奈良公園の「シカの糞」観察続けた60歳彼の半生
糞虫好きが高じて、博物館まで作ってしまった“フン虫王子”の中村圭一さん。彼はどんな人生を歩んできたのか(写真:著者撮影)
前回の記事では、「観光名所として有名な奈良公園には1300頭ものシカがいるにもかかわらず、フンだらけにならない理由」について取り上げた。
その答えは「フンを食べるコガネムシの仲間」である糞虫の働きによってフンが分解され、土に還る手助けをしているからだということを、ならまち糞虫館の館長・中村圭一(なかむら・けいいち)さんに教えていただいた。
そこで今回は、中村さんがいかにして糞虫に魅せられ、そしてならまち糞虫館を設立するに至ったのか。そんな中村さんの人生をのぞかせていただいた。
寝ても覚めても糞虫観察の日々
小さい頃から生き物が好きだった中村さん。糞虫に限らず生き物全般が好きであり、カブトムシやザリガニを採りに行くのはもちろん、デパートに行った際も、生き物やペットコーナーにずっといるような少年だった。
【画像14枚】糞虫に魅せられ45年、退職金で博物館まで作った中村さん。昆虫大好き少年の半生とは? 博物館の気になる中身も公開!
「世の昆虫少年の例に漏れず、夜寝る前は母が『ファーブル昆虫記』を読んでくれていました。でも当時は本よりも、とにかく生きた虫が大好きでした。餌を食べるかと思ったら食べなかったりと、予測不能な動きをするところが面白いんですよね。
生駒山に昆虫採集に連れて行ってくれた父の信条は『好きなことを一生懸命やればいい』というもので、その言葉通りに過ごしていました」
糞虫館の開館は土日の午後のみ。基本的には中村さん本人が在廊しており、糞虫について聞きたいことがあれば何でも教えてくれるアットホームな雰囲気も人気のポイント(写真:著者撮影)
そんな中村さんに大きな変化が訪れたのは、中学生のときのこと。
夏休みの宿題で、友達が提出した見事な昆虫標本を見て衝撃を受けた。綺麗な瑠璃色をした昆虫に魅了され、それがルリセンチコガネという糞虫であることを知った。そしてなんとこの魅力的な糞虫は、家の近くの奈良公園にたくさん生息しているという。
それ以降、昆虫標本を作成した友達が師匠ともいうべき存在となり、2人で奈良公園に行っては糞虫を採集し続けた。
「糞虫って図鑑にも載ってないことが多かったですし、当時は飼育方法が確立されていませんでした。なので、どういう種類の糞虫がどのようなフンを好むのかなど、試行錯誤するのが面白かったんです」
学生時代の中村さん(右)。奈良公園で糞虫の実験をしているときの様子(提供:中村圭一さん)
師匠とともに生き物好きの同級生を集めて昆虫同好会を結成。それぞれに贔屓の昆虫がいたが、奈良公園に行っては糞虫を観察して、さまざまな環境で実験も行った。
「奈良公園がフンまみれにならないのは糞虫がいるから」とまとめて学園祭で発表。まさに寝ても覚めても糞虫の世界に没頭し続けた日々だった。
そんな昆虫同好会の様子を見た生物の先生は、理解を示してくれ応援してくれるように。生物教室にある水槽などの道具を使わせてもらい、犬のフンと鹿のフンを持ち込んで、糞虫はどちらを好むか調べる実験などを行っていた。
「やはりフン、ウンコですから家でなかなか実験できません。かといって学校ならいいわけではありませんが、生物教室は普通の教室と反対側の建物にあったのでそっと実験させてもらっていました。他の生徒はどういう目で見ていたかはちょっとわかりませんけどね(笑)」
ときには24時間ぶっ通しでフンを観察し続けたこともあり、そうした地道な活動を続け、日本学生科学賞奈良県知事賞を受賞したことは大きな誇りとなった。
第二の人生でも好きなことを貫く
大学進学後は農林中央金庫に就職。しかし、糞虫活動はもはや生活習慣になっていたため、大人になっても途切れることはなかった。
「転勤族でしたが、行った先々で虫捕りは続いてましたね。国内だけでなく海外は6年ほど中国勤務だったこともあり、そのときは楽しかったですよ。新疆ウイグル自治区に行くと、あそこはヒツジの放牧をしてますからね。あのときはたくさんの種類の糞虫が捕れましたよ」
各地で糞虫を採集しては自宅の標本箱に収めていく。自分で採集したものは、国内約50種類、海外を含めると約80種類。寄贈や購入を含めると全部で約300種類。そうしていくうちに、標本箱に収められた糞虫は1000匹以上にもなった。
新幹線の座席を一つ、大切な標本のために用意したこともあった(提供:中村圭一さん)
中村さんに再び大きな転機が訪れたのは、45歳、会社のライフプラン研修に参加したときのことだった。
「第二の人生を考えるきっかけになりまして。その結論は『好きなことをしていこう』でした。そう思ったとき、自分には糞虫しかないと思い、脱サラして糞虫館を作ることになったんです」
昭和40年築の古家を改修した館内は、1階が展示室、2階にはイベントで使用するセミナールームや非公開の飼育室・研究室がある(写真:著者撮影)
かねて、奈良市内には自然や生き物を対象とした施設や博物館がないことも気にかかっていた。奈良には神社仏閣とともに、豊かな自然が残っているからこそたくさんの糞虫がいる。そして糞虫はせっせとシカのフンを分解して土に還し、奈良の景観維持に大きな貢献をしてくれている。このことをもっと知ってほしいと、中村さんは考えていた。
糞虫の施設を作るのであれば、“糞虫の聖地”である奈良公園の近くでなければ意味がない。近くに2階建ての古家を見つけ、改修して博物館にすることにした。
同時に、糞虫についてあれこれ綴る「むしむしブログ」をコツコツ更新して、「昆虫類」のブログランキングでTOP3入りを果たす。各地の昆虫好きからメールをもらったりと存在を知ってもらえるようになっていた。そうして準備を進めて2018年7月8日、ならまち糞虫館は開館。自身の退職金と借入金、奈良市からの補助金を合わせて総工費1000万円を投じて誕生した。中村さんの第二の人生がスタートした。
来館者の半数が迷ってしまう理由とは?
