自衛官の多くは55歳〜57歳で定年を迎える。その後の生活はどうなるのか。ライターの松田小牧さんは「多くが民間企業に再就職する。だが、満足のいく給与をもらえないことから、職を転々とする人が増えている」という――。(第1回)

※本稿は、松田小牧『定年自衛官再就職物語』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を再編集したものです。

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■退官した自衛官が定職につけない現実

せっかく決まった再就職先を、早期に後にする人は少なくない。退職自衛官の再就職をサポートする自衛隊援護協会関係者によると、自衛隊がデータを取っている再就職後半年以内の離職率は約10%。つまり、10人に1人は再就職から半年も経たないうちに、再就職先を離れるという。

その後については自衛隊として調査を行っているわけではないものの、「退職自衛官の再就職を応援する会」によると「3〜4年のうちに4分の1程度は離職してしまう」と話す。

取材した中には、「自分の知っている限りで言うと、半年のうちに3分の1ほど退職し、2年以内に70%ぐらいは退職している」と話す人もいた。大卒新入社員の、入社3年以内の離職率は3割程度だと言われているが、自衛隊を定年退官した自衛官もそれと似たような数字となっている。

また、一般的な民間の転職では、自分自身のスキルや経験を棚卸ししたうえで転職を行うわけであり、それでも離職者は決して少なくないのだから、「これまで命令にはすべて『はい』と答えてきた。援護担当者に紹介された仕事についても『はい』と言う」といった姿勢のままだと、民間企業ではしんどいかもしれないとも思う。

それでも、筆者個人としては、30数年も一つの職場で切磋琢磨し、ときに理不尽に思える命令にも耐えてきた自衛官の少なくない割合が、あっさりと再就職先を離れてしまうことには驚きを禁じ得なかった。

■給与が少なく離職するケース

2018年に陸上自衛隊を54歳・3佐(定年時特別昇任)で退官した遠山道弘氏(仮名)も給与の少なさが原因で職を辞した一人だ。

遠山氏は、再就職に際し損保会社を希望したものの、タイミングが合わずやむなく警備会社に就職を決めた。ただ、就職時には無線関連の業務を任せてもらえると聞いていたところ、入社後に求められたのは警備員としての業務だった。

当初は「いまは無線関連の仕事の枠がないため、一時的にお願いしたい」と頼まれたため仕方なく応じたものの、その後、実は当面無線関連の仕事の空きが出ないことを知った。会社からは再度「そのまま警備員をやってほしい」と頼まれたものの、「話が違う」と退職の道を選んだ。

ただ幸運なことに、たまたまその時期にもともと希望していた損保関連の仕事の求人を発見。無事内定に至った。身分は契約社員だが、職場環境は極めてよく、「ここなら定年まで働きたい」と思うほどだった。

ところがある日、ふと家計を見直したところ、退職金や若年退職者給付金がどんどん減っていることに気がついた。このまま減り続けたらどうなるだろう」。危機感を抱いた遠山氏はファイナンシャルプランナーのもとを訪れ、収支に関するシミュレーションを実施。その結果、数年で貯金が枯渇することが判明した。

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当時の給料は手取りで20万円。これまで特に贅沢をしてきたつもりはなかったため、「お金がなくなるかもしれない」とは考えたこともなかった。しかし専業主婦の妻、大学生となり一人暮らしを始める娘、障害を抱えた息子……。この給料で家族を支えることは難しかった。車の維持費すら頭が痛くなるが、地方の生活に車は欠かせない。ファイナンシャルプランナーからは、「収入を上げることが望ましい」と指摘を受けた。

■「再就職後に資産形成」は難しい

そこで、やむなく恵まれた職場を離れ、完全歩合制のタクシー運転手に転職を果たす。研修期間は苦しい日々だったが、いまは妻も派遣社員としてほぼフルタイムで仕事を始め、「ようやくなんとかなってきた」と話す。なおこの「給与が少なく離職」というのは、近年になるほど差し迫った問題となっているようだ。

いまは再就職に向けた教育の中でも「再就職後に資産形成を行うのは難しい」と話すというが、筆者が取材できた中では、70代以上では「退官後、お金に困ることはなかった」と話す傾向にあった。

なぜ、そうなるのか。かつては年金受給開始年齢も早かった。1941年4月2日より前に生まれた場合、60歳で報酬比例部分と定額部分を足し合わせた年金をもらうことができた。

