情報があふれ、連絡やタスクに追われる毎日。私たちは「何も考えない時間」を意識して持ったほうがよさそうです(写真:takumi taniguchi / PIXTA)

便利な世の中を生きているのに、どうしてこんなにも疲れている人が多いのだろう。そのような中、現代は「働きすぎの時代」だと警鐘を鳴らし、「そんなに働かなくていい」と言うのはアメリカの社会心理学者、デヴォン・プライス氏。むしろ「立ち止まること」や「何もしない」怠惰な時間こそが大事だというのはなぜなのか。氏の著書『「怠惰」なんて存在しない 終わりなき生産性競争から抜け出すための幸福論』から一部を抜粋、再編集してお届けする。

本記事は3回シリーズの3回目です。
1回目:多忙な人が気づくべき「怠けてはいけない」のウソ
2回目:「ネットでだらだら」は必要な時間という新視点

何も考えない時間こそが大事

休んで怠惰に過ごせる時間は、自分自身について新発見をしたり、仕事中には思いつかなかった妙案が湧いたりするチャンスだ。

創造性について、心理学の研究者は、今まで気づけなかったことが「あっ!」と瞬時にひらめくことがある現象である「アハ体験」に関心を持ち、どうすれば体験できるのかを熱心に研究してきた。

その結果、怠惰に過ごすのは、非常に効果的なステップだと判明した。

クリエイティビティや発想力は、頑張れば出てくるものではない。何も考えない時間が必要なのだ。

往々にして、良いアイデアは考えていないときにやってくる。シャワー中や散歩中などに、どこからともなくアイデアが降ってきたように感じるが、実は休んでいる間に、私たちの脳は無意識下にアイデアを練っているのだ。

この生産的な休養期間を心理学では「インキュベーション期間(抱卵期)」と呼ぶ。

卵から健康なヒヨコが生まれるには暖かく安全な場所が必要であるように、ユニークなアイデアや視点を生み出すには、脳の創造性を担う部分に、安心、休息、リラックスを与える必要がある。

この説明をするとき、私はいつも『マッドメン』というドラマのあるシーンを思い出す。

広告会社のカリスマ役員、ドン・ドレイパーは、顧客の新製品のキャッチフレーズで苦労している新進気鋭のコピーライター、ペギーにアドバイスを授ける。ドンは創造的なインキュベーションについての考え方を、短く完璧に言い表す。

「深く考えろ。そして忘れろ。アイデアが頭の中に飛び出してくる」

私もそうやってアイデアが頭に湧いてきた経験がある。2013年当時、私は大学院生で、博士論文の研究テーマ決めに悩んでいた。

何時間も文献を眺め、創造的なアイデアが出てくるように全力を振り絞ったが、ご想像の通り、うまくいかなかった。惨めで「ダメ」な自分に苛立ち始めていた。落胆と罪悪感を抱えて、私は自分の誕生日と友達に会う目的で数日の休みを取った。

休暇中のある日、友達と長い散歩に出て、手芸工作用品チェーン店「マイケル」の駐車場にいた。友人が花輪を作るのに使うスプレー塗料や造花を買おうとしていた。

突然、よく練られた研究テーマが頭に浮かんだ。その場で立ち止まり、スマートフォンのメモアプリを使って、忘れないように書き留めた。

その週はずっと「怠惰」で、研究に手をつけていないことに罪悪感があったが、その裏で私の無意識はバリバリと作業をしてくれていた。研究から離れて、クリエイティブになれる余地を与えることが必要だったのだ。

「怠惰は敵だ」の思い込みをやめる

やることが山積みのときには、とにかくその場で、できる限りのことを片付けたくなるものだ。

けれど、一時停止ボタンを押して、何もせず怠惰な時間を作り、そこでの気づきや反応を見極めたほうが効率は良くなる、と多くの研究が示している。


いったん減速して切り返すことで、切り捨てるべきタスクが頭の中で整理できる。「怠惰は敵だ」という思い込みをやめれば、タスクを手放すことにも罪悪感はなくなるはずだ。

オーガスト・ストックウェルは、メンタルヘルスの専門家を育成する団体、Upswing Advocates(アップスウィング・アドボケーツ)を運営している。

自閉症、ADHDなどの発達障害がある人やLGBTQ+のニーズに合う専門家を育成する組織で、オーガストは大量の事務仕事、打ち合わせ、電話会議などに多くの時間が取られ、責任も重大だ。

