性のパートナーを持つ人物たちが登場。「私たちと話したいんでしょ? 何でも聞いてよ」と水を向け、しばらく寅子たちと性的マイノリティに関する談義を繰り広げる。

もちろん、多くの人が見る朝ドラで、このようなテーマが入り込んでくることは意義深いことではある一方、視聴者の中には、これを唐突、押し付けがましいといった感覚で受け取る人もいたようで、賛否が割れている。

たしかに、第21週の『虎に翼』は、主人公の寅子と星航一(岡田将生)が結婚するのかどうかという展開に注目が集まる中、付け加えられたエピソードのように感じた人がいるのも理解できる。

だが、物語の中に、性的マイノリティのエピソードが挿入されるというのはもはや世界的な潮流でもある。


自身が性的マイノリティであることを打ち明けてくれた轟(写真左)に、結婚後の名字について相談する寅子(画像:NHK『虎に翼』公式サイトより)

その流れが顕著だったのが近年のディズニー傘下の作品だ。2つ例をあげてみたい。

ピクサー制作の『トイ・ストーリー』のスピンオフ作品である2022年公開の映画『バズ・ライトイヤー』では、かなり唐突に、女性同士のキスシーンが挿入され、2人が子どもを育てていくエピソードが挿入される。それらの描写が問題視され、公開中止になった国もある。

公開中止もやむなしと決意したうえでの、この作品にとって譲れないエピソードなのかとも想像できる。だが、そのシーンは一瞬で、正直、これが男女だったとしても、物語の大筋には大した影響がないといっていいものだった。入れ替え可能なエピソードのひとつとして“付け加えられている”感が否めないものだ。

日本の実写映画がアメリカで改変された例もある。山田太一の小説を原作に、1988年に公開された大林宣彦監督の映画『異人たちとの夏』は、現在はディズニー傘下にあるサーチライト・ピクチャーズによって昨年リメイクされ、『異人たち』というタイトルで今年、日本公開もされた。

日本版で風間杜夫と名取裕子が演じていた男女のカップルは、『異人たち』ではゲイの男性同士という設定に変更。日本版では風間杜夫演じる主人公が、若い頃の自分の母(秋吉久美子)と出会い、性的な雰囲気が漂うことが、この作品の味のひとつとなっていたが、同性愛者に設定変更されることで、その要素は丸ごと削ぎ落とされていた。

アメリカ版では過去の感覚で生きる両親が息子たちの同性愛に抵抗感を示すというエピソードに時間が割かれるなどして、もとの作品のテーマ性が薄まってしまった印象だ。本来の作品の良さや物語の流れを壊してまで、改変するべき設定だったのかには疑問が残る。

当然、性的マイノリティの描写を入れること自体には何も異論はない。だが、そうした設定が物語の中で機能しないのも問題であるし、逆に機能しすぎて原作を壊すことになるのにも疑問が残る。

昔から性的マイノリティを描く作品はあった

だが、そういった方針にも変化が見られそうだ。昨年末、ディズニーのCEOは、近年の作品に性的マイノリティへの配慮が含まれることなどに言及。「クリエイターは自分たちの目的を見失っていた」「一番は楽しませることであり、メッセージ性ではない」と発言し、“揺り戻し”の姿勢を示唆している。

その点、まだ日本では“揺り戻し”は起きておらず、むしろ進んでいる最中、という印象だ。

『虎に翼』に限らず、昨年の大河ドラマ『どうする家康』でも家康の最初の側室が、女性を愛して家康のもとを去っていくというエピソードが描かれ「史実の改変では?」といった物議を醸した。

性的マイノリティのエピソードが挿入されることへの観る側の反発や動揺は、近年の日本でも見られるものだ。もちろん、そういった作品の数自体が多くなっていることに起因もしているだろう。だが、昔から性的マイノリティを描く作品がなかったわけではない。

例えば、2001〜2002年に放送された『3年B組金八先生』(第6シリーズ)では、上戸彩が性同一性障害(当時の作中の表現)のある生徒を演じた。

上戸彩演じる鶴本直が「俺は男だ!」と訴えるシーンや、父親役の藤岡弘、に「お前は女だ!」と胸を揉まれるシーンは衝撃的で、当時、このドラマで初めて、心の性と体の性が一致しないケースを知った視聴者も多いだろう。もちろん、当時のドラマでこのような題材を正面から扱うことは珍しかった。

同じ2001年に公開された映画『ハッシュ!』は、ゲイ男性同士のカップルと女性ひとりの3人がどう“家族”をつくり、子どもを育てていくのかという、20年前より現代のほうがより広く受け入れられそうなテーマの作品だ。

監督は、自身もゲイであることを公表している橋口亮輔で、1980年代後半から性的マイノリティの男性の苦悩を描いてきた軌跡の上にある、ひとつの到達点とも言える切実な作品だ。