それ以降はまず定額部分の支給開始年齢が、次いで報酬比例部分が引き上げられたが、1953年4月2日より前に生まれていれば、60歳から報酬比例部分の年金をもらうことができていた。

報酬比例部分も定額部分もなくなり、完全に65歳からの支給となったのは、1961年4月2日生まれ以降の人である。また2015年までは共済年金の制度があり、公務員はいまよりも手厚い保障となっていた。そのうえ、退職金も昔のほうが多かった。そして税金と物価はかつてよりも上がっている。

退職金が大きく下がったのは「官民格差是正」のためだが、日本全体が貧しくなっていることが、自衛官にも大きな影響を与えている。

■「幹部でなければ年収200万円でよしとしなさい」

先の章において、防衛省としては、再就職先の給与と若年退職給付金を足し合わせて現職時代の75%の給付水準を目標としていると述べた。民間企業においても、55歳ごろに役職定年が設定され、その後給与が下がるケースもあれば、60歳を区切りに給与を下げるケースも多い。一般的には、60歳を過ぎると以前の7割程度の給与水準となっているようだ。

また自衛官以外の公務員でも、定年年齢が引き上げられつつあるものの、60歳に達した職員は原則として管理職から外す「役職定年制」の導入や、給与を60歳時点の7割水準とすることが決められている。

そんな中で、本当に自衛隊を去った自衛官が、現役時代の75%を確保することができるのであればまず悪くない話だ。しかし、これはあくまで「目標」であり、達成されていないケースも多い。

やはり先の章で、「再就職後の給与平均は尉官で400万円前後、准曹で300万円台」とも述べたが、これも「平均」にすぎない。東京付近の求人が平均給与を押し上げており、地方に行けば行くほど厳しい現状がある。

とりわけ東北や九州など、とくに求人が少ない地域では、尉官であっても200〜250万円ほどの給与水準の地域もある。加えて求人の多くが、警備や輸送といった体力勝負の業務であることも事実だ。

■元自衛官に対する民間企業の不満

なお自衛隊援護協会によると、退職自衛官の平均月収は2015年時点で22万2400円。一番多いのは15万円以上〜21万円未満の44.3%であり、次に21万円以上〜30万円未満で32.4%、30万円以上が13.5%となっているが、15万円未満も9.8%と決して少なくはない。

実際、地方で再就職を支援する立場に就いたことがある元自衛官は、「幹部でなければ『年収は200万円あればよしとしなさい』と指導していた」と振り返る。

現職の年収とのギャップの大きさや、現場仕事が多い求人に不満を漏らす者もいると言うが、「自衛官の持つスキルを考えれば、その年収が現実。それに我慢できなければ、自分で探すしかない」と話す。

民間はシビアだ。自衛隊生活の中で部下の隊員をまとめあげ、さまざまな活躍を見せたところで、それがイコール「民間企業で即戦力として認識されるスキル」にはならない。

また、確かに、求人の数はある。ただ企業としては、「『給料は落としたくない、休みはほしい』と希望する自衛官がいるが、給料を落としたくないならキツい仕事しかないし、休みがほしいなら給料は我慢しなければならない。自衛官はその意識が薄い」との本音も漏らす。

■自分の価値はそんなものか…

55歳で750万円あった年収が、その翌年には200万円になる。同い年で普通の企業や自治体に勤めている人間はもっともらっている。年金まではまだまだ……。これは正直、しんどい話である。

松田小牧『定年自衛官再就職物語』(ワニブックス【PLUS】新書)

ある元自衛官はこう話す。

「退官したとき、もちろん若いころに比べれば多少の衰えはあるものの、まだまだやれると思っていました。再就職して、慣れない職場、慣れない仕事、慣れないビジネスマナーを乗り越えて、年収250万円。

退官してからはじめて気づきましたが、私は700万円程度の給与をもらうことで、『自分はそれだけの価値がある人間だ』と無意識のうちに思っていたのだと思います。それがガクンと下がったことで、『これだけ頑張っても、自分の価値はこんなものなのか……』と非常にショックを受けました」

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松田 小牧(まつだ・こまき)
ライター
1987年生まれ。大阪府出身。2007年防衛大学校に入校。人間文化学科で心理学を専攻。 陸上自衛隊幹部候補生学校を中途退校し、2012年、時事通信社に入社、社会部、神戸総局を経て政治部に配属。2018年、第一子出産を機に退職。その後はITベンチャーの人事を経て、現在はフリーランスとして執筆活動などを行う。
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(ライター 松田 小牧)