「天空物語:月夜に浮かぶ平等院(京都)」(撮影:KAGAYA。著者私物)

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なんらかの作品を創った人は、その「著作権」を有する。自分の考えや想いを作品として表現したのだから、強い思い入れもあろう。だが、「思い入れ」と「思い込み」はまるで違う。

「著作権侵害だ!」と筋違いないちゃもんをつけ、裁判沙汰にするような思い込みクリエーターも残念ながら多数存在する。そうした”エセ著作権”を振りかざし、トラブルに発展した事件を取り上げた一冊が「エセ著作権者事件簿」(友利昴著)だ。

本連載では、ニュース等で話題になった事件も含め、「著作権」にまつわる、とんでもないクレームや言いがかり、誤解、境界線上の事例を紹介。逆説的に、著作権の正しい理解につなげてもらう。

第6回では、アノ10円玉の裏で知られる平等院鳳凰堂が、同寺院をジグソーパズルにした玩具メーカーに「無断使用だ」と難くせをつけたてん末を取り上げる。

自分が撮影した写真やイラストを勝手に商品化されたとあれば、それは著作権侵害になるだろう。だが、それが1世紀も前の建物なら、話は別だ。とっくに著作権は消滅している。ところが、同寺院は、なにかと理由をつけて、販売差し止めや在庫の廃棄などを要求するのだ。

法律の常識を無視して、1世紀も前の建物の写真の独占使用に固執した法廷闘争は最終的にどんな結末を迎えたのか…。(全8回))

※ この記事は友利昴氏の書籍『エセ著作権事件簿』(パブリブ)より一部抜粋・再構成しています。

「無断使用」という印象操作

強欲坊主の大暴走といってもよい事件だ。平等院鳳凰堂は、1053年に藤原頼通が建立した平等院の仏堂。これを、玩具メーカーのやのまんが「天空物語 月夜に浮かぶ平等院(京都)」のタイトルでジグソーパズルにして販売した(図1)。すると平等院が「無断使用」などと主張して、販売停止、在庫廃棄、損害賠償を求めて提訴したのだ。

「無断使用」という言葉を使われると、なんだか悪いことをしたような印象を受けるかもしれないが、これはまさしく印象操作だ。平安時代の建物だぞ。『源氏物語』や『枕草子』と同じレベルだ。著作権などはるか昔に消滅している。

不可解な主張の連続でパズル業界と対決!

平等院も、さすがにストレートに著作権を主張したわけではないが、それでも報道に表れた平等院の主張には不可解さが目立つ。

例えば、『朝日新聞』の取材に対し、平等院の担当者は「たくさん人が来るなかで危なくないようルールを設けている。ルールを守ってくれている人に申し訳ない」と答えている*1。やのまんのパズルによって、来観者にどんな危険が及び、何がどう申し訳ないというのだろうか。意味が分からない。

別の記事では、平等院の代理人弁護士が「大切に守ってきた鳳凰堂がパズルでバラバラにされるのは耐えがたいという宗教的な感情を理解してほしい」と述べている*2。これはもう、パズルという文化を真っ向から否定するもので、業界を敵に回す発言だ。

パズルとは、被写体をバラバラに解体することを目的とした遊びではない。その逆である。絵画やアニメなどを用いたパズルは多数存在するが、「バラバラにされるから傷つく」なんて話は聞いたことがない。それに、いかに宗教施設とはいえ、鳳凰堂は後生大事に秘匿されているわけでもなく、一般に公開された観光施設である。平等院の取って付けた「被害感情」よりも、何の権利もない、公に供された1000年前の建築物をパズルにする経済活動の自由の方がよっぽど保護に値する。

*1 「朝日新聞デジタル」2019年4月24日「『鳳凰堂の写真、勝手にパズルに』平等院が玩具会社提訴」
*2 『朝日新聞』2019年8月14日「平等院鳳凰堂、パズルの販売ダメなの?」

勝手な禁止事項に反したら違法なのか?