知り合いのデザイナーによって考案されたオシャレな展示(写真:著者撮影)
平日は別の仕事をしていることから、開館は土日の午後のみ。基本的には中村さん本人が在廊しており、糞虫について聞きたいことがあれば何でも教えてくれるアットホームな雰囲気も人気のポイントだ。
展示の仕方にも工夫が見られ、カラフルなカラーボールを用いることで、昆虫が苦手な人でも見やすくなっている。日本の糞虫は黒っぽい地味な色の種類が多いが、青、赤紫などのカラフルな種類も見られる。その中でも、瑠璃色を呈したルリセンチコガネは、中村さんがその美しさに魅了され糞虫にハマったきっかけでもあるので来館時には目に焼き付けておきたい。
標本箱には、採集された標本とともに採集した年月日と採集場所が詳細に記録されている(写真:著者撮影)
国内のみならず、国外の糞虫も見られる。規則正しく整然と並べられ、米粒サイズの物からカブトムシほどの大きさの物まで。糞虫というとフンコロガシをイメージする人も多いかもしれないが、国内においていえば、糞虫の中でフンを転がすのはマメダルマコガネのみ。
そのまま見るだけでなく、虫眼鏡や顕微鏡も備わっており、肉眼ではわからない細部まで観察することも可能だ。
奈良公園から少し離れた糞虫館の目の前にも、シカたちはやってくる(写真:著者撮影)
来館者の男女比は半々で、子連れのお客さんだけでなくアクティブシニア、そして近所の子供たちも訪れる。普段見ることがない種類の昆虫だけに、子供だけでなく大人たちも「うわー!」「ねー、見て見て!」っと驚きの声をあげる方も多い。
ただし、細い路地裏に位置していることもあり、来館者の半分ほどが迷ってしまうとのこと。
「奈良育ちの私にとって、路地に入っていくのには何の抵抗もないんですよ。だけど都会の方は『この路地は個人の敷地内だから入ったらいかん』と思われるようで、なかなかこっちに来られないみたいです。晴れている日は看板を出しているので、それを目印にしていただければ」
訪問の際は、事前に場所を調べておくのがおすすめだ。
素の自分で語れることのうれしさ
学者でもなければ研究者でもない。でも糞虫好きだった昆虫少年は、進学、就職を経た第二の人生で糞虫館を作るまでに至った。そのことがきっかけとなり、メディアに取り上げられたりいろんな人と出会ったり。そして生涯続くライフワークにもなり、中村さんの人生に彩りをもたらしている。
そんな糞虫活動は、仕事ではなくプライベートと認識しているそうだ。プライベートだからこそできることも多いと、中村さんは語ってくれた。
「私はね、元々は仕事とプライベートをすごく分けちゃうタイプだったんですね。会社員時代は、会社の看板を背負った中村課長が話してるみたいな、そういうバリアが自分にありまして。でも、糞虫に関しては素の自分で話せるんですよね。 多分糞虫館を作ってなかったらこんな機会なかったと思います」
中村さんは糞虫館以外にも、奈良公園での糞虫の観察会、出張授業や講演などを通して、日々糞虫の魅力を伝える活動を続けている。
糞虫に魅せられ45年。「糞虫が大好きで、多くの人に糞虫の魅力を知ってもらいたい」という中村さんの底知れぬ思いは、これからも多くの来館者の心を揺さぶることだろう。
【その他の画像も】糞虫に魅せられ45年、退職金で博物館まで作った中村さん。昆虫大好き少年の半生とは? 博物館の気になる中身も公開!
参考文献:中村圭一『たくましくて美しい糞虫図鑑』、創元社
ギャラリー
糞虫の飼育実験をしている中村さん(右)(提供:中村圭一さん)
ならまち糞虫館の外観(写真:著者撮影)
ならまち糞虫館周辺でうろうろしているシカたち(写真:著者撮影)
ならまち糞虫館の売店。Tシャツなどのオリジナル商品の販売のほか、糞虫にまつわる記事を展示(写真:著者撮影)
中村さんの著書『たくましくて美しい糞虫図鑑』のほか、いどきえりさんが中村さんを書いた『フン虫に夢中』も販売中(写真:著者撮影)
顕微鏡で糞虫を観察できる(写真:著者撮影)
マメダルマコガネは日本最小にして日本唯一のフンコロガシ。見つけるのには注意力が必要な小ささだ(写真:著者撮影)
(丹治 俊樹 : 日本再発掘ブロガー・ライター)