クライアントとの問題について心理士やカウンセラーを叱責しなくてはならないこともあり、心理的負荷も高い。

何年もこうした激務を続けた結果、本人のメンタルヘルスが犠牲になっていた。「あるとき、いつも気が張っていて不眠気味だなって気づいたの」とオーガストは言った。

「職業人としてうまく一線を引けなくて、何にでも、はい、やりましょうと返事をしていた。どれもすごくいいプロジェクトだったからね。でもその結果、自分を疎かにしてた」

サボった行動から学ぶこともできる

オーガストは長年、大きな問題を解決することを最優先にしてきた。とにかく大きなトラブルから順に対処していた。けれど、行動分析のプロとしてその手法を自分の仕事に応用し、業務管理法を改善したという。

オーガストは、週次の業務管理、目標管理に使うスプレッドシートを見せてくれた。そこには仕事以外の項目もある。恋人との時間、瞑想、散歩、家族に電話する時間を作る、という欄もあった。オーガストの人生にとって大切なものはすべて、そのスプレッドシートにまとまっていた。

スプレッドシートの右側には、その週の達成状況を書く欄がある。会議に出たか、予定通り友達と電話できたかなどだ。さらに、それぞれの目標達成状況について、自分の感情を書き込む欄もある。

このスプレッドシートを見れば、いつも飛ばしてしまう目標が何かわかるし、できなくてどう感じたかも一目瞭然だ。

目標を達成できなかった自分を責めるのではなく、やる気のなさや怠惰によってどうなったのかを観察し、怠惰から教訓を得ることが重要だ。

たとえば、家事の目標を達成できないことが多いけれど、自分がそれを気にしていないなら、家をピカピカにすることは自分にとってさほど重要ではないとわかる。

それなら、本当に価値を感じる新しい目標を設定すればいい。目標のすべてを達成できなくても落胆する必要はないのだ。

「この作業で、他の人のことばかりでなく、自分について考えて、自分の経験や感情を意識できるようになった」とオーガストは言う。

「このシートを使って自分に『どんな感じ? 本当は何がしたい? 楽しくやれてる?』って聞いてみるわけ。もし楽しめていないなら、その目標に向けて頑張る意味がないのかも」

世の中は「怠惰のウソ」が規範になっているため、決めた目標を達成できずに見切りをつけるのをつらく感じるかもしれない。

それでも、自分自身の行動や感情をしっかり観察し、自分を責めずにそこから学ぶようにすれば、より自分らしい生活を送り、人生を満喫できるはずだ。

怠惰のおかげでミュージカルが誕生

ミュージカル『ハミルトン』の脚本・作詞作曲・主演で大スターになったリン=マニュエル・ミランダは、妻との休暇中に歴史書を読んでいて、作品のコンセプトを思いついたということはよく知られている。

新しいミュージカルのアイデアが湧くのを期待して休暇を取ったわけではない。自作のミュージカル『イン・ザ・ハイツ』を7年のロングランで上演してきた彼は、ただリラックスしたかっただけだ。

ところが、すっかり充電できた途端に、その後の人生を変えるクリエイティブな大転換が起こった。

『ハミルトン』が前例のないほどの大成功を収めたのを受けて、ミランダはまた、休暇を取ると決めた。舞台のファンはミランダ降板のニュースに驚愕したけれど、ミランダ自身はインタビューで、何もせず怠惰になることが大切なのだと強調している。


「これまでの人生で最高の、おそらく生涯ベストのアイデアが湧いたのは休暇中だった。これは偶然じゃない」と、2018年のインタビューでミランダは語っている。

「僕の脳がちょっと休んだ瞬間、『ハミルトン』のアイデアがやってきたんだ」

何もせず怠惰に過ごすことで、私たちは優れたクリエイターや問題解決の達人になれる可能性さえあるのだ。

それどころか、怠惰にはさらに重要な効能がある。

日常生活にあえてゆっくりとリラックスする時間を作って、「何もしない」ことによって、心の傷の回復が始まる。そして、心身の疲弊が癒やされ、滋味深い豊かな人生を生きられるようになるのだ。

( デヴォン・プライス : 社会心理学者・作家)