平等院の裁判上の主張は、主に以下の点に集約されるようだ。

平等院は、パンフレットなどにおいて境内で撮影した写真の営利目的使用を禁じる旨を書いている。この禁止事項にやのまんが違反したことで、「鳳凰堂を玩具として営利目的に使用することを安易に許諾したという印象を持たれ、平等院の社会的評価を低下させた」ということである。

確かに、平等院のパンフレットには「院内で撮影した写真などを営利的な目的で使用することは禁止いたします」と書いてある。しかし、パンフレットに「禁止」と書いたからといって、それに反したら直ちに違法、という道理は存在しない。

パンフレットなどもらわなくても(読まなくても)境内には入れるため、そもそも禁止事項への同意が存在しない。「禁煙」や「飲食禁止」など、敷地内における禁止行為に関しては、土地や施設の所有者の権利として、「守らないなら出ていけ」と言える場合はある。だが、そこで撮った写真の営利目的使用のように、施設外における他人の行動を制限する効力まではない。

要するに、単にパンフレットの禁止事項に反したと主張するだけでは平等院に勝ち目はない。そこで彼らは、禁止事項に反し商品化されたことで、「鳳凰堂を玩具として営利目的に使用することを安易に許諾したという印象を持たれ、平等院の社会的評価を低下させた」という理屈をひねり出したのだろう。

パズルになった建築物の社会的評価は低下するのか?

しかし、この理屈がムチャなのだ。冒頭述べた通り、1000年前の建物をパズルにするのにそもそも許諾など必要ない。法律上も社会常識的にもそうである。そうである以上、このパズルを見て、「平等院が許諾した商品だ」と思われること自体が考えられない。箱などにも、許諾を受けたような触れ込みはない。

一万歩譲って、許諾商品だと思うおっちょこちょいがいたとしても、綺麗な写真を使った穏当なパズルだし、そうした誤解によってもたらされる平等院の主観的な不愉快と、遥か昔に著作権が切れて共有財産となった素材を用いた経済活動の自由と、どちらが法的保護に値するかというと、それは後者というべきである。

不可思議な和解劇で事件は終結

というわけで、この事件、一から十まで無理筋な主張で、平等院の敗訴は確実と思われた。ところが、最終的には裁判は両者の和解で終結している。報道などを総合すると、主な和解内容は、以下の内容のようだ。

1.やのまんは本商品を新たに出荷しない。
2.すでに市場にある在庫はそのまま販売を継続する。
3.やのまんが保有する在庫は廃棄処分する。
4.その廃棄費用は平等院が負担する。
5.今後、やのまんは無許可で平等院の建物の写真などを使った商品を製造販売しない。

意外なことに、やのまんが在庫廃棄と今後の販売中止に合意したような格好なのである。当初全面的に争う姿勢を見せていたやのまんが、平等院側に大きく譲歩したように映る。しかし、おそらくやのまんは、損得勘定で和解に応じたのだと思われる。というのも、和解を受けてやのまんが発表したプレスリリースでは、以下の一文が強調されていたからだ。

裁判所が、平等院の主張を否定して「やのまんに違法⾏為がない」ことを⽂書で認めてくださったので、和解を受諾することとしました。

裁判所が「やのまんに違法行為がない」と認めたのであれば、それは「実質勝訴」ということだろう。そのまま判決に身を委ねれば、平等院の敗訴はまず間違いなかったはずなのだ。

にもかかわらず、あえてこの内容で和解したということは、やのまんとしては、たとえ勝訴したとしても、これ以上、商品を売り続けるメリットはないと判断したということではないか。つまり、和解時点で売れ行きが落ち着いていたと考えられるのだ。トレンドの移り変わりが激しい玩具業界では、あり得る話だ。在庫の廃棄費用を平等院に負担させているところから考えると、倉庫に余った在庫の処分を平等院に押し付けた方が得だという打算が働いたのかもしれない。

パズル業界はもっと堂々としていい

しかし、やのまんの判断に異議を唱えるつもりはないが、白黒はっきりさせずに和解を選択したことで、今後、パズル業界は、事業をやりにくくなったりはしないだろうか。

平等院は「無断で〔パズルで〕ばらばらにされ、つらい思いをした」などというが、せっかく多くのユーザーに楽しんでもらおうと企画開発したパズルを廃棄させられた、やのまんの社員の方こそ、つらい思いをしたに違いないのだ。二度とおもちゃメーカーの担当者がつらい思いをしないよう、実質的には、やのまんの勝訴であったことを、今一度強調しておきたい。