赤坂の高級タワマン、5000万円超のロールスロイス…「極貧生活」から一発逆転した元「泡沫候補」マック赤坂が「70代になって失ったもの」

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都知事選の風物詩と化していた、マック赤坂氏の奇抜な政見放送。しかし、そんな名物候補者はあるときを境に表舞台から忽然と姿を消してしまう。

今回、長い沈黙を破り、本人が独占インタビューに応じた。

前編『「闘病中」のマック赤坂も“ほぼ裸ポスター”は「論外だよ」と…元泡沫候補が語る「目立ってもいいけど、スベっちゃダメなんです」』に引き続き、自身の病気の状況、現在の暮らしぶり、そしていかにして財を成したか、マック赤坂氏が赤裸々に語る。

「治療法は…ないね」

75歳になったマック赤坂氏は現在、赤坂の高級タワーマンションでひとり暮らしをしている。2023年に区議を引退して以降、仕事は一切していない。

「病名は明かせない」としながらも、いまの状況を教えてくれた。

「手足のしびれ、それからめまいもあるかな。自分の足で歩けるは歩けるけど、やっぱりしんどい。我慢できないときは車椅子を使うこともある。治療法は……ないね。これからずっと付き合っていくしかない」(マック氏、以下同)

患って以降、外出はほとんどしなくなったという。港区の摩天楼を一望できる自室にこもり、体調がすぐれないときはベッドで横になる。調子が良ければ、ひがな一日テレビを見る。「まあ、つまんない毎日だよね」とマック氏はポツリと呟いた。

だが、不幸中の幸いというべきか、マック氏には生活に困らないほどの資産がある。

極貧生活から這い上がるために

もともとレアアース事業で成功した実業家だからだ。当時1億5000万円だった現在の住まいは現金一括購入。かつて選挙カーとして使っていたのはロールスロイスファントムクーペで、価格は5000万円超だ。

「お金はたくさん稼がせてもらったね」と笑うマック氏だが、生まれ育ったのはむしろ大金とは無縁の環境だった。

戸並誠(となみ・まこと)。これがマック氏の本名だ。

父親が事業に失敗してしまった戸並家では、美容師だった母親が懸命に働き、3人の子どもを育てていた。たまに食卓に上がるコロッケは、1つをきょうだい3人で分け合っていたという。

この極貧生活から抜け出すため、戸並少年は寝る間を惜しんで勉学に励み、晴れて京都大学農学部に合格。就職先に選んだのが、大手総合商社の伊藤忠商事だった。

「化学部門でレアアースの取引きを長く担当していたんだよ。主な仕入れ先は中国。彼らと仕事をする上で大切なのは人脈だね。伊藤忠ではなく、戸並と仕事をしたいと思わせないといけない。だから利益の取り分をうまく調整しながら、地道に関係性を築いていった。ラオポンヨウ(古い友人)になれたら、もうこっちのもんだよね」

しかし48歳のとき、大手商社を辞めるという大胆な決断をする。伊藤忠商事が当時初めて実施した早期退職制度に、いちはやく手をあげたのだ。

財を成した男の次なる目標

「もともと独立したいと思っていたから、良いタイミングだったというか。レアアースの取引きには自信があったし、独立後も一緒に仕事をしてくれるっていう取引先もたくさんあった。この頃は自信しかなかったと思う」

マック氏がレアアースの輸入販売を行うマックコーポレーションを立ち上げたのが1999年。右肩上がりに成長していった同社は、あっという間に年商50億を突破する。従業員は10名程度ながら、毎年数億円の利益を稼ぎ出していたという。

こうして事業を成功させたマック氏が、次の舞台に選んだのが政治だった。

「男たる者、財を成したら、次は名を残すべきだろうと思ってさ。いわゆる名誉欲というのかな。それから、レアアース事業と並行して力を入れていたスマイルセラピーを広めたいという気持ちもあったよね」

政見放送しかり、街頭演説しかり、マック氏はスマイルセラピーという言葉をたびたび口にしていた。なかなかのPR効果があったのではないか。

「ないね(笑)。というか、マック赤坂の名前が売れるほど、スマイルセラピーのお客さんはどんどん減っていった。政治と関わりがあるっていうだけで拒絶反応を示す人がどうしても多くて。だから当初の目論見としては大失敗」

そもそもの話、周囲の人間はマック氏の出馬を応援していたのか。

忘れられない息子の怒り

「いや、大反対だったよ。親戚からは『絶対に本名で出馬するなよ』って言われて。それで本名の誠を英語読みしたマックと自分の会社がある赤坂を組み合わせて、マック赤坂を名乗り始めたんだから。息子からも『親子の縁を切る』って言われたし」

ただ、最初こそ父に呆れていた息子も、次第に協力的になっていったという。マック氏がいまでも忘れられないのが、2012年の都知事選に出馬したときの光景だ。

「都知事選と衆院選のダブル選挙だったんだよ。いつまでも日本の政治を牛耳っている自民党をぶち壊してやりたいと思って、当時首相の安倍さんの街頭演説に乱入してね。そしたら山のようにいた自民党支持者たちが、俺に次々とヤジを飛ばしてくるわけ。『マック、帰れ!』『こんな候補者、恥ずかしいわ』って。

そしたら息子が怒ったの。『こっちは一人で戦ってんだ。お前らにそれができんのか?』って。あのときは、俺の背中をちゃんと見ててくれてたんだなって、しみじみとしたというかね」

今後、マック赤坂が選挙に出ることは二度とない。

取材の最後、スマイルを見せてくださいとお願いすると、快く応じてくれたマック氏。笑顔を見て、寂しい気持ちになったのは初めてかもしれない。

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つづく記事『これまで没収された供託金は5000万円以上…それでも今年96歳のドクター・中松氏が「都知事選」に出るワケ』では、マック赤坂氏と双璧をなす名物候補者、ドクター・中松氏の“いま”を紹介しています。

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