“触れただけの物語”が量産されてしまう恐れ

それから20年以上が過ぎ、社会の意識も変わった。性的マイノリティを取り上げる作品も増えた。だが、それによって、なくなってしまったのは“新鮮さ”と“切実さ”かもしれない。

数が増えることによって、当事者ではない観る側の人びとも、意義は認めつつ「またか」と感じてしまうのかもしれない。初めて取り上げられる事象に対する“新鮮さ”、未知のものを理解したいという感情が生まれることは少なくなっているだろう。

さらに、もちろんすべての作品がそうというわけではないが、取り上げる作品が増えることで、その“切実さ”が足りない作品も紛れ込んでくるだろう。作り手が、あくまで“流行の事象”として、深く考えずにそのテーマを挿入しただけであれば、視聴者も見抜く。

そして、それは何より当事者の方たちに失礼な態度なのではないだろうか。作り手が切実に向き合う気がなく、“トピックとして加える”感覚の先に、『バズ・ライトイヤー』のような、その設定がなくても成立する“触れただけの物語”が量産されてしまうのではないだろうか。

当事者性があることと作品としての素晴らしさは決してイコールではないが、「作り手が当事者なのかどうか」という疑問など湧かなくなるほどに、このようなテーマを扱う場合には、切実さが必要なのではないだろうか。

NHKが取り上げることの重み

“新鮮さ”も“切実さ”も併せ持っていた近年の例で言えば、『虎に翼』と同じく吉田恵里香の脚本によるNHKの夜ドラ『恋せぬふたり』(2022年)が、良いケースだった。

アセクシャル(恋愛感情を持たない人)を主人公に描かれた8話のドラマで、ギャラクシー賞など数多くの賞も受賞。主人公の切実さや、主人公がアセクシャルであることを知った周囲の登場人物たちの感情の動きが丁寧に描かれていた。

決して設定として“挿入”されたわけでもなく、押し付けがましいわけでもない。ドラマとして面白く見られながら、アセクシャルという存在への認識も深まる、絶妙なバランスの作品だった。

素晴らしい物語が社会性を持っていることはよくある。だが、その逆は必ずしもそうではない。社会性があっても面白くない物語はたくさん存在する。そのバランス感覚は作り手の才能に委ねられるだろう。朝ドラ『虎に翼』も、この絶妙なバランスの感覚の上に作られている珠玉の作品だと考えている。

一方で、受け手によっても受け取り方が違ってきてしまうのは当然のことでもある。NHK、さらには視聴者の数や層も広がる朝ドラの枠で放送される以上は、作り手のバランス感覚がより必要になってくる。公共放送であるNHKが取り上げることの重みや、それによって纏う“正しさ”も、反発の一因になるだろう。

もちろん、ドラマに限らず、社会の中でマイノリティとして生きている人びとにスポットライトを当てるのは公共放送の担うべき役割であり意義だ。だが、ドラマという物語の中で浮いていたり、“押し付け”が強すぎたりしても視聴者は反発する。

筆者としては、轟とパートナーのエピソードは、籍を入れられる状況にあるのにそれに抵抗がある寅子たちと、籍を入れたくても入れることのできない轟たちという対比が生まれるという点で、物語を深めるために必要なものだったと思う。


同性カップルを演じた轟太一役の戸塚純貴(写真左)と遠藤時雄役の和田正人(画像:戸塚純貴 公式Instagramより)

『虎に翼』でバランスが傾いたシーン

だが、103回で、当事者たちが集まり寅子たちと会話するシーンには付け加えの印象があったし、バランスが傾いた感覚があった。特に、寅子の娘・優未に「私、知らなかった。手術すれば女の人から男になれるんだね」と言わせるなど、進行役のようなポジションを担わせているのが気になった。

大人にはできない純粋なリアクションや質問を子どもにさせることで情報を提供しようとするのは、まるでNHKの『突撃!カネオくん』や『チコちゃんに叱られる!』のような教養バラエティ番組や、Eテレの番組を思わせるような作りだった。

それに対する「優未ちゃんは女の人になるために何か頑張ったことってある?」という当事者からの台詞も、子どもにぶつけるには強すぎるし、“普通に生きられている人”への攻撃性を持ちすぎていて、視聴者の反発を喚起してしまうようにも感じた。

マジョリティの人びとの意識を変革することは必要だし、このドラマの役割でもあると思うが、それが攻撃になってしまっては逆効果なのではないだろうか。

物語が面白いうえで、観る側の価値観が少しずつ変わっていくような作品は必要だと感じている。だが、メッセージが強すぎて、物語の進行や面白さを崩すようなことがあれば、届くべきメッセージも届かなくなってしまうだろう。

もちろん、それは難しいことではあるものの、その絶妙なバランスの上に成立する作品は紛れもない傑作だし『虎に翼』はそうあり続ける強度と優しさを持った作品だと信じている。

(霜田 明寛 : ライター/「チェリー」編集長)