NYタイムズ「7年で売上半減」から劇的復活した訳
DXは企業や組織のあらゆる階層で推進されてこそ成功します(写真:ニワトコ/PIXTA)
新聞、雑誌、ラジオ、テレビなど、インターネットの猛威にさらされている「オールドメディア」の苦境が深刻だ。デジタル化の波に乗れず、各社が長期的な業績低迷にあえいでいる。しかし中には、うまくデジタルに舵を切り、先駆的な企業へと変貌を遂げたメディアもある。世界的な報道機関として知られるNYタイムズもそのひとつだ。同社がいかにしてDXを成し遂げたかのか。『THE DIGITAL TRANSFORMATION ROADMAP(デジタル・トランスフォーメーション・ロードマップ)』(デビッド・ロジャース著/東洋経済新報社)を翻訳したNTTデータ・コンサルティング・イニシアティブが、その道のりと秘策を解説する。
トップの号令でデジタル化に先行着手
デジタル革命の黎明期、ニューヨーク・タイムズ・カンパニー(以下、NYタイムズ)は、新しい時代を見据えた大胆な事業再構築プロジェクトに乗り出しました。今日で言うところの「デジタル変革(DX)」です。この一大プロジェクトは、CEO兼発行人の大号令で始まり、トップの全面的な権限を後ろ盾に進んでいくこととなりました。
まず、デジタル化を推進する別部門として、子会社となる「ニューヨーク・タイムズ・エレクトロニック・メディア・カンパニー」を設立。デジタルメディアと広告のエキスパートを同子会社の社長に据え、新たなデジタル人材を続々と獲得し、その後数年間、NYタイムズは、デジタル・ジャーナリズムの新しい形を世に示そうと、様々なプロジェクトに取り組みました。
息を呑むほど美しい同社のマルチメディア特集は、ピューリッツァー賞を受賞し、メディアの新たな可能性を期待させた一方、そのような特別なプロジェクトは、日々作成される紙面とは切り離された存在でした。また、レガシー製品である紙媒体の新聞記事の膨大なアーカイブを、技術チームが1851年までさかのぼってデジタル化する一方、編集者は読者の行動を把握するためのデータを欠いていたままでした。同社は、電子メール、ウェブサイト、SNS、タブレット版、仮想現実(VR)、チャットボットなど、あらゆる最新技術の流れに意欲的な姿勢を見せていましたが、戦略的な優先順位は定まっておらず、事業規律も曖昧でした。
過去の商習慣という呪縛
やがて、社内に深刻な問題が現れ始めます。デジタル改革を担当する独立部門が設立された結果、デジタル化の推進に携わる人員が限られてしまい、それ以外の者は旧態依然としたやり方に固執する状況が生まれてしまったのです。そして、ビジネスとジャーナリズムが分断された旧態依然の組織構造だけが残りました。トップの狙いとは裏腹に、NYタイムズの各部門の責任者やマネージャー陣は、新しいデジタル事業よりも従来の紙媒体事業を露骨に優先したのです。
また、経営トップですら、「技術は旧来の商品を提供するための新しい手段のひとつにすぎない」という考え方に囚われ、当時のNYタイムズが掲げるDXのビジョンは、中核事業の「デジタル化」、つまり文字どおり、紙媒体に毎日掲載されるものと同じ記事を、最新技術を介して読者に届けることでした。NYタイムズの将来は、何年もの間、過去の商慣習に縛られた状態となってしまいました。
デジタル革命や他社のデジタル化が進むにつれ、NYタイムズの不十分な対応が、ビジネスに深刻な悪影響をもたらしはじめました。デジタル記事で権威ある賞を受賞した先進的な新聞社であったにもかかわらず、優秀なデジタル人材が他の新聞社に流れてしまいます。デジタルネイティブの新興メディアも、インタラクティブなスタイルでSNSを駆使しながら、検索エンジン用に最適化されたコンテンツを配信し、積極的に若い読者を惹きつけることで、NYタイムズを追い抜きました。
ついには、紙媒体広告からの収入は激減、デジタル広告も期待したほどの利益を上げることはできず、長期にわたる業績低迷に陥ります。総収益は2006年から2012年まで毎年減少し、わずか7年間で52%も減少しました。
ニューヨーク・タイムズ・カンパニーの収益の推移(2006〜2012年)
DXに失敗する企業の共通点
NYタイムズの最高経営陣の依頼で行われた綿密な調査の末にまとめられた「イノベーション・リポート」という内部報告書の中で、自社を、将来のデジタル化をめぐって独り悪戦苦闘している組織と評し、次のように総括しました。
「自分たちにとって快適で慣れたやり方の職場環境ができあがってしまい、怠慢につながった。真にチャレンジしなければいけない課題を避け続け、目指すべき姿やどう変わるべきかといった現在および将来の大きな課題に向き合わない姿勢に転じていった」
NYタイムズが直面した課題や危機は、現在、変革を推進している全ての伝統企業を直撃しています。まさにデジタル・ディスラプションの最中で新興企業が台頭する中で、新時代への適応に苦戦して行き場を失った多くの伝統企業と同様、NYタイムズも、将来を見据えたデジタル改革のロードマップを用意しておらず、無駄な努力に何年も費やす結果となり、この惨状を招いてしまったのです。
最悪の状況から一転、タイムズにとって2度目となるDXの成果は、実に驚異的なものでした。まず、「デジタル収益を8億ドルにする」という野心的な目標を1年前倒しで達成し、さらには「2025年までに購読者数1000万人」という追加目標も、予定より4年も早く達成したのです。なかでも注目すべきは、「デジタルの収益が紙媒体の収益を上回る」「購読料が広告収益を超える」という2つの重要目標についても、ともにクリアしたことです。
この偉業は投資家たちの注目を集め、2016年から2021年までの6年間で株価は261%も急騰しました。当時の年次報告書には、将来を見据えた新しいビジョンが次のように記されています。
「NYタイムズは、世界を理解し、世界と関わりを持とうとするすべての英語圏の人々にとって、購読者に欠かすことのできない媒体となることを目指している」
世界的権威が考案した「DXロードマップ」
では、なぜ、NYタイムズが、わずか数年で最悪期を抜け出し、DXを成功させた代表的な企業へと劇的な転身を遂げたのでしょうか?
DXは、企業の生き残りがかかっているきわめて重要な挑戦です。この負けられない戦い、厳しい道のりを着実に進み、単なるデジタル化の推進ではなく、真にインパクトのある企業変革、イノベーションを実現するためには、必要不可欠な5つのステップがあります。
その5つのステップを着実にクリアしていくために、コロンビア・ビジネススクールのデビッド・ロジャース教授が考案されたのが、DXロードマップです。
そしてNYタイムズは、生き残りをかけて、変革を阻んでいた5つの課題を1つひとつ解決し、DXロードマップの5つのステップすべてを実行するという旅路を、見事にやり遂げたからこそ、劇的な転身を遂げられたのです。
DX成功への旅路の最初のステップは、明確な将来の「ビジョン」を描くことから始まりました。報告書が世に出た翌年には、「われわれが進むべき道(Our Path Forward)」と題する戦略文書が発表され、紙媒体の収益をしのぐデジタル収益をあげるという野心的なビジネスモデルが明確に打ち出され、5年間でデジタル収益を2倍の8億ドルにするという目標が掲げられました。
インターネットが既存の広告市場を破壊し続けるなか、NYタイムズに残された唯一の生き残る道は、ビジネスモデルを「再構築」することだったのです。まさに同社史上最大の戦略的転換で、ビジネスそのものの刷新が待ったなしでした。
「NYタイムズをネットフリックスのようにする」
第2のステップである、戦略的優先順位も、この戦略文書で明らかにされました。「NYタイムズ紙の購読を、ネットフリックスやアマゾンプライムのように生活に欠かせない存在とするために、商品体験を変革する」「読者層を海外に広げる」「魅力的な広告フォーマットを生み出し、デジタル広告を成長させる」「社員の仕事を、デジタルプラットフォームと読者体験に沿ったものに転換する」といった、具体的な優先順位が示されることで、全社でこの変革で目指すところが共有されたのです。
続く第3のステップでは、中核事業である報道で、動画やポッドキャスト、仮想現実(VR)、インタラクティブ・ニュースボットといった新メディアを試験的に導入する実験により、読者が好むフォーマットが検証されました。ゲームや料理などの独立した新しいサブスクリプションや、ライセンス、アフィリエイト、ライブ・カンファレンスなどの、新規事業の開発ペースも加速していきました。さらに、広告チームと技術チームにより、モバイル広告とオーディオ製品向けの新しいフォーマットも開発され、デジタル化による収益源の多角化が進んだのです。
そして、NYタイムズの変革は、第4のステップである、自社の経営、ガバナンスにも及びました。デジタル事業は、もはや独立した子会社のような扱いではなく、組織全体の中核に据えられ、ジャーナリズム、商品、エンジニアリングの視点が、同社史上初めて機能横断的なチームに結集されたのです。ただし、ゲームや料理などの独立性の高い新規事業や、買収したスポーツ・メディアのような独自の読者層を持つメディアについては、独自指標を掲げて運営される独立した事業部門とするといった柔軟なガバナンス・モデルを敷きました。
同時に、デジタルな未来を持続可能な盤石なものとするために重要な、能力の構築についても、変革を進めています。これが第5のステップです。まず、エンジニアリング・チームによる技術とデータ基盤の強化により、読者のデジタル行動データを収集し、活用できるようになりました。NYタイムズが誇る100年以上のアーカイブと連動した関連記事の提示や、読者のプライバシーを保護した上でのターゲット広告の配信が、同社の新たな強みとなったのです。また、全社的にデジタル人材の新規採用や管理職への登用が進み、既存の記者を対象としたデータ駆動型ジャーナリズムや視覚的情報伝達の研修も行われました。
あの悲痛な内部報告書(イノベーション・リポート)の主執筆者であり、NYタイムズの2度目のDXを成功に導いた後に、2018年に6代目の発行人に就任したA.G.サルツバーガーは、「われわれは、ほかのどの報道機関よりもコードを書けるジャーナリストを多く擁している」と自負しているほどです。同社は、古い伝統に縛られたリスク回避の考え方から、リスクを取って失敗から学ぶことを大切にする文化へと、変貌を遂げたのです。
マクロ的視点とミクロ的視点を兼ね備える
DXは企業や組織のあらゆる階層で推進されてこそ成功します。そのため、CEOやCDO、あるいは事業部門のデジタル担当者、人事部などの部門長、はたまたデジタル製品の設計者まで、あらゆる階層・部門の社員が、組織全体を俯瞰したマクロ的視点と、各階層のミクロ的視点までを兼ね備えることが求められます。
ビジョン、優先順位、実験、ガバナンス、能力という5つのステップからなるDXロードマップは、DXの成功を願う全ての人の終わりのないジャーニーの一助となることでしょう。
DXロードマップ
(NTTデータ・コンサルティング・イニシアティブ)